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競輪界の代謝サバイバル

強制引退から1年… ガールズケイリンの黎明期照らした1期生・田中麻衣美さんが明かす“唯一の心残り”

アプリ限定 2023/12/03 (日) 12:00 84

ガールズケイリン1期生として2012年にデビューした田中麻衣美さん。元モデルという異色の経歴とその美貌で注目を集め、レースに出場する傍らガールズケイリン普及に努めた。2022年7月に代謝制度により強制引退。キャリア終盤は代謝争いとリセットを繰り返す苦しい戦いが続いたが、自転車競技未経験からのデビューにも関わらず10年間の現役生活を全うした。(取材・構成 netkeirin編集部)

2022年7月に引退した田中麻衣美さん

引退から1年… 競輪関係の仕事も

 2022年7月の選手登録消除から、1年ちょっとが過ぎた。練習とレースを繰り返した“勝負の世界”から退いて、麻衣美さんは今、どんな生活を送っているのだろうか。

「練習することがなくなって、もう運動もほとんどしなくなりました(笑)。競輪場やYouTubeで予想の仕事をしたり、師匠のラーメン屋さん(弥彦競輪場内にある「ラーメン輪」)のお手伝いをしたり、まだ競輪界に携わらせていただいています。選手になる前もしていたエステティシャンの仕事もしています」

 引退した直後には「お声がかかれば競輪の仕事も…」と話していた麻衣美さん。実際には知り合いの元選手などから連絡が入り、競輪関係の仕事が舞い込んできたという。現役時代も競輪の普及に尽力してきた麻衣美さんだが、今はどんな思いで競輪界に関わり続けているのだろうか。

「今は、恩返しですね。選手ではなくなったけれど、違ったところでお役に立てたらと思っています」

 競輪場やネット配信で車券予想にも挑戦しているが、手応えは…?

「まだ勉強中です(笑)。男子選手のレースは展開も全然わからなくて、お客さんに教えてもらったりもしています。引退してファンの方との交流も増えたので、楽しく勉強させてもらっていますよ」

 謙虚ながらも8月のオールスターの予想会では的中を連発し、ファンに貢献したのだそう。

「車券を買うと当たらなかったりするんですけどね(笑)。でも予想をしてみてファンの方の気持ちがわかるようになりました。この選手来てほしいな〜、とか」

「最初に引退するだろう」と言われて

 選手時代と変わらない明るさが印象的な麻衣美さん。もともとは弥彦競輪場でデモレースをする女性チーム『すぴRits』に所属し、PR活動をしていた。自転車競技の経験はなかったが、ガールズケイリン発足を機に選手を目指す決断をした。

「そこから選手になったのは私だけです。みんな脚が太くなるのが嫌だったみたい(笑)。私は当時ブライダルモデルをしていたのですが、脚がちょうど見えない衣装だったので特に気にはなりませんでした」

初代ポスターモデルに起用され、ガールズケイリンのPRにも貢献した(本人提供)

 志をともにした加瀬加奈子らとともに、池端将巳さんに弟子入り。池端さんは「(すぴRitsから選手を出そうと)みんなに持ち上げられて選手を目指すことになって… 正直そんな甘い世界じゃないぞ、と思いました」と当時を振り返る。それでも麻衣美さんは信念を貫き、ガールズケイリン1期生としてデビューを果たした。

「(すぴRitsからは)私がやるしかないかな、という雰囲気もありました(笑)。当時は一番最初に引退するだろうって言われていて。絶対そんな風にはならない、と逆に燃えましたね」

 師匠の池端さんから、1勝するまで恋愛禁止(!)を言い渡されていたそうだが、翌年には初勝利を挙げた。10年間で通算4勝と勝ち星は少なかったものの、80万円を超える特大万車券を提供をしたこともある。

「忘れられないレースはたくさん。初めての1着もそうだし、いわき平の1着同着もですね」

現役時代の麻衣美さん(photo by Shimajoe)

代謝制度の開始と繰り返した“延命”

