2021/04/24 (土) 14:00 10
競輪が始まったのが1948年11月。小倉で産声を上げた公営競技だが、昔から兄弟選手は多い。競輪一族と呼ばれるほど、何世代にも渡り、また親せきにも競輪選手ばかりというケースもある。
その中でそれぞれの人生があるわけだが、やはり大きく影響し合う。しかも、近親に偉大な選手がいる場合は大変だ。父が偉大であれば、子どもの活躍は当然として期待される。兄が偉大であれば、後に出てくる者への期待も大きい…。
現在の注目兄弟選手といえば、脇本雄太(32歳・福井=94期)と脇本勇希(22歳・福井=115期)になる。今期から初のS級挑戦となった勇希の注目度は否応なしに高い。
兄は日本一の選手。先行日本一の看板は、競輪史に輝く。ワッキーといえば、“雄太”しかいない。雄太は東京五輪の日本代表選手でもある。「福井のみんなからは、ゆうき、と呼ばれますけど、高校時代とかはやっぱりワッキーでしたよ」と話すのは弟。戸惑いもある。
不遇なのはタイミングだと思う。兄も本当は苦労している。チャレンジからA級へ、そしてS級に上がってから。高校時代から実績のあった選手でも、先行にこだわっていたので出世は決して早くはない。逃げてはつぶれ、逃がしてもらえず不発になっては、肩を落とす。先行できず、泣いたことも多々ある。
2010年7月、前橋の寬仁親王牌。初のGI出場でいきなりの決勝進出とブレークした後、低迷した。「そこまでの選手」「たまにあるパターン」などと酷評する声も聞いた。どれほどの失敗と挫折を繰り返したか…。
弟の不運は、今やそこは抜け落ちて「日本一の選手ワッキーの弟」とだけ、見られていることだ。勇希本人には大変なことだが、いや、そうなのだよ…。
勇希は4月22日初日だった小田原競輪のS級シリーズにはバック20本という数字を引っ提げてきた。決勝進出もある。普通なら、S級ですぐによく戦っているという評価だが、それでも物足りないといわれてしまう。
しかし、そこから逃げない。レースでは闘争!逃走!あるのみだ。そんな勇希をみな可愛く思う。小田原の初日に連係したのは松岡健介(42歳・兵庫=87期)。兄との仲も深い。勇希が2周逃げ、松岡が援護した後かわしてワンツー。「しぐさから何から兄そっくり」。レース後の松岡はうれしそうだった。心をくすぐられていた。
「作戦会議の時からすごい気迫で、全部突っ張ります、と。いや、まあ落ち着け、と。でも2周ならもちます、っていうんで」
はやる気持ちは雄太のオジキ的存在でもある松岡が制御。レースでの好連係、好結果につなげた。“近畿一家”の温かい空気があった。
2日目準決は浅井康太(36歳・三重=90期)に前を任された。メンバー発表の後、「浅井さん、ついてくれるのかな。兄はどう思うんだろう」。ソワソワ太郎と化した勇希は、検車場をウロウロ。浅井に挨拶すると、快く任せてくれるとあって、喜びとともに緊張が…。
レースは蕗沢鴻太郎(25歳・群馬=111期)-神山拓弥(34歳・栃木=91期)の連係の前に、勇希は出切れず6着となったが、浅井は1着で決勝へ。警戒されたが、打鐘で3番手に収まれるところを、意地で叩きにいった。
「顔を見れば違うんですけど、ワッキーなんですよ。フォームもそっくりやし、ヘルメットをかぶればワッキー。ワッキーについている感じでした。スピードもすごかったですよ」。浅井は興奮気味にレースを振り返った。
3番手で休んでまくりにいっていたら、もしかしたら兄に怒られていたかもしれない。しかし、そんな素振りはなかった。あの仕掛けを見て、兄はうれしかったんじゃないかと思う。
あまりにも高いハードルは下を潜り抜けることができる、という。弟らしい、ずるっこい表情を見せることもあるが、勇希はこれから、その高いハードルから目を背けずに飛び越えていくだろう。
兄・雄太を長く取材している身からすれば、弟・勇希を取材できることもまたうれしい。そしてこの兄弟物語は、これからより深いところへ進行すると思うと、楽しみな限り。当方としても、勇希へのハードルを上げて、上げて、応援していきたい。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。