2025/06/23 (月) 13:00
競輪に出会ったのは2013年の夏。そしてこのコラムが始まったのが2017年頃でした。タイトルは自分で決めていいということで考えたのが『恋して競輪ハンター』。このタイトル、冷やかされることもありましたが、文字通り私は恋をしていました。選手に恋をし、レースに恋をし……。金網の外から、叶わぬ恋(ときどき車券で叶う恋)に夢中になっていました。
その頃というのは、まだ脇本雄太選手が『幸せ配達人』と呼ばれていたころで、近畿地区は村上義弘選手(当時)が中心となり統率が取れ、また関東は武田豊樹選手と平原康多選手(当時)のゴールデンコンビが活躍を見せていた時代でした。平原選手は当時『最強の自在選手』と称されるほどレースの組み立て、位置取りやさばき、そして自力、どれをとっても素晴らしいものでした。また武田選手とのゴールデンコンビはまさに阿吽(あうん)の呼吸で互いが互いの考えを察して動くような姿は、二人の存在を特別なものにしていると感じていました。
私は当時、京都の稲垣裕之選手が好きだったので、幾度となく平原選手に泣かされました。2017年に取手で行われた全日本選抜競輪もそのひとつ。三谷竜生選手の番手を回っていた稲垣選手が、途中、平原選手にさばかれ、そこから平原選手は新田祐大選手の捲りにスイッチして、追い込んでの優勝。武田選手もその動きにしっかり続いてワンツーを決めていました。
(ちょっとここからはキモめな競輪好き女子の妄想にお付き合いいただきたいのですが、)
好きな選手がさばかれるというのは悔しいもので、当時はまるで恋敵のような気持ちを平原選手に持つこともあった気がします。私と彼の悲願を邪魔する恋敵。でも本当は心が揺れていました。隙を見せてはいけない勝負の世界で、強さとはこういうものだと見せつけてくるその走り。ときめかないわけがないですよね。好きな選手が負けて悔しいのに、勝った平原選手のかっこよさに惹かれてしまう複雑な乙女心を抱きながらより一層、競輪にはまっていくのでした。
まさにこの時代は、私の競輪界における青春でした。初めて人を好きになって、恋をして、その切なさも、その喜びも、ひりつくような純真さも持って、誰かに夢中になった10代の頃のように、ただただ競輪を楽しんでいたあの頃。もう戻れないあの頃。平原さんの引退を知り、改めて自分の青春が過ぎたことを感じました。競輪界としてはもちろんですが、私の競輪観の中でも間違いなく大きな影響を与えてくれた人。その引退は猛烈な寂しさと共に、自分が身を置くこの世界での過ぎた時間を感じさせました。
ありがとう私の青春、さようなら私の青春。
10年以上の年月が経ち、もう私も競輪界でだいぶ大人になりました。あの頃のような純真さをもって競輪を見ることはもうできないのが正直なところです。それでも競輪を思う気持ちは変わりません。想いの形やベクトルが変わりながら、それでも共に歩んでゆく。そんな風にこれからも競輪を楽しんでいけたらいいなと思っています。
ただ、いまだに片思い気味なのは変わりません。もうちょっと振り向いてくれてもいいのにな、と思いながら今日も競輪を買うのでしょう。
※掲載写真はP-NAVI編集部が撮影。
木三原さくら
2013年夏に松戸競輪場で ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー。 以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に競輪を自腹購入しながら学んでいく。 番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり。 好きな選手のタイプは徹底先行! 好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション。 “おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている。