2024/01/15 (月) 18:00 40
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが和歌山競輪場で開催された「和歌山グランプリ」を振り返ります。
2024年1月14日(日)和歌山12R 開設74周年記念 和歌山グランプリ(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①東口善朋(85期=和歌山・44歳)
②坂井洋(115期=栃木・29歳)
③山田英明(89期=佐賀・40歳)
④永澤剛(91期=青森・38歳)
⑤寺崎浩平(117期=福井・30歳)
⑥藤田勝也(94期=和歌山・35歳)
⑦阿竹智史(90期=徳島・41歳)
⑧山口敦也(113期=佐賀・26歳)
⑨古性優作(100期=大阪・32歳)
【初手・並び】
←⑤⑨①⑥(近畿)②④(混成)③⑧⑦(混成)
【結果】
1着 ⑨古性優作
2着 ①東口善朋
3着 ⑤寺崎浩平
1月14日には和歌山競輪場で、和歌山グランプリ(GIII)の決勝戦が行われています。S級S班でこのシリーズに出場していたのは、佐藤慎太郎選手(78期=福島・47歳)と古性優作選手(100期=大阪・32歳)の2名。近畿地区で開催される記念ですから、ここは当然ながら古性選手が“主役”です。古性選手にとってこれが今年初のシリーズですから、そういう意味でも注目を集めますよね。
そんな古性選手は、初日特選を快勝。ここで近畿ラインの先頭を任されたのが寺崎浩平選手(117期=福井・30歳)で、レース後に古性選手は寺崎選手について「今年、近畿地区のキーマンとなる」と語っています。寺崎選手は昨年、ナショナルチームと強化指定選手から籍を抜くことを決断。今年から競輪に専念することになったというのが、古性選手がこのようにコメントした背景にあるのでしょう。
初日特選では積極的に主導権を奪って、他地区を完封。その上で自身も3着に粘り、近畿ラインによる上位独占という最高の結果へと導きました。その後も、二次予選で2着、準決勝で3着という結果で決勝戦に勝ち上がり。けっして楽ではない展開のなか決勝戦まで駒を進めてきたあたりに、今年にかける気持ちの強さが感じられましたね。デキもかなりよかったのではないでしょうか。
佐藤選手は残念ながら、準決勝で4着に敗退。決勝戦にもっとも多く駒を進めたのは近畿勢で、地元である東口善朋選手(85期=和歌山・44歳)と藤田勝也選手(94期=和歌山・35歳)も勝ち上がりを決めました。決勝戦は、先頭が寺崎選手で番手を回るのが古性選手、3番手が東口選手で4番手を固めるのが藤田選手という、初日特選とほぼ同じ並びで勝負することに。言うまでもなく、かなり強力なラインナップです。
九州勢は、山田英明選手(89期=佐賀・40歳)と山口敦也選手(113期=佐賀・26歳)が勝ち上がり。デキのよさが目立っていた山田選手が前で、山口選手が番手を回ります。そして「単騎でやっても厳しい」と、その後ろにつくのを選んだのが阿竹智史選手(90期=徳島・41歳)。車番に恵まれなかったここは後ろ攻めからの組み立てになりそうで、自分たちに有利な展開をいかに作るかが問われる一戦となりそうです。
坂井洋選手(115期=栃木・29歳)は、準決勝でも連係していた永澤剛選手(91期=青森・38歳)とのコンビで勝負。自力もあるとはいえ、強力な近畿勢と主導権を巡ってもがき合うような展開は避けたいところです。となれば、ここは中団からの捲りを主体にレースを組み立ててくるはず。山田選手がどう動くか次第では、こちらに追い風が吹くようなケースも考えられそうです。
それではそろそろ、決勝戦のレース回顧といきましょうか。スタートの号砲が鳴ると、1番車の東口選手と2番車の坂井選手、3番車の山田選手が積極的に前へと出ていきました。こうなると当然ながら、車番が内の選手のほうが有利。1番車の東口選手がスタートを取りきって、近畿勢の前受けが決まりました。その後も車番のとおりに、坂井選手が先頭の混成ラインが中団5番手、山田選手が7番手となります。
この初手の並びは、レース前に想定されていたものとまったく同じ。山田選手は後ろ攻めを避けたかったのでしょうが、残念ながら叶いませんでしたね。その後は静かに周回が重ねられて、後方となった山田選手が動き出したのは、青板(残り3周)周回の後半になってから。ゆっくりとポジションを押し上げていって、まずは先頭の寺崎選手を、外から抑えにいきました。
