2019/04/22 (月) 20:41
ベテラン・47歳の加倉正義(福岡68期)が4月10日、小倉F1初日のS級予選で見事に1着。この勝利で史上31人目となる通算500勝を達成した。
加倉は1991年8月にデビューしているので、足かけ27年8ヶ月での快挙。通算500勝はJKAの表彰規定があるので、後日、加倉は表彰されることになる。
加倉がここまで頑張ってこられたのは純粋に競輪が好きだからだろう。そして、好きなだけではなく、シッカリ結果も残してきた。忘れられないのは1998年の小倉G1競輪祭だ。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの吉岡稔真(福岡65期・引退)と連携。人気は吉岡―加倉に集まった。この時、加倉は未勝利ながらも堅実な走りで決勝戦へ駒を進めていた。吉岡が逃げれば、加倉にもチャンスはある。この決勝戦での最大のライバルは神山雄一郎(栃木61期)であった。吉岡とは長きに渡り激しい戦いを繰り広げてきたことは言うまでもないだろう。
レースは吉岡が先行、後ろを固めた加倉―大里一将(熊本60期・引退)の九州勢が主導権を奪う。中団を確保した神山が最終バックから一気に捲くる。そのスピードに乗った神山を加倉はブロックすることができなかった。すると、吉岡が自ら神山をブロックし、神山マークの東出剛(千葉54期・故人)の落車を誘発してしまった。そこでインを突いた加倉、外に膨れたものの持ち直した吉岡のゴール線までのデッドヒートは吉岡に軍配が上がった。
しかし、ドラマはここからだった。1着で入線した吉岡だったが、審議の対象に。そして、結果は吉岡が失格、加倉が繰り上がりの優勝となって26人目の競輪王に輝いた。
「僕がしなければいけない仕事を吉岡さんがやってくれた。それなのに失格……」と、加倉は目に涙を浮かべ、表彰式に臨んだ。心ないファンからも痛烈なヤジが飛んだ。笑顔一つない勝者であった。未だかつてあんな表彰式は見たことがない。加倉は勝者なのか?敗者なのか?いきなりその場面を見た人間には想像がつかなかったことだろう。
それでも優勝は優勝である。確かに加倉が責任を感じるのは理解できるが、レースは“生き物”である。仮に加倉が神山をブロックして1着入線していたとしても、審議の対象になっていたかも知れない。しばらくの間、加倉はこの十字架を背負って走っていたのだ。だからこそ加倉の通算500勝という数字は__加倉のキャリアを知っている人間としては素直に嬉しく、心から拍手を送りたい。
加倉の練習態度はいたって真面目。自転車に対して、真摯(しんし)に向き合っている。ある選手は加倉を「あれだけ競輪が好きな選手はなかなかいない。競輪が生活の一部になっている」と、評していたのを聞いたことがある。その姿勢も500もの勝ち星を積み重ねることができた礎(いしずえ)になっているに違いない。
昨年、加倉はA級陥落も味わった。年齢を考えれば、そのまま成績は下降線をたどってもおかしくない。しかし、加倉はA級でもキッチリ結果を残し続けた。
「自分は自転車が好きですから。S級でも、A級でも、戦うということは同じですから」
多くを語らずとも、その言葉にはとても重みがあった。
そして、2019年1月1日付で再びS級に復活し、通算500勝を達成したのである。偉大な記録ではあるのは大前提ではあるけれども、やはり、A級で達成するのと、S級で達成するのとでは喜びも違うのではないか。
現在、加倉の競走得点は100点台に回復、記念戦線でも存在感は全く薄れておらず、47歳という年齢を感じさせないアグレッシブな走り。通算500勝達成後、次走となった川崎G3桜花賞・海老澤清杯2日目にも501勝目も挙げた。加倉のこれまでの足跡と現状から察するに、あと10年は現役でいられるように思えて仕方がない。
「好きなことを仕事にできるのだから、これ以上の幸福はない」と、誰かが言った。この言葉は加倉にピッタリ当てはまる。1勝をするのが難しくなる年齢ではあるけれども、加倉だったら、次の節目となる通算600勝も達成するのではないだろうか。
岩井範一
Perfecta Naviの競輪ライター