佐藤慎太郎“101%のチカラ”

【佐藤慎太郎の絆物語】オレら世代は終わってない! ボートレーサー原田幸哉選手の言葉に奮い立つ

2021/09/27 (月) 17:00 19

輪界の鉄人・佐藤慎太郎選手の辞書に「限界」の二文字は存在しない(撮影:島尻譲)
 全国300万人の慎太郎ファン、そしてnetkeirin読者のみなさん、佐藤慎太郎です。今月のコラムはボートレーサー原田幸哉さんのこと、永遠の番長・有坂直樹さんについて全力で書いていきます。みなさんも全力で読ん…、いや、暇なときにリラックスして楽しんでください(笑)

ルーツはボートピア玉川にあり

 オレとボートレース(以下ボート)の出会いを遡れば、20年以上も前になる。デビューして2年くらい経った頃、福島空港の近くに『ボートピア玉川』がオープンした。オレはデビュー前からずっと福島空港の周辺道路で練習していたんだけど、このボートピア玉川ができてからは、頻繁に立ち寄るようになったんだよね。

 午前中にガッツリもがいて、ボートピア玉川へ。昼メシ食って、14時くらいまで舟券買ってボートに興じながら休憩。14時半くらいを目途に午後の練習を開始するってスタイルを確立していた。最初は、公営競技の選手として「お客さんの気持ちを知りてーな」「何か勉強になることがあるかもしれねーな」という感じで手を出した。

 いざ自分がやってみてお客さん目線の感覚になれるのは面白かったし、単純に賭け事が好きって性分もあってね(笑)。お客さんの気持ちを知るためっていう大義名分のもと、思い切りボートを楽しんでたよ。つまり純粋なギャンブル好きとして、ボートピア玉川では良く遊んだわけですよ。だからボートとオレの付き合いは長いし、深い。

 知っている人は知っていると思うんだけど、本当にオレの人生、何かとボートと縁がある。妹がボートレーサーと結婚(※)して、ボートレーサーの義兄でもあるわけだし(笑)。縁が深いなんてもんじゃないよね。

※佐藤慎太郎選手の妹・絵美さんはボートレーサー桐生順平選手と2012年に結婚

沖縄で原田幸哉さんと出会う

 話は変わって今から10年以上前のこと。沖縄に行った時に原田幸哉さんと出会った。幸哉さんは日頃から競輪を観てくれていたようで、オレに気が付いて声をかけてくれた。さっき書いたようにオレもボートをやるもんだから、幸哉さんが1コ上なのもSGを何本も獲っている選手だってことも当然知っていた。声をかけられながら「原田幸哉さんだ…!」って思ったよ(笑)。その頃からメシを食ったり、酒を飲んだり、ゴルフをしたり、麻雀をしたり、釣りに行ったり…、プライベートでも仲良くさせてもらっている。

ボートレーサー原田幸哉(写真左)と釣りを楽しむ慎太郎さん(写真:本人提供)

 お互い公営競技の選手だから、競技は違っても、どこか同業者というか、通じるものがある。レースのためにプロ意識を持って身体を作っていくところなんか似ているしね。(ちなみに健康マニアのオレから見ても、幸哉さんのストイックな食事管理には勝てる気がしない!)

 それと『お客さんの期待を背負って勝負に挑む』っていうメンタルの部分は、言わずもがな共通項が満載。だから「プライベートで親交があります」ってレベルじゃなくて、会話を通じて色々勉強させてもらってる。お互いレースに行く前に連絡取り合ったり、励まし合ったりする関係になっていったし、自然とオレの支えになっていった。

13年ぶりの優勝と12年ぶりの優勝

 オレが低迷していた頃、幸哉さんに「もう1回GI獲ろうよ」って言葉をかけてもらったことがある。この言葉、かけてもらったタイミングもあるんだけど、すごく気合いが入る言葉だったんだよね。ガツンと響く言葉だった。

 ほどなくしてオレは13年ぶりにグランプリの舞台に乗ることができて、しかも優勝することができた。嬉しかったのは言うまでもない。

KEIRINグランプリ2019を制した佐藤慎太郎選手、「車券を外したファンからも温かい祝福を受けたことが最高の喜び」と語った(撮影:村越希世子)

