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すっぴんガールズに恋しました!

【渡部遥】本デビュー後は大敗の連続…「このままではクビになる」負の連鎖断ち切り、覚醒した22歳

アプリ限定 2024/07/30 (火) 12:00 23

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回は、昨年11月の本デビュー後初優勝から21場所連続で決勝進出中の新鋭・渡部遥選手(22歳・愛媛=122期)。ルーキーシリーズで優勝した渡部選手ですが、本デビュー後は大敗が続き一時は“クビ”を意識したといいます。突如“覚醒”した契機とは…。

幼少期の渡部遥と姉(本人提供)

陸上競技に打ち込んだ学生時代

 愛媛県松山市出身の渡部遥は、4歳上の姉と2人姉妹で育った。体を動かすことが好きで、小学3年生から陸上競技を始めた。走り幅跳び、三段跳びと跳躍種目を中心に活躍。中学校に進学してからも陸上に熱中し、県大会、四国大会に参加するほどだった。

 中学卒業後は松山市内の強豪校、聖カタリナ学園高等学校へ進学した。高校時代も部活中心の生活を続けた。

両親のすすめでガールズケイリンの道へ

 一方で、ガールズケイリンは小学生のころから知っていたそうだ。それは、競輪好きの父の影響だった。

「父は若いときから競輪ファン。車券を買うのが大好きで、自分も小さいころ松山競輪場へレースを見に行ったこともありました。小さいころからガールズケイリンの選手になればと言われていましたが、私は陸上が好きだったので…。高校2年生のとき、改めて両親から『真剣に競輪選手になることを考えてみたら』と言われました」

 それを機に松山競輪場へガールズケイリンを見に行ったというが、まだ陸上競技への情熱が強く、すぐに競輪選手を目指す決断はできなかった。

学生時代は陸上競技で活躍(本人提供)

 しかし転機が訪れる。渡部が高校2年生の冬から大流行した新型コロナウイルスだ。

「このころは高校3年生の夏のインターハイを目標にしていました。でも4月くらいから部活もできなくなったりして…。陸上競技への熱は少しずつ冷めていきました」

 世界中が混乱に包まれたパンデミック。不要不急の外出は禁じられ、渡部も家にいることが多くなった。自然と将来について考える時間が増え、『競輪選手を目指してはどうか』という気持ちが膨らみはじめた。

「大学進学して陸上競技をやるつもりはありませんでした。両親にずっと勧められていたガールズケイリンをやってみよう、と思いました」

 ガールズケイリン挑戦にあたり、周りの環境が大きな後押しとなる。父の知り合いが後に師匠となる野村典嗣の親戚だったのだ。話はトントン拍子で進み、野村に弟子入りしてガールズケイリンの選手を目指すことになった。

(撮影:北山宏一)

自転車競技未経験から養成所入りを目指す

 師匠の野村は渡部のために、道具などの準備にもすぐ動いた。同県の松尾智佳を通じて引退した1期生・山口菜津子にフレームを譲ってもらえないかと頼むと、山口も快諾。練習初日にはすでにガールズケイリンで使えるカーボンフレームの競技用自転車が用意されていたという。

 最初の練習はいまでも鮮明に覚えている。

「最初の練習は高校3年生の6月でした。街道練習だったのですが、初めて乗る競技用自転車は本当に怖かった。ママチャリとは全然違いました。ペダルに足が固定されているのが気持ち悪かった。バンク練習も怖かったです」

 慣れない競技用自転車に苦戦する日々。乗り始めはまったくタイムが伸びなかったが、師匠や練習グループの仲間のおかげで3か月後にはタイムが良くなってきたそうだ。

「師匠と養成所の試験は適性じゃなくて技能で受けようと話しました。自分も1回目の試験は場慣れする意味でも技能で受けてみようと思っていました。もちろん1回で受かるつもりだったけど、ダメなら何度でもチャレンジするつもりでした」

 そして迎えた日本競輪選手養成所122期の入所試験は、自転車経験の少なさが良い方向に作用した。

「1次試験はがむしゃらにやりきりました。今より風向きも気にしていなかったし、目いっぱい力を出し切ることだけに集中できました」

 持てる力をフルに発揮し、1次試験は無事突破。2次試験に向け、勉強モードに突入する。渡部は勉強を苦手としており、練習グループからは「練習に来なくていいから勉強して」と言われていたそうだ。せっかく1次試験を突破したのだからとストレート合格するためSPIの猛勉強に励んだ。

