2021/08/14 (土) 18:00 6
レース観戦や車券購入の際の予想に欠かせない「競輪のライン」。競輪とは無縁の競馬ライターがあるきっかけで「競輪のライン」を理解するため、競輪のトップ選手に突撃取材。その結果は如何に!?
(取材・構成=ナカムラアツシ)
自分は、競馬サークルを生業の場としているライターである。我が家の財政上、ほかの公営競技に手を出すことを妻に固く禁じられてきた僕は、競輪とは無縁のまま不惑を迎えようとしていた。が! 出会ってしまったのだ……。競輪を溺愛すること45年、競馬界屈指の競輪ファンとして名高い「矢作芳人調教師」に。
ある日、矢作師は言った。
「ラインこそが競輪の醍醐味だし、それこそが競輪の歴史なんだ。昔、中野浩一を倒すべく、地区を超えたフラワーラインというのが形成されてだな、みんなで力を合わせて中野を倒しにいったんだ。当時の中野は、そうじゃないと倒せないくらいに強くて……」
ちょ、ちょっと待ってください、矢作先生。僕でもさすがに中野浩一さんは知っていますが、ラインてなに⁉ フラワーラインてなになに〜⁉
ということで、矢作師によるライン講座に耳を傾けること数時間。競馬においても、競走馬以上にジョッキーたちの光と影に興味津々な僕は、矢作師から語られる男たちの熱いドラマにすっかり魅了されてしまった。たとえるなら半沢直樹的な……いや、違う。競輪に悪人は登場しない。そうだな、ラインをたとえるなら下町ロケットのほうが近いな。仲間と力を合わせ、戦術を練り、技術を駆使して“勝ち”を取りにいくーー。わずか数分にそんなドラマが凝縮されていることを知り、俄然、競輪のラインという仕組みに引き込まれていったのだ。
「去年も3人の選手たちが結束して、ひとりの圧倒的な存在の選手を倒したレースがあるよ」とは矢作師。聞けば、昨年8月に名古屋競輪場で行われ、松浦悠士選手が優勝したオールスター競輪(GI)の決勝だという。
「原田研太朗、松浦悠士、柏野智典で中四国ラインを組んで、脇本雄太という圧倒的な存在に挑んでいった。なかでも原田と松浦は同期。最初は原田のほうが強かったんだけど、松浦が実力で追い越したという背景がある。原田という選手がすごいのは、今は自分よりも松浦のほうがはるかに強いということを認めて頑張っていること。決勝では、その原田がものすごい男気を見せたんだ。いぶし銀の柏野が3番手を守って、それはそれは見応えのあるレースだったよ」
僕はその後、初めて競輪のイロハに触れ、何度も何度も何度も何度もそのレースを見た。各選手の背景や歩みはわからなくても、3選手の闘志溢れる走りを目の当たりにし、とにかく胸が熱くなった。原田選手はどんな思いで逃げたのか、柏野選手はどんな思いで体を張って他のライン勢をブロックしたのか、そして勝った松浦選手の「ラインの力で勝てました!」というレース後の言葉の意味ーー。猛烈に、それらを知りたいという思いに駆られた。
ある日、そんな感想を気の向くままに話していたところ、度々お世話になっているnetkeibaさんから、「3選手を取材して、初心者目線からラインの面白さや熱さをnetkeirinで書いてみませんか?」というまさかのご依頼が。いやいや、自分はド素人ですたい。そんなスター選手に取材なんて……いや、やらせていただきます! 本来であれば、素人がプロに取材するなんて失礼千万な話だが、止めどなく溢れ出る好奇心を前に、僕はぎゅっと目を瞑ったのだった。
さてさて、以下が第63回オールスター競輪・決勝戦の出走表と結果である。
【結果】
1着 ③松浦悠士
2着 ⑦脇本雄太
3着 ①古性優作
前日にこの出走表が出たのち、誰と誰がラインを組むのか、ラインのなかでどういう位置取りで攻めるのか。結果的に中四国ラインを組むことになった3選手のなかで、”打倒・脇本雄太”に向けてどんな作戦が練られたのか、僕はここから踏み込んでみることにした。
『ラインでしっかり走るため、それぞれが自分のやるべきことを考えていました』
そう明かしてくれたのは柏野選手。ほら、すでに面白い。やっぱりここからドラマは始まっている。改めてレース前のコメントをチェックしてみると、『研太朗に任せることにしました』(松浦選手)、『脇本さんを相手にどこまで通用するかわかりませんが、松浦の前でしっかり逃げることを考えています』(原田選手)、『研太朗がいるけど、ラインを大事に松浦の後ろです』(柏野選手)。はたして、そこに辿り着くまでの過程は⁉
