アプリ限定 2025/02/16 (日) 18:00 20
2023年7月に代謝制度により引退した、元競輪選手の山田二三補さん。インタビュー前編では、山田さんが過ごした34年の競輪人生を振り返ってもらった。現在はセカンドキャリアとして、キッチンカーのたこ焼き屋『輪蛸』を経営している。インタビュー後編では、セカンドキャリアでの新しい挑戦について話を聞いた。その裏には、山田さんの現役時代を支えた人たちの姿があった。(取材・構成 netkeirin編集部)
高校卒業から続けた競輪選手を引退したのは55歳のとき。肉体を酷使するアスリートとして34年間を過ごしたが、山田さんはすぐに再就職をした。
「昔だったら60歳で定年だったかもしれないけど、まだ10年は働かないとね。家族もいますから」
引退直後は1年ほど豊橋競輪場で働き、その後はタクシー運転手になることを考えた。タクシー運転手は山田さんの父と同じ職業で、山田さんも車の運転やコミュニケーションを苦にしないタイプだ。そして現役選手の間支えてくれた妻の希望も“安定した仕事”だった。
「妻も会社勤めがいいということだったので、タクシー会社を受けようかなと。それを金子に話したら、こんなふうに言うんですよ」
『山田さん、本当に今タクシー運転手がやりたいんですか?』山田さんをクビ危機から救い、競輪人生を10年延ばした“恩人”金子貴志からの言葉にハッとしたという。時代はドライバー不足で、70代でもタクシー運転手になれる可能性はある。
「じゃあ何をやるんだって話ですけど、遠まわしにキッチンカーを勧めてきて…」
二人は以前から豊橋競輪場の食堂を経営する神村さんと親交があった。神村さんは『輪蛸』というキッチンカーのたこ焼き屋を展開していたが、最近は人手不足でほとんど稼働できておらず、山田さんがやってみてはどうかというのが金子の考えだった。山田さんはいい考えだと思い、家族に提案するが妻には反対されてしまう。
「安定した仕事を希望しているのだから、当然ですよね。まずは話を聞くために金子と一緒に神村オーナーのところへ行くと、ほとんど二つ返事で『やってみたらいいよ』と言ってくれました」
しかし同時に飲食業の厳しい現実も知らされた。キッチンカーは飲食業界のなかでも廃業率が高く、難易度は高いのだという。神村さんは後戻りが利くようにと、まずは数か月間必要な車や機材一式を貸し出すことを提案してくれた。
「僕にとってはすごくありがたい話でした。キッチンカーを始めるだけで普通なら何百万円もかかりますからね。失敗して借金を抱えてしまう人もいる。でも実際に買う場合の金額を聞いてみたら、想像以上に安くて。こんないい話はないと妻を説得しました」
神村さんは、信頼のおける山田さんに“特別価格”で『輪蛸』の屋号とノウハウ、すべてを快く譲ってくれた。そしてそれまで料理の経験がほとんどなかった山田さんに、レシピと調理を“スパルタ教育”で授けた。山田さんは苦笑いでその苦労を明かす。
「たこ焼きを作れるようになる、っていうのが一番大変でした。うちの家庭用のたこ焼き器で練習していたんですが、実際の機材とは勝手が違って全然できず『これはやばい』と。自分でも下手だとわかるくらい下手でした」
不慣れな調理に大苦戦してしまった山田さん。しかしすでに自力で営業ルートを開拓しており、プレオープンは11月末と決まっていた。
「その時点ですでに11月でしたからね。時間は全然なかった。妻にも『計画が甘い』と怒られましたよ(苦笑)」
不安だらけで迎えたプレオープンの場所はかつてのホームバンク、豊橋競輪場だった。
「いきなり競輪場で、お客さんがめちゃめちゃたくさん来てくれて。てんてこ舞いでしたね」
練習に訪れていた山田さんの愛弟子・佐々木恵理や金子貴志の弟子である内藤久文が接客を手伝い、様子を見に来たオーナーの神村さんも助け舟を出してくれた。山田さんは神村さんと一緒にひたすら調理し続けることでなんとかプレオープンを乗り切った。
