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佐藤慎太郎“101%のチカラ”

【佐藤慎太郎の地元GI回顧】競輪は時を刻みドラマを創造する! あの時の“少年”清水裕友との連係/いわき平・日本選手権競輪【前編】

2022/05/18 (水) 19:00 26

 全国300万人の慎太郎ファン、そしてnetkeirin読者のみなさん、地元いわき平で行われたGI「日本選手権競輪」を走ってきやした、佐藤慎太郎です。シリーズを通して色々なことがあったので、今月のコラムは「前編」と「後編」に分けて1日1日をしっかりと書き綴っていこうと思う。※「後編」は19日18時公開

今回のコラムでは地元開催のGI「日本選手権競輪」を振り返る(撮影:島尻譲)

いわき平で44年ぶりの日本選手権競輪、新田祐大の想いまで

 地元いわき平での日本選手権競輪(以下、ダービー)の開催は44年ぶり。この開催に向ける施行者・いわき市のみなさんの「競輪を盛り上げていこう」という情熱は、オレたち選手の刺激になった。競輪は売れ行きが良くない時代もあったわけで、全国各地の情熱ある関係者が競輪開催を支えていることを忘れてはいけない。

 いわき平は売上も伸びている競輪場になっているし、施設も新しくなっている。その裏側を想像すれば、情熱を注いでくれた人達がいるってことだよね。開催前に感謝の気持ちを持って準備していた。

 そんな中、前検日にアクシデントが起きた。練習中に新田が落車をして、ダービーを欠場することが決まった。競輪場が、宿舎がざわついた。オレも新田も前検日はマイペースに準備するタイプで別行動だし、早め早めで準備していたオレは練習を切り上げてメシを食ってた。そこで新田のアクシデントを聞いた。オレからすれば福島のエースは新田なわけで、この地元開催に懸ける想いも当たり前のように理解している。

 地元開催のGIを欠場することになる落胆の大きさ、無念さ。新田に感情移入し、自分のこととして悔しい気持ちになった。それはオレだけじゃなくて、北日本地区の選手たち同士で「新田の分まで頑張らないといけない」って気持ちを共有したし、福島の選手の中には「新田の分まで」と言葉にして気合いを入れ直している選手もいた。

 オレがコラムで新田の欠場を語るのはちと違うかもしれないが、同地区同県の選手たちが新田の無念も受け止めて戦いに臨んだことは、レース回顧の前に書いておきたいこと。

開催初日は敢闘宣言を務めた慎太郎選手(撮影:島尻譲)

一発目の特別選抜予選で落車明けのネガティブな気持ちにケリをつけた

 準備段階で気合いも十分に入り、新田の分まで地元を盛り上げるべく、シリーズ最初のレースに臨んだ。すごく大事な最初の一走なのに武雄記念決勝での落車のことをネガティブに考えるようになっちまってて…。まあ、気合いの裏返しでナイーブにもなってたんだろうけど。

 競輪選手にとって落車は仕方のないことなんだけど、良いことは何も生まれないのが落車という事象。「前回落車をしたおかげで準備万端です!」みたいな経験は過去一度もない。

 自転車のパーツも新しくしているからフィットしているか、セッティングが狂っていないかも気になるし、体の状態だって走ってみてから初めてわかることもある。それに、実戦でしか確認できないのが気持ちの部分。本能がブレーキをかけちゃって反応が鈍くなってたりするんだよね。何が変わっているのかわからねえのよ。とにもかくにも、落車明けは一回レースを走らないと安心できないってわけよ。

 そんで「大事な地元のGI前に落車明けの確認や処理からのスタートか…。いくら目の前の勝負に全力を注ぐと言っても、やっぱ無茶だったのかな」とか「いやいや、勝ち筋があるのに、地元のGI控えているから安全に走りましたとか違うだろ」とか、あれこれ頭を巡るわけ。ただ、地元でボルテージはMAXだし、ネガティブな気持ちに関しても最初の一走でけじめはつける、ということは己に課した。

 実際に一発目を走ってみて、やはりというか、体の状態が良くなかったわ。落車前の好調さを思えば、もっと伸びていたように思う。だけど、レース後に武雄記念の決勝が自分の中でフィードバックして「100%の強い気持ちで突っ込んだことは間違ってなかった」ってメンタルになっていた。“ナイーブ慎太郎”とも決別して、シリーズを暴れてやるという気になった。このコラムのタイトル通り「100%よりも力を出すつもりで全部やることが基本」なんだよな、とけじめをつけて2発目へ向かった。