まずは、原田選手と松浦選手の証言。
原田研太朗選手
『ラインは地区ごとに形成することが多いんですけど、あのときの決勝メンバーは、柏野さんと松浦が中国ラインで、四国は僕ひとりだったんですよ。そうした状況だったので、隣地区同士での共闘になるのかなと考えていました。松浦と僕、どっちが前に行くか決めなければいけない。僕自身も自力(逃げ、捲りなど自ら動くこと)で頑張っていますし、松浦もそう。自力タイプがふたりいる難しさはありました』
松浦悠士選手
『最初に自力でと考えたのは、脇本さんを先行させないようにして、自分がうまく残り1周付近で仕掛けたいという気持ちがあったからです。研太朗から自力の意思が見えたので番手に付くことを決めました』
なるほど〜。松浦選手は、脇本選手とガチンコで勝負したかったわけだ…と、解釈した僕は素人。松浦選手の証言を続けよう。
『空気抵抗が重要な競技ですから、僕が研太朗の後ろに付くことで、研太朗の勝ち目が少し減ってしまうと思ったんです。それに、後ろに自力のある選手(松浦選手)が付くと、どうしても”抜かれる”という意識があったりするので、それを恐れない仕掛けができないといけない』
そうか。お互いに自力を主張したのは、単なる「オレが、オレが」じゃなかったんだ。原田選手は、こうも言った。
『松浦はトップ選手。僕がラインの先頭で走る以上は、それ相応の走りをしたかった』
原田選手にとってこの一戦は、対「脇本選手」であり、対「松浦選手」であり、対「自分」。あの魂の逃げは、自分との闘いであったのかもしれない。ふとそんなふうに思った。
そして、ラインの最後の砦である3番手。ベテランの柏野選手は、若いふたりのことをどのように見ていたのだろうか。柏野選手の証言からは、競輪が終わりのない群像劇であることが浮かび上がってくる。
『競輪というのは、どうしても先頭を走る人の気持ちを中心に作戦を組み立てていくことになるんです。先頭がどういうレースをするのか、ということですね。あのオールスターのラインでいうと、僕にとって中国地区(松浦選手)の選手は”兄弟”ですが、四国(原田選手)の選手は“親戚”くらいの距離感になるんです。
だから、中四国ラインといえど、松浦(中国)ー原田(四国)ー柏野(中国)では回れない。並ぶとしたら、松浦ー柏野ー原田、または原田ー松浦ー柏野。あるいは、松浦と原田には別線でいってもらって、松浦ー柏野というね。実際にそういう並びも頭にはありました。ふたりがどう思っているかはわかりませんが、どうしても長く競技をしていると、“今まで”や“これから”が大事になってくる。あれだけ大きな舞台なので、僕たちの選択がスタンダードになる可能性もあるわけで、その場だけよければいいというわけにはいかないんです』
なかなかに複雑だが、兄弟と親戚という距離感の違いから、葛藤が生じることはわかった。その葛藤は、同地区の絆を守るということだけではなく、他地区に対する尊重もあるという。
『徳島の先輩たちにしてみれば研太朗が勝つためには別線で走った方が良いと思っているはず。僕にも多少、そういう気持ちがありました。松浦は松浦で、これから競輪界を代表する選手になっていくのであれば、自力で脇本に勝つことが重要になってくる。だから、ラインを組まずに別線でという選択肢もあったわけです。だけど……。さっきとは話が変わってくるのですが、脇本を倒すには、“今まで”や“これから”ではなく、このレースだけを考えてまとまらないと難しい。それで、原田ー松浦ー柏野の並びになったんです。研太朗と松浦に関しては、同期の絆もあったと思います』
かくして、一致団結した中四国ライン。後編では、それぞれの思いがさく裂したレースを臨場感をもって再現しながら、レースにおける「ラインの力」に迫っていこうと思う。
netkeirin取材スタッフ
Interview staff
競輪の楽しさや面白さを知っていただくため、netkeirin取材スタッフが気になるテーマをピックアップ。選手は1着を目指しながらレース終盤までラインと呼ばれるチームを作って戦う競輪。そこで生まれる人間模様を追いながら、ラインの本質に迫ります。