 勉強に打ち込んだ成果は実り2次試験も無事合格。晴れて養成所への切符をつかんだ。

「合格発表のときは松山競輪場にいました。そのとき師匠もプロ選手の道場にいたのですぐ挨拶に行き、これからよろしくお願いしますと伝えました。そしたら師匠も『よかったな! おめでとう!』って言ってくれてうれしかったです。その後は入所まで、高校の友だちと遊んだり、運転免許を取りに行ったり、楽しく過ごしました」

養成所の卒業式、同期の浜地晴帆と(本人提供)

 養成所生活は大変なことも多かったが、入所後にできた親友のおかげで乗り切れたと振り返る。

「122期は自転車競技出身者が多かったので、最初は1人でいました。でも隣の部屋が浜地晴帆さんで、浜地さんは年が1つ上だけど、陸上競技からの転向で自分と一緒だったので自然と話が合った。だんだん一緒にいる時間が多くなりました。朝練習や自主練習も一緒にやって、お互いの自転車に乗り合ったりといろいろ話しましたね。最初は心細かったけど、浜地さんがそばにいてくれたから乗り切れたと思います」

 122期はコロナ禍真っ只中に入所していた期で、外出も夏と冬の帰省もなく制限の多い1年間だった。だが徐々に高卒現役組や年長組とも仲良くなり、切磋琢磨しながら養成所生活を過ごした。

 卒業後は松山に帰り、アマチュア時代と同じように師匠のいる練習グループでデビュー戦に向けて練習を続けた。

久留米オールガールズで122期メンバーと

ルーキーシリーズVは「ラッキー」

 デビュー戦は2022年5月の松戸ルーキーシリーズ。5、3着で決勝進出を決めると、決勝でも3着とガールズケイリン選手として好スタートを決めた。続く2戦目は地元松山開催。3、6、4着と決勝に進むことができず悔しい思いをした。3戦目の大宮では3、5着で決勝へ勝ち上がると、決勝は最終バック7番手から大外を踏み込んで初優勝をつかみとった。

「松戸のデビュー戦はあっという間に開催が終わっていました。地元松山は応援がすごくて緊張したことだけを覚えています。3戦目の大宮はまさか優勝できるとは思っていなかった。決勝は流れ込み。ラッキーですよ(笑)。他の選手がモガキ合って展開が向いただけでした」

ルーキーシリーズ3戦目で優勝

 2か月の助走期間を終えると、いよいよ本格デビューだ。先輩レーサーたちとのマッチアップが始まった。

本デビュー後は大敗続きで“負の連鎖”

 迎えた7月高松の本デビュー戦。渡部は何もさせてもらえなかった。初日は前受けから突っ張るも最終ホームで當銘沙恵美に叩かれて6着。2日目は抑えにいくも前受けの矢野光世に突っ張られて7着。最終日は當銘沙恵美の逃げをまくって迫るも2着。一般戦では車券に絡むことができたが、ルーキーシリーズ優勝を引っ提げ本デビューした渡部にとってはほろ苦いデビューシリーズとなってしまった。

 その後も果敢に先輩たちの高い壁に挑んでいったが、阻まれ続け大敗が続いた。競走得点が落ちるとガールズケイリンのデッドラインと言われる47点を意識せざるを得なくなる。クビがちらつき、仕掛ける勇気を失ってしまうという負のスパイラルに陥ってしまった。

「最初は自力で頑張っていたけど、成績がどんどん落ちていってしまった。自分で動く自信がなくなり、どう走ればいいか分からず、気が付いたら隊列の一番後ろにいる…。そんな状態でいい成績は残せないですよね」

 なんとか9月の平塚で本デビュー後の初勝利と初決勝進出を決めたが、波には乗れず。浮上のきっかけはつかめぬまま、デビュー1年目は終了した。苦しい戦いを経ても、渡部は自力で戦うことにこだわりを持っていた。

「ガールズケイリンを目指したときから自力選手がカッコいいと思っていました。今トップで戦っている選手はみんな自力があります。競輪好きの父からも『自力で動きなさい』と言われてきました」

 養成所で見た2021年の静岡ガールズグランプリも、渡部に大きな影響を与えた。

「高木真備さんが自分で動いて優勝を勝ち取ったグランプリです。あの感動は忘れられません」

「このままではクビになる」危機感と覚醒

 2023年も2月高知、7月四日市では決勝に乗ったものの、思ったような自力は出せず、成績も低迷。ガールズケイリン選手のクビの目安と言われる競走得点47点を2023年前期には下回ってしまった(2023年前期46・60)。