 一方で、2014年後期にガールズケイリンで代謝制度が始まってからは苦しい戦いが続いた。ガールズケイリンでは、3期連続(1年半)で競走得点47点を切ってしまうと代謝対象となり、3期の平均競走得点で下位3名が強制引退となる。

「正直こんなに早く代謝制度が始まるとは、と思いました。それまではがむしゃらに先行したり、自分で動かなきゃと思ってレースをしていたけど…。師匠にも『もっと自分の脚力を考えて走らないとすぐにクビになるぞ』と言われて」

 シビアに競走得点を意識する走りを強いられた。ガールズの“デッドライン”と言われる競走得点は47点で、審査2期目(半年)までは期末に47点取れると審査期間がリセットされ、新たに1年半の現役生活が保証される。

「2期目までは(リセットになる)47点を取らなきゃと思ってやっていて。3期目になってしまうと3期の平均得点で比較されてしまうので、自分は厳しい。だからリセットは意識していました」

 実際に何度も点数リセットで選手人生を“延命”していた麻衣美さん。綿密な計算など、何か攻略法があったのか? と思ってしまうが…。

「師匠と一緒に点数は計算はしていました。切羽詰まってくると『この開催で初日4着以上が取れなかったら帰ってきた方がマシだぞ』と言われてしまうんです。私は最終日まで走ると決めて開催に入っていたので、すごいプレッシャーでしたけど、不思議とそういうときに4着以上が取れたんです」

 厳しい戦いをしのぎ、結果的に10年間の現役生活を送ることができた。他の選手が代謝制度で引退していくのを、どのような心境で見送っていたのだろうか。

「今回は彼女たちの番だっただけで、いずれ私にもその順番が来ると… そういう世界なので。『次は自分の番だ』と思っていましたね」

ラストラン後、“唯一の心残り”

 現役最後の半年間となった2022年前期は、ガールズ選手の中で競走得点最下位でのスタートだった。危機的状況を迎え、覚悟を胸に走っていたという。

「最後まで諦めずに走るというのは決めていました」

 真っ直ぐな瞳で選手生活終盤を振り返る麻衣美さん。西武園競輪のモーニング開催でラストランを迎え、最終日は3着。記憶に残る走りで有終の美を飾った。

「これが最後なのか、もう走れないのか… って。本当はお客さんの前で走りたかったです。県外から足を運んでくれた方もいたと聞いているので、最後の走りを見てほしかったな、というのはあります。私が一般戦回りになってしまったから…。そこだけ悔いが残ってしまいました」

ラストランを終え、ほっとした表情を浮かべる麻衣美さん

 麻衣美さんが最後に走ったレース(ガールズ一般戦)は朝9時台の発走だった。まだ本場は開場しておらず、無観客でのレース。ガールズ決勝は有観客だったため、「決勝に進出できていれば」と悔しそうな表情を浮かべた。

「終わった日に師弟で小川(隆)さん(アマチュア時代から指導を受けていた)のところに行きました。もう最後だってわかりながらも毎日練習に行っていて、小川さんからは1日でも長く選手をさせたいっていう気持ちが伝わってきていたので、申し訳なくて顔が見られませんでした」

 腹を括って最後まで走りぬいたが、実際に強制引退が決まると自責の念に駆られたという。

「本当に申し訳ないっていう…。私だけじゃなくて、みんなの気持ちがあったから。小川さんも池端さんも、加瀬さんも、お世話になった人たちが『絶対残って』と応援してくれていて、それに応えられなかった… それが苦しかったです」

1期生・加瀬加奈子との絆「俺がその自転車で走る」

 加瀬加奈子といえば、麻衣美さんの引退直後に行われた初のオールガールズ開催(平塚)で、麻衣美さんのフレームを持参しレースを走ったことが話題となった。経緯を聞くと、麻衣美さんの表情はパッと明るくなった。

