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前田睦生の感情移入

【東日本大震災】それぞれの想いとともに、3.11を語り継ぐ

2021/03/13 (土) 12:00 8

取手競輪場は激しく損壊した

未曽有の災害

 聞いたことのない「大津波警報」がTVやラジオから流れてくる。ネットにあふれる情報を見ても、混乱を増すばかり。一体、何が起きているのか…。大きな揺れの後に、さらなる恐怖が支配する。

 2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が東日本を襲い、暗すぎる闇に包まれた。東日本大震災は2万2000人を超える死者、行方不明者を出し、続く福島第一原発の事故は、人類に対する警鐘だったのか…。

 何をすればよいのか、何ができるのか。そこには無力感に包まれた日本列島があった。復旧、復興の言葉は先走るが、実際の苦しみを拭い去ることは永遠にできないものだった。
「まだ10年なのか、もう10年なのか」は成田和也(41歳・福島=88期)の言葉で、今なお傷を抱えている。

 競輪の開催は中止となり、再開がいつなのかもわからなかった。それどころではないし、もはや再び開催できるのか、とすら思われた。

日本代表として、福島の人間として…

世界選に向かう前の日本代表団の先発組

「避難したいけどガソリンがないので動けないと言っている。バスとかを国が出してくれないとどうにもならない状態。動ける人たちはいいけどそうじゃない人たちが避難できるように、国は早くどうにかしてほしい」

 3月16日、成田空港で福島県双葉町出身の渡辺一成(37歳・福島=88期)が訴えた言葉だ。
3月23日からオランダで開催される世界選手権に向かう日本選手団の一人だった、新田祐大(35歳・福島=90期)。新田は「水も食べ物もなくて困っている人たちがいるのに行っていいんだろうか…」とレースに参加するべきかどうか、悩んだ。

 そんな時に同県の先輩・伏見俊昭 (45歳・福島=75期)や岡部芳幸(50歳・福島=66期)に、背中を押された。
「みんなから、お前にできることは世界選に行っていい成績を残して新聞やTVでいい報告をすることだ、と言われた」。
新田は意を決してオランダに向かった。

 いわき平競輪場は支援物資の集積地となり、被災者サポートの拠点となった。各地の選手宿舎も被災者のために、緊急の住まいとなった。取手競輪場も震度6弱の揺れに、建物は崩壊。ガラスはひび割れたバンクに散乱し、手を付けることも困難だった。

混乱する競輪界

全国から選手が集まりチャリティーイベントを行った

 3月16日には選手全員の無事が確認された。だが「開催中止とか、インターネット で知りましたよ」と、正常な連絡系統が機能しないほど混乱していた。選手たちは、 それぞれに地元で募金活動や支援物資の確保などに奔走した。 競輪界的には、開催の再開や支援活動など他団体の様子をうかがってなのか、後手後手に回ることも多かった。選手やファンが抱えるフラストレーションも一時は危険水域に達していたと思う。

 30日、小嶋敬二(51歳・石川=74期)が発起人となり、新橋駅前にあるラ・ピスタ 新橋でチャリティーイベントを行った。「考えもつかないような被害に遭われた方々のために何かできないかと思った。北日本には競輪を応援してくれるファンの方も多いですし」と小嶋は語っている。

「初めは選手5人くらいでやろうと思っていた。それがいつの間にかものすごく大きくなって。競輪は戦後復興としてやってきたのに何となく忘れられたりもするので…」

 みんな、自身の責務を胸に、力を合わせた。
4月から競輪開催は再開され、各開催は「東日本大震災被災地支援競輪」として復興のための資金を捻出する大きな力になった。武雄競輪場が4月7〜10日のGII共同通信社杯春一番に踏み切った時、“競輪が力になれる”という機運が高まった。こうした決定も武雄の熱意が伝わるものだった。だが、もっと競輪界全体として目的を説明し、ファンに“一緒に力を合わせよう! ”と伝えることも重要だっただろう。

 当時はまだ東日本大震災という言葉は定着しておらず、「東北地方太平洋沖地震被災地支援」として開催された…。

現在、そして未来のために、語り継ぐ

武雄競輪場から機運が高まった

 世界選から日本選手団が帰国したのは3月29日。渡辺は「ホームストレッチに“日本頑張ろう”とか書いてくれていてうれしかったです」。世界の人たちの応援に、大いに励まされたという。
震災後、渡辺が繰り返すのは「風化させてはいけない」という言葉。東日本大震災を語り継ぎ、今に生かす、未来につなげる。

 その後も災害は続いている。
2016年の熊本大地震、また今般の新型コロナウイルスに対し、選手は個別の寄付や支援活動を行っている。「競輪界として、できないんですかね」「競輪界からの発信、という形を取れれば」という声を聞いた。個人や何人かでやるだけでも意味は大きいが、選手という立場からは、全体で動くことの必要性を感じているのだ。

 まだ課題は残っている。何かあった時に、迅速に、競輪界として動ける枠組み作りは早急になされなければならない。


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前田睦生

Maeda Mutuo

鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。

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