「本当にありがたいですよ。佐々木や田中(千尋)、内藤は『手伝うことあったらいつでも言ってください』なんて言ってくれてて。田中なんてしょっちゅう練習帰りに寄ってくれる。引退してから弟子たちに練習で会えなくなってしまったけど、こうやって来てくれて嬉しいですよね」
取材時は本格オープンから1か月ほど。売れ行きは実際どうなのか聞いてみると、山田さんはたちまち笑顔になった。
「ありがたいことにね、結構お客さまが来てくれてるんです。平日とか雨の日とかが大変だと聞いていたんですけど、何とかなっている。競輪場のほかにはスーパーやパチンコ屋さんの駐車場、浜松オートにも行っています。順調なのでかえって今後が心配で(笑)」
競輪場で出店する日には、競輪ファンや関係者が『山田さんのたこ焼きを一度食べてみたい』と訪れるそうだ。山田さんは輝く瞳でやりがいを語る。
「やっぱり『美味しい』と言ってもらえることですよね。さっきも通りがかりに『このまえ買った、すごく美味しかったよ』と言ってもらえて。味には自信をもってやっているつもりだけど、正直自分ではわからないんですよ。だけど、リピーターの方が来てくれたり、小さい子が『美味しいからまた来た』と言ってくれたり。だんだん自信もついてきたかな」
不安だらけで歩み始めた“セカンドキャリア”。ポロシャツにキャップ姿でたこ焼きを焼く山田さんの姿を見ると、もうすっかり板についているように見える。
「いやいや。家族の助けなしでは回らないんですよ。娘は平日働いているのに、土日は手伝いに来てくれる。僕より焼くのが上手です(笑)。息子も気にかけてくれているようで、しょっちゅう買いに来てくれます。妻にはいつも手伝ってもらっていて…。選手の時も苦労をかけたけど、もしかしたら今のほうが大変な思いをさせているかもしれない。本当に自分のわがままに付き合ってもらって… 感謝しかないです」
そう言うと山田さんは、ばつが悪そうに現役時代の後悔を明かした。
「引退の少し前に豊橋で走ったんです。それまで一度も家族をレースに呼んだことはなかったけれど、もう最後になるので初日だけ来てもらいました。いいところを見せられたらって思ったんですが、落車してしまいました」
山田さんは立ち上がることができず、そのままレースを棄権した。
「担架で運ばれながら、せっかく家族が来ていたのに何やってんだ、とやるせない思いになりました」
幸い大きなケガはなく、3日間完走することができた。しかし家に帰ると…。
「普段なら『お疲れさま』と迎えてくれる妻が怒っていました。僕が転んで立ち上がらなかったので、すぐに帰って連絡を待っていたと…。心配でその晩は眠れなかったようで」
引退直前になってようやく、家族がいつも自分の無事を願って帰りを待っていたということを知った。
「あのとき意地でも立ち上がらなきゃいけなかった。自分が傷だらけになっても走ってきたということを、家族の前で見せられませんでした…。落車しても、せめてゴールする姿を家族に見せたかった。今でも後悔しています」
時を戻すことはできないが、その悔いを挽回するためにも“セカンドキャリア”に想いを懸けている。
「だけど結局僕は、自分ひとりでは何もできない人間なんですよ。いつも周りの助けに甘えちゃって…」
そういって頭をかく山田さんだが、ひたむきに第二の人生を歩む山田さんを支えようと、周囲の人たちが進んで力を貸しているように見える。それはこれまで山田さんが周りに尽くし、厚い人望があるからこそだろう。
今は家族や競輪選手時代の仲間の力も借りつつ、キッチンカーという新しい生業を軌道に乗せようと必死だ。
