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佐藤慎太郎“101%のチカラ”

【佐藤慎太郎の大センパイ】“1993年の決意”金網越しの勝者・神山雄一郎を見て

2024/09/24 (火) 16:30 49

宇都宮GII「共同通信社杯競輪」に参戦した佐藤慎太郎(撮影:北山宏一)

 全国300万人の慎太郎ファン、netkeirinをご覧のみなさん、佐藤慎太郎です。先日の共同通信社杯は今の時代のレースの特徴が色濃く出ていたね。オレは二次予選で事故棄権となり、歯がゆいシリーズになってしまった。しかし、自分に何が必要なのかを考える良い機会になった。今年終盤戦を前に自分を見つめ直そうかと。今回はそのあたりを書いていこうと思う。

事故棄権の際にスタンドから労いの拍手と声掛け。慎太郎は“お詫び”のポーズで退場した(撮影:北山宏一)

「オレたちの若い頃の競輪は」みたいな考えは酒の席まで

 このコラムでもよく話題に挙げている。まあ、“自力全盛の戦国時代”だあね。今回の共同通信社杯はメンバー構成から自力選手が大半を占めていて、レース一発あたり5人6人と自力選手がひしめいている感じ。少し前の競輪ならば9人のうち3人が自力選手で、残り6人が追い込み選手という番組構成が主流だったように思う。9車の脚質バランスも逆転しているわけで、レーススタイルの変化は必然てわけさ。

 追い込み選手のオレからすれば、なかなかに厳しい局面。脳内の1%くらいで「追い込み選手は不要」と突き付けられているような感覚もある。だが、変化と進化の渦中で「自分は何をできるのか」を熟考することはとても楽しい。競輪はアドベンチャーであり、限界は気のせい。プロフェッショナルである以上、時代のトレンドに対応するのはごく当たり前のこと。リスクを恐れず新しいことにトライし、「この競輪にどう対応するのか」、「どんな練習で高めればいいのか」、「佐藤慎太郎はどう戦うのか」と日々模索している。紙一重で取りこぼす勝負を何とかしたい。

 現状はS班の追い込み屋として十分な成績を残していない。けれども、この課題を楽しめないほど、レースに対応できてないわけでもないし、何十年と浅はかに競輪を走ってきたわけじゃない。ここまでヤワに鍛えてきたわけじゃない。チャレンジ精神が湧き出てワクワクするような気持ちもハッキリと感じている。今は「オレたちの若い頃の競輪は〜」とか「あの頃はよかった」とか“今に自信のないこと”だけは言いたくないな。ジョークの範疇で、冗談や軽口が許される酒の席に留めたいね。

紙一重の勝負をモノにするために(撮影:北山宏一)

1番は「理想と現実」を知ることが大事

 それにしても変化に順応するのは簡単ではない。特に「分析力」と「柔軟性」が必要不可欠だと思っている。自分が走るレースもしかり、他選手のレースもしかり。自分のコンディションだってしかり。色々な要素をかき集め、細かく分析して『現実』を正しく評価しなくてはならない。その上で、固定観念に縛られずに頭を柔らかくして変化を求めなくてはいけない。「オレと真逆の意見だな。でも、この意見も頭に留めておくべきだな」とか「自力選手の考えを聞いてみようかな」とか。何事にも吸収する姿勢で臨まなければ、最適解など永久に見つからん。柔軟に、決めつけず、謙虚に。

 そう心がければ、今まで大切にしてきた考え方を疑う必要だって出てくる。オレが長いこと「理想の追い込み選手像」と思ってきたことが、レースでマイナスに働いていることにも気がつくからだ。もちろんケースバイケースでだけどね。例えば、自力選手を追走している時に「1ミリも離れたくない」というのがオレの信念でありルール、第一条件。前との連結を外さないことに脚力のすべてを使い、その結果ゴール前でエンプティになるのなら仕方なし。次はエンプティにならないように練習に励もう、と納得できるわけさ。

追走時には自分に課しているルール、理想がある(撮影:北山宏一)

 ただし、ここ最近は少し違う。なぜなら「多少は前と離れてでも自分の余力を大事にする」が正解のレースもあるからだ。こだわりや培ってきたもの、信念や美学を捨てることも必要に迫られている。そんな中で真逆の判断が正解なレースもある。“ここ一番”とばかりに自分を信じ抜いて、培った経験を武器に勝負しなければいけない場面もある。「理想と現実」を徹底的に理解して、その都度の最適解を瞬時にパフォーマンスしなくてはいけない。難しいことだが、GIタイトルを獲るためには、避けては通れない部分だろう。

レジェンド・神山雄一郎の存在

 そんな変化に身を置いて戦っているとき、共同通信社杯で神山さんに会えたことはデカい。その存在は大きく、話すだけでも多くの学びがある。「慎太郎の立場ならこう考えればいいんじゃねえの?」とか「その考えでいいと思うよ。わからねえけど(笑)」とか、雑談でも何でも、質問すれば出し惜しみなくフランクに応えてくれる。自分が悩んだり迷ったりするときに指標になるというか、競輪との向き合い方を教えてくれる先輩だ。

