2018/07/20 (金) 12:10
グランプリ優勝1回、G1レース優勝3回、G2レース優勝3回の輝かしい戦歴を誇った鈴木誠(千葉55期)が7月9日、33年間に及ぶ選手生活にピリオドを打った。最後のレースは8日が最終日の京王閣8R=S級特選で8着、あの雄姿がもう見られないのは寂しい限りである。
引退理由は左の股関節痛。完治するには手術を行い、4ヶ月程度は自転車に乗れないと、医師から宣告されたという。「競輪選手は自転車に乗るのが商売。4ヶ月も休んでいたら、年齢も考えて元には戻れない」ということを親しいマスコミ関係者だけに漏らしていた。
鈴木の引退はごく一部の人間にしか知らされていなかった。鈴木クラスになれば“引退興行的”なものを行ってもいいと思う。興行というと語弊(ごへい)があるかも知れないが、引退レースはやって欲しかった。これは筆者だけの意見や願望ではなく、ファンがそれを一番欲していたことは事実だろう。後閑信一(東京65期)もそうだったが、真剣に走る姿を目に焼き付けたかった。
鈴木を知らない世代もいるだろうし、彼について知っていることを書いてみたい。鈴木以前のスターは中野浩一(福岡35期)を筆頭に、山口健治(東京38期)、吉井秀仁(千葉38期)、井上茂徳(佐賀41期)、滝澤正光(千葉43期)だった。彼らに陰りが見え始めた頃、鈴木が彗星のように競輪界に現れた。世界選手権V10の中野は別にして、スターは競輪界だけしか通用しない。言い換えれば、世間からは認知され難いスターたちであったことも否めなかった。しかし、鈴木は明らかに違った。大きな目に愛敬のあるルックス、爽やかであったうえに“ケロヨン”のニックネームで親しまれた。迫力や威圧感はなかったけれども、一般受けするスターの要素は兼ね備えていた。人気漫画『ギャンブルレーサー』に描かれ、栄養サプリメントのCMにも起用された。そして、結婚相手は芸能人(歌手)だった。岡花江夫人の師匠が都はるみとのヒットデュエット曲『浪花恋しぐれ』で知られる岡千秋。競輪マスコミはおろか、芸能マスコミも騒いだものだった。
1990年にG1高松宮杯を制し、翌年にはG1全日本選抜で2個目のタイトルを獲得。その年のKEIRINグランプリ1991で優勝、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。先行に加え、柔軟に対応できる戦術は今でいうところの自在の先駆けだった。神山雄一郎(栃木61期)、吉岡稔真(福岡65期)の出現でしばらくの間はタイトルから遠ざかったが、2005年にダービー、G1日本選手権で3個目のタイトルを手中に収める。そして、現役を退く最後までS級レーサーとして走り続けていたのである。
引退はまさに寝耳の水だった。というのは来年5月に開催されるG1日本選手権は鈴木の地元・松戸競輪場だからだ。鈴木は周囲に「どうしても出たい。年齢も考えて、地元のダービーはラストかも知れない」と、語っていて、その情熱は鬼気迫るものだった。ダービーに出るためには1年間の賞金で上位に入らなければ出場できない。その年によって違うがおおよそ2,500万円くらいがボーダーラインだ。そのために鈴木は補充でもいいから走りたがっていたという。鈴木クラスが正規でなく、残り2日間とか最終日だけの補充でもいいというのは考えられない出来事なのだ。1円でも多く稼ぎたい。要するにプライドを捨ててまで地元でのダービーにこだわっていたのだ。
しかし、その気持ちも股関節痛の前には勝てなかった。今後は何も決まってないというが、是非、鈴木自身が体験したことを評論家として語って貰いたいと思う。山口幸二(岐阜62期)、後閑信一がテレビ、イベントに引っ張りダコなのはリアルに自分の体験を伝えているからだ。予想に特化せず、あらゆる視点から競輪界にモノを言える評論家をファンは待ち望んでいる。
岩井範一
Perfecta Naviの競輪ライター