「今、すごくやりがいを感じています。毎朝5時に起きて仕込みして、えらい大変なんですけどね。食材もなかなか高いんだけど、仕込みはしっかりこだわって。大きいタコを使うとか、新鮮なネギを選ぶとか。お客さんに美味しいものを届けたいから」
そう話す山田さんの表情はとてもいきいきしている。セカンドキャリアはまだ始まったばかりだが、野望もある。
「うちのおふくろが作る『どて(もつ煮込み)』が美味しいんですよ。もう80過ぎなんですけどね。夏場にキッチンカーで鉄板ものだけ売るのは、暑さで体にダメージもあるので。ほかのメニューも考えたいなと思っています」
空調付きのキッチンカーでも、車内の気温は70度を超えることもあるという。体調には気を配りながら、“挑戦”を続けたいと考えている。
「まだまだ勉強しなきゃいけないことはたくさんあるんです。でも夢は、キッチンカーで全国の競輪場に行ってみたい。たとえば中部以外の記念開催にも出店できるようになったらいいですね」
現役時代から競輪ファンに愛されている山田さん。ファンにとっては、また競輪場で山田さんと会うことができて、手作りのたこ焼きを食べられるというのはとても嬉しいことに違いない。
「自分が競輪選手だったっていうのも、お客さんに選んでもらえる理由かもしれないですね。でも味にしっかりこだわって真剣にやっているので、多くのお客さんに一度食べてもらいたいな」
“美味しさ”ももちろんだが、「ありがとうございました!」と現役時代と変わらぬ笑顔で見送ってくれる山田さんの姿に元気をもらえるのが『輪蛸』の大きな魅力だ。
「遠慮なく声をかけてもらえたら嬉しいです。写真ももちろんオッケーですし、できるかぎりのことはしますので。もしそれでお客さんに喜んでもらえるなら、それが一番僕も嬉しいから」
そう話す山田さんの瞳は、充実感に満ちていた。
その原動力のひとつが、現役時代から苦労をかけた家族へ恩返しをすることだ。
「選手のときから妻には苦労かけて、またこの歳になってから苦労かけてしまっているので…。本当に頭が上がらないです。二人でのんびりできる時間も取れなかったので、きちんと軌道に乗せて、旅行とかも行きたいですね」
そうは言っても、飲食業のなかでも難易度が高いと言われるキッチンカーで、順調なスタートを切ったことは確かだ。
「今のところ繁盛しているのはすごく嬉しいことだし、それも周りの支えのおかげ。家族もそうだし、オーナーの神村さん、金子や競輪の仲間と関係者、来てくれるお客さんも、すべての人のおかげでいいスタートが切れたので、感謝の気持ちでいっぱいです」
そして、今年最初のGI「全日本選抜競輪」の開催地は豊橋競輪場だ。2月21日に開幕を控えており、山田さんは4日間出店予定となっている。
「長くお世話になった競輪界にも恩返しがしたいです。GIで全国のお客さんと会えたら最高ですね。SNSやYouTube(カラフルスタイル)にコメントをくれる方もいるので、声をかけてもらえたら嬉しくて泣いちゃうかもしれません(笑)」
56歳でのキッチンカー挑戦は、勇気がいることだったに違いない。『輪蛸』を託した神村さんをはじめ金子貴志や愛弟子たちとの縁、そして家族の支えがあり山田さんの“第2章”のペダルが回り始めた。これからは選手時代と異なるかたちで、競輪界を盛り上げる。
【取材後記】
インタビュー当日、編集部も山田さんにたこ焼きを作ってもらって実食。トロトロアツアツの出汁の効いた生地から、プリッとした大ぶりのタコが飛び出し実に美味! 繁盛している理由がよくわかった。これが500〜600円で味わえるとは驚きだ。
さらに取材中には深谷知広選手、岡村潤選手、簗田一輝選手が訪れ、たこ焼きをテイクアウト。トップ選手も味わった山田さんのたこ焼きを、読者のみなさまにもぜひご賞味いただきたい。
netkeirin編集部
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