 若い時みたいに「自分自分」って感じでもなくて、サポートしてくれた人への感謝も込み上げてきた。『恩返し』って言葉が近いのかな。周囲に優勝を分かち合いたい人達が沢山いたんだよね。もちろん幸哉さんもそのうちの1人。

 グランプリを獲った直後、幸哉さんはすぐに祝福のメッセージをくれた。そして「次はオレの番だな」って宣言していた。オレも「次は幸哉さんの番だぜ」って信じて疑わなかったよね。そして今月! 時が来たわけですよ! 愛知・蒲郡のSG戦で、12年ぶりに原田幸哉が優勝した。

「まだまだ僕ら世代は終わってない」

 地元戦のプレッシャーを跳ね除けて、故郷に錦を飾った幸哉さん。出会って10年以上、頑張る姿を近くで見てきて、見るだけじゃなくて励まし合ってきて、オレにとっては自分のことのように嬉しかった! さすがに胸が熱くなり興奮した。最高にカッコ良かった。

 そして、優勝という結果も掛け値なしで素晴らしいんだけど、勝利者インタビューがまた良かったんだよね。「まだまだ僕ら世代は終わってない」って。この言葉は今の自分にスッと入ってきたし、「もう一丁やってやる!」って、力が湧いてくる言葉だった。幸哉さんアザス! 改めて優勝おめでとうございます! オレもその言葉を証明できるように頑張りますよ!

共同通信社杯では連日存在感を放った慎太郎選手(3番車赤)。勝ち上がりならずも準決勝では圧巻のパフォーマンスでファンを魅了、新山響平選手(4番車青)を援護し続け決勝進出へ導いた(撮影:島尻譲)

番長・有坂直樹さんの引退に思う

 幸哉さんのビッグニュースが嬉しいニュースだとしたら、有坂さんの引退は寂しいビッグニュースだった。寂しい。ただただ寂しい。でも一時代を築いた先輩であり、オレも近くでその姿を見ていたから、理解できる感情もある。

 有坂さんとの思い出、多いんだよね。

 まずはオレがS級に上がったばかりの小僧の頃を思い出す。有坂さんはヒヨッコのオレを本当に良く可愛がってくれた。ただ、可愛がりが過ぎて「なんてこの人は悪魔のような人なんだろう」って、いつも思ってた(笑)。レースもレース後の打ち上げも宿舎での生活も、有坂さんがいると大迷惑でしかなかった!(有坂さんのハチャメチャ具合をコラムで書きたいんだけど、掲載NGなエピソードしか思い浮かばないわ!)

 そんな番長・有坂さんの黄金時代をオレは見てきた。特にオレが上位のレースに出るようになってからは連係することも増えて共闘していたし、一緒にグアムや沖縄で合宿を張って、高め合った。競輪のことも教えてもらったし、遊びもたくさん教えてもらった。まさに『アニキ』という存在だな。

番長・有坂直樹選手(5番車・黄)と連係したKEIRINグランプリ2006(撮影:村越希世子)

 有坂さんが引退することを知って、あらためて自分にも『競輪選手としての最後の日』が来るってことへの現実味がある。この実感を忘れず、毎日をピリッと生きないと。

 まあ寂しいは寂しいけど、有坂さんとは競輪場で会えなくなっても、また合宿なんかは一緒にやりたいよ。有坂番長、今後ともよろしくお願いします! そして、長い間おつかれさまでした。(写真手配したからカッコイイやつ貼っておくよ! ガハハ!)

KEIRINグランプリ2006覇者となり、ガッツボーズを決める有坂直樹選手(撮影:村越希世子)

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佐藤慎太郎

Shintaro Sato

福島県東白川郡塙町出身。日本競輪学校第78期卒。1996年8月いわき平競輪場でレースデビュー、初勝利を飾る。2003年の全日本選抜競輪で優勝し、2004年開催のすべてのGIレースで決勝に進出している。選手生命に関わる怪我を経験するも、克服し、現在に至るまで長期に渡り、競輪界最高峰の場で活躍し続けている。2019年には立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ2019で優勝。新田祐大の番手から直線強襲し、右手を空に掲げた。2020年7月には弥彦競輪場で400勝を達成。絶対強者でありながら、親しみやすいコメントが多く、ユーモラスな表現でファンを楽しませている。SNSでの発信では語尾に「ガハハ!」の決まり文句を使用することが多く、ファンの間で愛されている。

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