「このままではクビになる」。尻に火が付いた渡部は同年夏頃から養成所入所を目指すアマチュアと一緒に中身の濃い練習をスタートさせた。10月は腰痛により1か月レースから離れてしまったが、しっかり休養もして11月の前橋に臨んだ。

 いざ、猛特訓の成果を見せるとき。自信を持って臨んだ1走目は4着で、最終ホームで前々に攻めるレースは明らかに休む前とは違っていた。2走目は打鐘過ぎからロングスパートを敢行し、後続に抜かれることなく1着。決勝もコレクション優勝3回の実力者・長澤彩を叩いて先行し、本デビュー後初優勝を飾った。

「師匠の練習とアドバイスのおかげです。余計なことは何も考えずレースに行って、とにかく力を出し切ることだけ考えて走ったら優勝ができた。この優勝で競走得点のことを心配しなくて良くなったし、ホッとしました」

同期の藤原春陽(右)と

 この優勝以降も、2024年7月の平塚まで21場所連続で決勝進出。すっかり強い選手に化けた印象で、自力を出しても勝てなかった渡部遥はすっかり姿を消している。

「以前は負け癖が染みついてしまっていた。負けることに慣れてしまって正直、大敗しても悔しく感じないような時期もありました。でも最近は負けることがすごく悔しい。車券の人気にもなっているので、簡単には負けられないという気持ちになっています」

 中心選手のひとりとしての自覚を持ち、ファンの車券に貢献する走りを意識している。

「練習でもレースをイメージしている。師匠は自分が疑問や課題に思っていることを聞くと答えてくれるし、足りない部分を補う練習をしてくれます。最高の環境でトレーニングができています」

 師匠の野村典嗣も渡部に期待を寄せる。

「初めて会ったときから(渡部遥は)恵まれた体格だった。試しにワットバイクへ乗ってもらったらスニーカーでいい数値を出したのでビックリしたのを覚えています。点数を落としていた時期もあったけど、今は大丈夫でしょう。ビッグレースで活躍できる力はあると思う。せっかく競輪選手になったのだし、いい景色を見てもらいたい。先行で勝負できるガールズケイリン選手は少ないと思うし、遥には頑張ってもらいたい。ダッシュ力が付いたら上でも活躍できると思います」

自力を磨きさらなるステップアップへ

 今年の1月から7月は優勝こそないが、決勝進出16回で準優勝が6回、決勝3着が6回。本デビュー後2度目のVまであと一歩の成績が続いているが、本人に焦りはない。

「決勝にコンスタントに乗れるようになって、上位選手との力の差を感じています。今の課題はトップスピードを上げることとダッシュ強化。そのために6月の松戸からフレームを変えました。サイズを小さくしたので、ダッシュの反応がよくなるようにしたい。もちろん優勝したい気持ちは強いけど、自分は優勝を意識すると結果がついてこないので…。今は自分のできることをして、後から結果が付いてくればいいと思っています」

 今は焦らず、逃げて逃げて力を付けていく時期だ。渡部遥が憧れる高木真備もデビュー当時は逃げてはまくられ、逃げてはまくられを繰り返し、限界を突破するまでもがいていた。レースが終わっても検車場で倒れるまで練習する高木の姿を何度も見たものだ。あの力を出し切るレースがあったからこそグランプリ、コレクションの優勝につながったはずだ。

 渡部遥には恵まれた体格から繰り出す強烈な自力脚がある。今は自力を磨いて、トップレーサー入りを目指してもらいたい。

愛犬と過ごすのが一番の癒しだという(本人提供)

ふたつの目標掲げ後半戦へ

 後半戦の目標は地元松山での優勝と、来年4月に岐阜で行われるGI・オールガールズクラシックの出場権獲得だ。

「松山は今年の前半に3回も呼んでもらったのに全部準優勝でした。今度呼ばれたときは優勝したいですね。あとはGI。今年4月の久留米でオールガールズクラシックの前半のシリーズ戦を走りましたが、GIを走っている選手たちは格好良かったです。緊張感もすごかったけど、自分もあの舞台で走ってみたいと思いました」

 7月に松戸で行われたガールズケイリンフェスティバルは尾方真生の逃げ切り優勝で大きく盛り上がった。ガールズケイリンは単調で面白くないという意見もあるが、今年の後半戦、渡部遥の先行力がガールズケイリンを面白くしていく可能性は高いはず。さらなる成長に注目だ!

(撮影:北山宏一)

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松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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