開催2日目、特別選抜予選結果は2着。逃げる深谷知広選手を差しにかかるが届かず(撮影:島尻譲)

二発目、競輪選手として頑張ってきた“甲斐”がある

 今シリーズの二発目、オレにとってひとつの夢というか目標というか、大事な節目があったように思う。それは清水裕友“少年”ことS級S班清水裕友との連係が叶ったこと。裕友がまだ少年だった頃、オレにサインをもらいに来てくれた。

 その裕友少年をオレは覚えているし「競輪選手としてデビューします」とあいさつに来てくれたこと、「S級に上がりました」と報告に来てくれたこと、グレードレースで勝負できていること。15年以上、裕友がデカくなっていく姿を見てきて、ずっと言葉を交わしてきた。そしていよいよ地元ダービーで初連係。嘘みたいな話だよなと思うけど、すべてノンフィクションなわけで。

 レースの前日、裕友が「明日はお願いします」なんて声をかけてくれたんだけど、まあ嬉しかったわ(笑)。競輪っていいなって。「あの少年と一緒に明日は走れるのか」「あの少年が頑張り抜いてここまで来たのか」「よくもオレも長いこと頑張ってるじゃねーか」って改めて嬉しかった。どこかオレは客観的に『清水裕友と佐藤慎太郎がダービー初連係』って競輪ドラマを見ているような感覚になっちゃって「いよいよかよ!」ってなっちまった(笑)。

連係する喜びは両選手にしかわからない唯一無二のものだろう(撮影:島尻譲)

 昔、オレがマーク屋に転向した頃に吉岡稔真さんについたことがある。その時のシーンは鮮明に覚えている。オレが自転車に乗り始めた学生のころ、すでに吉岡さんはスーパースター。その吉岡さんの後ろで走った時、「超一流の後ろにいる。オレは競輪選手になれたんだ」と気持ちが高ぶった。

 裕友とオレの話をオレと吉岡さんに例えちまったら、吉岡さん本人や吉岡さんファンにも畏れ多いけど、裕友の立場に近い感情も知っているもんで、そういうのも思い出した。いざレースがはじまると、地元のオレを連れて、裕友は熱い先行をしてくれた。気持ちの入った先行を肌で感じて、たくさんの想いを噛みしめて走ることになった。

開催4日目ゴールデンレーサー賞、清水裕友-佐藤慎太郎-大槻寛徳(撮影:島尻譲)

 現地ではオレと裕友のストーリーを知っているお客さんからの声援も聞こえてきた。お客さんもお客さんで盛り上げ上手なわけ(笑)。オレはそんな声を聞きながら「そんな長いこと競輪のドラマを楽しんでくれてるんかい」って思ったね。長く見てくれている人がいるということ、そして当事者同士の気持ち。競輪は奥が深いなあ、面白いなあ、と。

清水裕友選手は佐藤慎太郎選手の前で渾身の逃げを演じた(撮影:島尻譲)

 もしもオレがこのままずっと頑張り続けていれば「慎太郎サインちょうだい」なんて言ってきてくれる小学生くらいのチビっ子と、またいつか連係できるのかもしれない。45のオレにとって第二の裕友少年がいるかなんかわからない。けど会ってみてーな、と思う。

 いわき平にはチビッ子たちも来てたから、将来にワクワクしちまったよ。『競輪って本当に素晴らしいものだ』と考えながら、準決勝へ向かっていったよ。

次回【後編】は「準決勝」と「決勝」の振り返りをお届けします。慎太郎選手がシリーズで感じた“熱きドラマ”にご期待ください!※「後編」は19日18時公開

【公式HP・SNSはコチラ】
佐藤慎太郎公式ホームページ
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佐藤慎太郎

Shintaro Sato

福島県東白川郡塙町出身。日本競輪学校第78期卒。1996年8月いわき平競輪場でレースデビュー、初勝利を飾る。2003年の全日本選抜競輪で優勝し、2004年開催のすべてのGIレースで決勝に進出している。選手生命に関わる怪我を経験するも、克服し、現在に至るまで長期に渡り、競輪界の第一線で活躍し続けている。2019年、立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ2019で優勝。新田祐大の番手から直線強襲し、右手を空に掲げた。絶対強者でありながら、親しみやすいコメントが多く、ユーモラスな表現で常にファンを楽しませている。SNSでの発信では語尾に「ガハハ!」の決まり文句を使用することが多く、ファンの間で愛されている。麻雀とラーメンをこよなく愛する筋肉界隈のナイスミドルであり、本人の決め台詞「限界?気のせいだよ!」の言葉の意味そのままに自身の志した競輪道を突き進む。

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