中団にいた坂井選手は、切り替えてその後ろに移動。近畿勢に外からフタをするようなカタチで、赤板(残り2周)のホームを通過します。そして先頭誘導員が離れると同時に、山田選手が前を斬って先頭に。寺崎選手はいっさい抵抗せずに引いて、そのまま後方までポジションを下げていきます。その後は誰も前を斬りには動かず、互いに様子をうかがいながら赤板後の1センターを通過して、バックストレッチに入ります。
山田選手は「自分の次に坂井選手が前を斬って、その後に寺崎選手が仕掛ける」カタチを狙っていたのでしょうが、思惑どおりにはいきませんでしたね。中団が坂井選手、後方に寺崎選手というポジションになって、ペースが緩んだままでレースは打鐘を迎えます。それと同時に後方から、寺崎選手が進撃を開始。一気のダッシュではなくジワッとした加速で、主導権を奪いにいきます。
寺崎選手は、打鐘後の2センターから全力で踏み始め、先頭の山田選手に襲いかかります。山田選手もそれに食らいつこうと踏みますが、全力ダッシュに移行した寺崎選手の加速は素晴らしく、最終ホーム手前で近畿の4名が出切って、主導権を奪うことに成功。その後も非常にかかりのいい逃げで、後続との差をみるみるうちに開いていきます。最終ホーム通過時で、中団の山田選手との差が4〜5車身ほどありましたね。
ここまで差が開いてしまうと、後方となった坂井選手はもちろん、中団の山田選手もかなり厳しい。寺崎選手はその後も、まったくスピードを落とさずに最終1センターを回ってバックストレッチへ。必死に追いすがる山田選手との差は、詰まるどころかさらに広がっています。近畿勢の番手が古性選手であるのを考えると、もうこの時点で「勝負あった」といえます。
バックストレッチに入ったところで後方の坂井選手が仕掛けますが、この時点でも隊列が縦に長く、先頭の寺崎選手はそのとき最終バックの手前にいるような状況。寺崎選手の番手にいる古性選手は、最終3コーナー手前で後方の位置を確認しつつ、前との車間をきって差しにいく態勢を整えます。この時点でも、近畿勢と後続の差は5車身以上。近畿勢の上位独占がほぼ確実という隊列で、最終2センターを回りました。
後方から捲った坂井選手はこの時点でも、前から遠く離れた山田選手の外という位置。先頭を疾走する寺崎選手のスピードが、いかに落ちていないかがうかがえますね。それとは対照的に、中団の山田選手はまったく伸びないまま。そして、最終2センター過ぎから古性選手が早々と前へと踏みこみ、寺崎選手を差しにいきました。自分をマークする東口選手にも、十分にチャンスがあるよう配慮した仕掛けでしたね。
そして最後の直線。寺崎選手もいい粘りを発揮していましたが、古性選手はそれを一気に捉えて先頭に。地元記念での優勝がかかる東口選手も、古性選手の後ろから伸びてきます。さらにその後ろからは藤田選手も前を追いますが、古性選手や東口選手を捉えられるような勢いはなく、こちらは寺崎選手との3着争いになりそう。優勝争いは、古性選手と東口選手のどちらかに限られました。
東口選手が古性選手との差をジリジリと詰めるも、ゴールラインで凱歌があがったのは古性選手のほう。先日の大宮記念と同じく、決勝戦で唯一のS級S班が、力の差をみせつけて快勝する結果となりました。2着は東口選手で、逃げた寺崎選手が粘りきって3着を確保。4着に藤田選手で、そこから2車身差の5着に坂井選手。上位を独占した結果はもちろん、内容的にも近畿勢の完勝といえます。
強かったのは逃げた寺崎選手で、古性選手が「藤田選手まで確定板に載せる」ような仕掛けをしたにもかかわらず、3着に粘ったのですから立派なもの。藤田選手はここで競輪祭の権利を取りたかったでしょうが、これは粘った寺崎選手のほうを褒めるしかない。同様に東口選手も悔しい2着だったと思いますが、あの展開でいまの古性選手を差すのは、本当に厳しい。「悔しくはあるが致し方なし」といったところでしょう。
ライン戦で完敗した坂井選手と山田選手については、「他力本願だった」のがこの結果の背景にあるでしょうね。強力な近畿ラインと自力で張り合うと、自分のほうが潰されてしまう可能性が高い。だから、坂井選手は山田選手に、山田選手は坂井選手に「近畿勢と絡んでくれ」と願いながら走ったわけですが…それが結果的に、近畿勢が力を出しやすい展開につながってしまっている。
とはいえ、近畿勢以外はどちらも混成ラインですから、「寺崎選手ともがき合いになってでもラインから優勝者を出す」走りはしづらい。そういった状況を作り出したのも古性選手で、準決勝で自身の1着よりも近畿ライン全員の勝ち上がりを優先したことが、この結果につながっているんですよ。そういう意味でも、このシリーズの“主役”はやはり古性選手だった。ここでは役者が違うといった印象でしたね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。