2019/04/11 (木) 17:51
原大智……その名前を聞いて、即座に答えられる人間はスキー好きか五輪マニアではないだろうか。筆者は初めにその名前を聞いた時はピンと、こなかったのが正直なところで、イメージも沸かなかった。が、昨年の平昌冬季五輪で日本人第1号のメダリスト(銅メダル・フリースタイル競技モーグル)だということを聞かされて「なるほど、あの選手か」と、ようやく思い出せたくらいだ。
その原が競輪に転向することが決まった。日本競輪学校の『特別選抜試験』を受験して、見事に合格したことを4月6日のスポーツ紙が大きく報じていた。2022年の北京冬季五輪でも有力なメダル候補なのだが、まさかの決断だと、驚いてしまった。ましてや平昌五輪が終わった直後ではなく、1年以上も経ってのことだから、なおさらである。
この『特別選抜試験』での合格者は8人目。尚、本人はモーグルを引退するのではなく、競輪とモーグルの“二刀流”を目指すと言うが、さすがにそんな甘いものではないだろう。
『特別選抜試験』とは一体、何なのか?日本競輪学校によれば「自転車以外の競技で、五輪などの世界レベルの大会で優秀な成績を収めた者」と、定義されている。だが、この『特別選抜試験』の受験資格も以前と比べて、相当、変わったらしい。
そもそも『特別選抜試験』の発端は“スピードスケートの清水宏保を競輪界に入れる”ためだったとの裏情報も耳にしたことがある。競輪界は売り上げが1990年を境に下降線をたどっていき、1998年の長野冬季五輪のスピードスケートにおいて日本人初の金メダル(500m、1,000mでも銅メダル)を獲得した清水を人気回復の切り札として関係者は狙っていたという。確かにスピードスケートと競輪は共通点が多い。現にスピードスケートの選手の夏トレーニングは自転車によるものだ。元々、スピードスケート選手であった橋本聖子や大菅小百合は夏季五輪(橋本はソウル・バルセロナ・アトランタ五輪、大管はアテネ五輪)にも出場している。
だが、清水は競輪には転向せず2002年のソルトレークシティ冬季五輪でも銀メダルを獲得した。
制度初の選手は長野冬季五輪で銅メダルを(*ショートトラック500m)獲得した植松仁(岐阜86期・引退)だった。植松の場合は所属していた会社の経営状況悪化により解雇され、メダリストなのにバイト生活を送っていたという背景もある。そして、植松は身体こそ小さかったが、バネを活かした走りでS級でも一時期は頑張っていた。ちなみにこの時の金メダルは西谷岳文(京都93期)で、後に西谷も競輪界入りしたが、特別枠ではなく、一般受験であった。
当初の『特別選抜試験』の基準は「五輪のメダリストで、その大会から2年を経過していないこと」だった。それが徐々に緩和されていき、武田豊樹(茨城88期)の時は「五輪で入賞」が条件となり、現在ではさらに対象競技の数も増やしている。
重複してしまうが、過去の『特別選抜試験』での合格者は前述の植松、武田をはじめ、大森慶一(北海道88期)、永井清史(岐阜88期)、北津留翼(福岡90期)、柴崎淳(三重91期)、牛山貴広(茨城92期)の計7名である。この中でタイトルホルダーは武田だけという現状。身体能力は高いだけにS級までは昇格できるが、タイトルを獲るレベルに達するのは容易でないことがよく分かる。
原に関して、ある関係者は「年齢も若いし、ノビシロがある。スキーもスケート同様、夏は自転車でトレーニングしていたし、スンナリいけるのではないか」と、期待を寄せているらしい。しかし、原自身、どうして競輪へ転向したのか?それを本人の口から聞けていないので何とも言えない。純粋に競輪に魅力を感じたのであれば大歓迎であるが、仮に金銭面だけを考えてのことだとしたら、果たしてどうだろうか?
メダリストのプライドを捨てられるかが、大成するかの大きなカギとなろう。そして、原がこれを克服して、武田をも凌駕(りょうが)する選手に成長すれば、原に続くスーパーアスリートも出てくるのではないか?今後の競輪界にも一筋の光明となるはずだ。
*ショートトラック
1周=400mのトラックではなく、1周=111.12mのトラックを使い、数名(通常4〜6名)で着順を競う
岩井範一
Perfecta Naviの競輪ライター