2021/04/17 (土) 12:00 7
震度7という大地震が熊本地方を中心に発生し、恐怖を感じた。九州で生まれ育ったが、九州では震度4程度が最高だと思っていた。
4月14日と16日の2度の大揺れは、熊本に甚大な被害をもたらした。
2011年3月11日に東日本大震災が発生した時には、こんな災害が起こるとは…と驚愕した。だが当時宮城に所属していた早坂秀悟(35歳・茨城=90期)は「東北にはそういう歴史があったということは知っていた」という。想像を絶する事態になすすべもなかったが、地域によっては古い災害を語り継いでいることもあったのだ。
今でもいつ災害が起こるかは分からない。注意喚起を自分自身にしつつ、起きた時、を想定していないといけない。そして、起きた時に何ができるかを準備しないといけない。
熊本競輪場は地震の後、再開の日を見ていない。昨年度末、なんとか今年度の予算を盛り込めたようで、年内に工事が始まるそうだ。詳しくはまた、熊本に取材に行こう。
コロナを含め、さまざまな事情が再開を遅らせているが、我慢して再開を待ちたい。この時期いつも思い出すのは、デビュー前の瓜生崇智(26歳・熊本=109期)に電話取材した時のことだ…。
競輪学校の卒業記念レースの時に連絡先を聞き、5月、宇都宮の取材に行っている時に電話をかけた。記者席脇の通路で電話で話したのを覚えている。「震災の影響で同期から少し遅れを取ったかもしれない…」。そんなコメントが残っている。
当初は7月7日の初日に熊本開催が予定されており、そこでデビューの可能性が高かったが、熊本の開催は当然中止。高松でデビューとなった。
瓜生と話していて、“地元を走れないのか…”と思うと、言葉に詰まった。
しばらく瓜生は期待に応えるような活躍はできていなかったが、今、完全に覚醒した。瓜生の取材に合わせ、師匠の合志正臣(43歳・熊本=81期)にも話を聞いていた。
「熊本で走れる日は絶対に来る。その日にはS級になっていることを目標に頑張ってほしい」という言葉だった。
もう一度、瓜生にこの言葉を届けたい。また、熊本競輪場を走ることができていない、熊本の若手選手たちにもだ。
4月9日にはいわき平競輪場、12日には鹿児島県にあるサテライトみぞべ、13日には飯塚オートレースで2021年度に補助事業を実施する団体(福岡県近隣)を対象とした補助金交付決定通知交付式セレモニーが行われた。
競輪、オートレースの売り上げから、各地の事業に対し補助を行っている。それぞれの式典には地元の選手が参加し、補助事業の重要さを伝え、また選手としてできることを再確認していた。デビュー前の選手は、自分の仕事の意味を感じたことだろうと思う。
しばらく前に鹿児島空港から実家に帰る途中、サテライトみぞべに立ち寄って2レースほど買ったことがある。屋外の喫煙コーナーで牛のにおいをかぎながら、ボーっとテレビ画面を見ていた。「こん、柿沼っちゅうとは、最近、ねばっど」。まさか鹿児島の山奥で、柿沼信也(36歳・埼玉=91期)が最近イン粘りを多用していることを知っているオイサンがいようとは…。
実家にほど近いサテライト薩摩川内では、オートレースのコーナーにもそれなりに人がいる。鹿児島では本場でレースを楽しむことはできないが、そこで競輪やオートに親しんでいる人たちもいるのだ。が、コロナ禍にあって、現在、通常通りの来場は望めない。何かあれば発売中止で、収入も途絶えてしまう。
現場の努力で、地域にあった経営をしているわけだが、鹿児島のサテライトのイベントでのファンプレゼントには大体、焼酎やビールなど酒類がある。それが何とも言えず、うれしくなる。タイヨーの商品券も、欲しい。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。