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伝説ヤマコウ 炎のレース展望

【ヤマコウ特別コラム】ラインの起源と現在の風潮について

2021/07/11 (日) 12:00 23

 こんにちはヤマコウです。

 福井競輪開設71周年記念不死鳥杯争奪戦は、(山口)拳矢(岐阜・117期)が決勝に乗ったので「炎のレース展望」はお休みし、「森田の後ろを郡司が回ること」に関して綴ります。

 先日、佐藤慎太郎(福島・78期)が「松浦(悠士)や平原(康多)とかに付くと『節操ねーな』とファンに言われるんだよ。そうじゃないのに…」とボヤいてました。

 今の競輪はライン戦が主流です。

 ライン戦の始まりは中野浩一さん(元選手・世界選手権10年連続優勝・福岡35期)の出現でした。それ以前は、強い先行選手の後ろには横が強いマーク選手が付いて、何となく「ライン」という概念ができていましたが、まだ確立はしていません。

 中野さん強すぎるあまり、束になって戦わないと勝負にならない。そこで「フラワーライン」というのが出来ます。

 千葉に「房総フラワーライン」という街道があって、そこで練習を積んでいた山口国男さん(元選手・東京24期)や、弟の山口健治さん(元選手・東京38期)、吉井秀仁さん(元選手・自称プロ車券士・千葉38期)達が「中野をやっつけようぜ!」とチームを組んで対抗したのが始まりです。

 健治さんや吉井さん、実はすごい人なんです! 東京と千葉が入り交じってタッグを組むのですから、今では考えられませんよね。それがライン戦の始まりです。これを経て、『フラワーライン』が地域ごとに形成されます。

 私が現役の時は、戦法にこだわりがある選手が多く、勝つ為に先行したり、勝つ為に横で勝負するマーク選手がたくさんいました。

 代表的なのが村上義弘(京都・73期)です。

 彼は滝沢正光さんに憧れて競輪選手になっただけあって、先行に強いこだわりを持っていました。「先行日本一」を目指すから、先行選手が相手の時は残り2周からでも突っ張って潰す。次に対戦するときも潰す。それを繰り返し、村上相手に先行争いを挑まなくなった時、彼は「勝った」と思ったらしいです。

 当時の村上が先行争いしたのは、彼が認めた先行選手だけです。根底には強い「個」がありました。

 これは私の見解ですが、村上が番手を回るようになってライン戦というのが変わってきたと思います。年齢を重ねて、自分の戦法を貫くことは若手が萎縮する原因なのではないか。それなら番手を回ろうか…と。

 村上の「別線」の本意は「俺は先行選手だからお前の後ろは回らない」なのに、「番手に付かない」が一人歩きして若手選手がますます萎縮する構図ができ、「お前は先行選手じゃないから付かない」という間違った解釈になってしまったのだと思います。

 当の本人は「違う」と思いながらもオッズの一番人気に応えなければならず、番手で1着を目指す。それが、あの苦しそうな1着インタビューに現れているのではないでしょうか。

 村上は、自分が意地を張って若手が萎縮するなら「近畿地区の若手選手には任せよう」とどこかで割り切ったのだと思います。それが全国に広がり、地区の主力選手は「他の地区には付かない」みたいな風潮が始まったと思います。

 先ほどの慎太郎の話に戻りますが、私は、地区が違っても1着の可能性が高い方に付いていいと思います。だって、1着を目指して苦しい練習をしているのですから…。

 慎太郎は横に動いてブロックするし、前を走る選手も心強いでしょう。そうやって先行選手が育ち、回り回って自分の成績に繋がっていくと思います。

 私は、番手選手が若手を育てると思っています。番手の仕事とは、先行選手と共にワンツーを築き上げ、前を走る選手に「残してもらった」と思わせることです。

 決勝は森田優弥(埼玉・113期)の番手を郡司浩平(神奈川・99期)が回りますが、森田、郡司、古性、拳矢の4分戦の方が個性が出て面白いような気もします。郡司の前で走ることを志願した森田の走りと、迷いながらもその後ろを回る決意をした郡司の連携に注目したいと思います。

 番手まくりではなく、個と個の戦いが見たい。先行にこだわるのなら主導権争い。マークにこだわるのなら番手争い。

 私はこだわりのある選手が一番最強だと思っています。

 ですから、今でも私の中では村上義弘は先行選手です。

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山口幸二

Yamaguchi Kouji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校62期卒業の元競輪選手。1988年9月に大垣競輪場でデビュー、初勝利。1998年のオールスター競輪で完全優勝、同年のKEIRINグランプリ'98覇者となる。2008年には選手会岐阜支部の支部長に就任し、公務をこなしながらレースに励む。2011年、KEIRINグランプリ2011に出場。大会最年長の43歳で、13年ぶり2度目のグランプリ制覇を果たし、賞金王も獲得した。2012年12月に選手を引退、現在は競輪解説者としてレース解説、コラム執筆など幅広く活動する。父・山口啓は元競輪選手であり、弟の山口富生(68期)、息子の山口聖矢(115期)・山口拳矢(117期)は現役で活躍中。

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