「ラストランの後に『その自転車で平塚走るから』って言われて。サイズも違うし身長も違うし、レースまで時間もないし無理ですよって言ったんですが『どうでもいい、俺がその自転車に乗る』って(笑)」

 麻衣美さんの自転車には、愛犬ビビちゃんの名前が刻まれている。

「周りの人のほうが『思い出の自転車なのにいいの?』って(笑)。でも、加瀬さんが私の想いも一緒に乗せて平塚で走ってくれて嬉しかったです」

新潟の1期生・加瀬加奈子(右)、藤原亜衣里(左)とともに(photo by Shimajoe)

 2012年のガールズケイリン発足会見をはじめ、様々なイベントで肩を並べてきた二人。弥彦が生んだ1期生の絆は、固く結ばれていた。

“職業”としてのガールズケイリン選手

 社会人を経て選手になり、10年の現役生活を全うした麻衣美さん。職業としての“ガールズケイリン選手”の魅力を聞いた。

「選手は個人事業主ですから、すべてが自分次第なので自由です。頑張れるかどうかも自分次第だけど、頑張っただけ稼げますし、グランプリに出るくらいになれば年収何千万円という世界。夢のある仕事だと思いますよ」

 では、苦しい部分や覚悟が必要な部分とは何だろうか。

「日々の練習もそうですし、ずっと努力しないとなかなか上には行けない。忍耐力は必要だと思います。まだ級班分けもないので、トップ選手とも一緒に走らないといけない。食らいついていけるかという部分はあります」

 そして競輪選手は、ケガはなかなか避けて通れない。競輪場では野次を飛ばされることもあるだろう。

「ケガをしてしまうと収入がなくなる。休んでいると体力も落ちるので、すぐ治して復帰しないといけないのも大変ですね。ケガさえなければ本当にいい仕事だけど、こればかりは…。野次は自分に期待してお金を賭けてくれていると受け止めていました。女子選手は傷ついてしまう人も多いんですが」

 それでも、“スポーツを仕事にしたい”と思っている人にはぜひガールズケイリンを勧めたいと語る。

「私もそうですけど、いろんな経歴の人がいるので。出産をして復帰している人もたくさんいるし、長く続けることもできる競技。一度競輪場に来て、トップレーサーの迫力あるレースを観てもらいたいです」

同期と後輩たちに託す想い

 引退後のイベント出演や、弥彦競輪場内にある池端さんのラーメン店での接客を通じて、競輪ファンとの距離が縮まったと話す麻衣美さん。

「ファンの方の熱意をより感じるようになりました。選手時代もわかっているつもりだったけど、それ以上に。車券が当たる嬉しさ、外れた時の悲しさも知って、選手の喜びや苦しみも、ファンの方の気持ちも両方わかるようになりました」

師匠・池端将巳さん(左)のラーメン店「輪」を手伝うことも

 競輪選手としての10年間を経て、人間としての成長も感じたそうだ。

「なかなか経験できないことをさせてもらったなと思います。競輪選手だったというのはとても貴重な経験。忍耐力もそうだし、いろんな意味で強くなりましたね。度胸もついたし、いろんな場面で臨機応変な立ち回りができるようになったかな」

 師匠の池端さんも、麻衣美さんを「どこでもうまくやっていける器用な人」と評する。取材を通じて感じたのは、麻衣美さんは周りを明るく照らすような人だということだ。

 同じ1期生の小林莉子は、ガールズケイリンが始まった当初「“3年で終わる、持って5年”と言われていた」と明かしていた。けっして順風満帆ではなかったガールズケイリンの黎明期を照らしたひとりが田中麻衣美さんであったことは間違いない。

「ガールズケイリンが長く続いていってほしいです。今が12年目、まだいろいろな課題があると思うんですが、制度を整えることで選手寿命も延びて、競輪界が盛り上がるといいなと願っています」

 厳しい制度で選手を退いても、変わらない笑顔で競輪界を見守る麻衣美さんの想い。今も現役で走る1期生と後輩たちが、ガールズケイリンの未来を紡いでいく。

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