 神山さんもずっと走っている。オレよりも長いこと選手として自分と向き合っている。とんでもねえ実績を積み上げてきた“レジェンド”なのに、どんな時も過去の栄光ではなく、いつだって「今の目標」に最善を尽くして戦っている。それでいて苦しい顔も見せず、競輪を思い切り楽しんでいる。時代のせいにもしないし、歳のせいにもしない。イメージ通りに走れない瞬間だってあったことだろう(ない可能性もあるが)。それでも何一つ投げ出さない競輪選手。周囲の変化や年齢を理由に投げ出さない。今のオレにとって、こんな先輩は最高にありがたい。

レジェンド・神山雄一郎(撮影:北山宏一)

 今回、オレは一次予選で神山さんと対戦した。「宇都宮」と「神山雄一郎」と来れば、オレにとって競輪選手になることを決意した光景に他ならない。1993年のオールスター競輪。高校生のオレは宇都宮で決勝を観戦していた。「競輪選手になりたいな」とフワッと思っていた頃。神山さんがGI初タイトルを獲り、表彰台で賞賛されている姿をオレは金網越しに見ていた。それでフワッとした気持ちがピークに達して固まり、「決意」になったわけだね。

 今回、神山さんと走る前の選手控室で、当時の表彰台シーンが頭をよぎった。もうこれまで何度も一緒に走っているわけだし、今ではトレーニングアプリのフレンドとしても日常的に顔を合わせている。だから感慨深い気持ちはない。感動的な気持ちでもない。だが、31年前に競輪選手になろうと決意させてくれた選手と当地でやり合うわけだからね。“ちょっと嬉しい”わけよ。まもなくのレースでバチバチに敵になるんで、思い切り嬉しいとかはない。でも“ちょっと嬉しい”わけよ。「競輪は素晴らしい」と実感する瞬間だったりする。

レース前に“31年前”を少しだけ(撮影:北山宏一)

必死の毎日を経てGI寛仁親王牌へ

 この時期になると賞金ランキングの話題が過熱する。グランプリ出場圏のボーダーラインへの意識も高まりがちな季節だ。だが、去年までと違って今年はまったく気にならない。GI決勝も一度だけ、記念でも決勝に乗れないケースが何度もある。S級S班の追い込み選手としての責任を果たせていない。現在のランキング13位に特別な感想は持っていなくて、事実として腹落ちするものがある。『佐藤慎太郎、追いつめられる!』って順位なのに(笑)。活躍しないことにはグランプリに届かないことを完全に理解しているので、追いつめられている感もない。

 2003年〜2006年にグランプリを走っていた頃の第一次佐藤慎太郎時代に責任感がのしかかったり、変に注目されたりして、「重いなあ」と少々面倒に感じたことがあった。否、その後に大ケガをして、グランプリ選手ではなくなり、GIを走れなくなったときの気持ちを覚えている。ありがたさとか意義とかを痛感したっけな。だから上位の選手として戦っている時くらい100%を注ぎたいし注ぐべきなんだよね。あきらめてやるべきことをやらなければ、絶対にこの先もずっと後悔する。今はランキングがどうのこうのは考えられない。

先行選手の後ろで試行錯誤を繰り返していく(撮影:北山宏一)

 シリーズ中、神山さんに心肺トレーニングの話を投げてみた。「強くなるためには必須なんですけど、本気で寿命縮めている感覚になりませんか?インターバルトレーニングやると突然心臓が止まるんじゃねえかってくらい苦しい時あるんすよ」って。そしたら神山さんが「年取ってから心臓痛めつけてんだから、練習中に心臓が止まっても、それはそれでしゃあねえべよ」と平然な顔で言うのよ。「慎太郎もそう思ってるっしょ?」と満面の笑みを浮かべて言い放ってきてくれるわけ。

 もちろん、いつもオレは心臓が止まっちまうくらいにやっていいと思ってここまで来た。たまにその考えが狂ってるのかなと思うときもある。だが、最高にクレイジーなレジェンドが「練習中に心臓が止まっちまったらしょうがねえべ!」と言い切るわけで、心強い限り。引き続き“必死”の覚悟でやろうと思う。

「誰よりも命懸けで追い込んだ」という自信を持ってオレは寛仁親王牌へ行く。あきらめるのはすべての結果が下されたときだけだ。GIタイトルを目指す気持ちに何ら変わりはない。いつも通りに行こう。

脚質「追込」選手の中でトップのランキングも「ランキング云々の前に意識することが山ほどある」と一蹴した(撮影:北山宏一)

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佐藤慎太郎公式ホームページ
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佐藤慎太郎

Shintaro Sato

福島県東白川郡塙町出身。日本競輪学校第78期卒。1996年8月いわき平競輪場でレースデビュー、初勝利を飾る。2003年の全日本選抜競輪で優勝し、2004年開催のすべてのGIレースで決勝に進出している。選手生命に関わる怪我を経験するも、克服し、現在に至るまで長期に渡り、競輪界最高峰の場で活躍し続けている。2019年には立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ2019で優勝。新田祐大の番手から直線強襲し、右手を空に掲げた。2020年7月には弥彦競輪場で400勝を達成。絶対強者でありながら、親しみやすいコメントが多く、ユーモラスな表現でファンを楽しませている。SNSでの発信では語尾に「ガハハ!」の決まり文句を使用することが多く、ファンの間で愛されている。

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