2020/05/26 (火) 15:22
5月15日、超大物がデビューを果たした。2018年平昌冬季五輪フリースタイルスキー・男子モーグルで銅メダルに輝いた原大智(宮城117期)だ。原と、言われても……ピン!と、こない人はいるだろう。それならば平昌五輪で日本人のメダル第1号だと言えば、少しは分かっていただけるだろうか。日本においてのモーグルはどうしても1998年の長野冬季五輪で金メダル、2002年のソルトレイクシティー冬季五輪で銅メダルを獲得した里谷多英。また、メダル獲得こそならなかったが、上村愛子の2人を思い浮かべる。女子は強かったが、男子は原のメダルが初だった。
昨年、その原は『特別選抜試験』に合格して、日本競輪選手養成所に入所。モーグルとの二刀流を決めた。入所式には多くのメディアが詰め掛け、夜のニュースでも大々的に報じられた。五輪のメダリストから競輪選手になったのは1998年長野冬季五輪のスピードスケートショートトラック500mで銅メダルの植松仁(岐阜86期・引退)が最初。他競技からの『特別選抜試験』による初の合格者だった。そして、同じ長野五輪で金メダルだった西谷岳文(京都93期)が一般受験で遅れて選手になった。原は3人目のメダリストということになる。
話題を原のデビュー戦に戻そう。コロナ禍の中、5月広島F2『ルーキーシリーズ』には前検日からスポーツ紙だけでなく、一般紙やテレビまで数多くのマスコミが集まった。それだけのオーラが原にはあったのだろう。やはり、五輪のメダリストは違った。ただ、これは前検日の話し。デビュー戦は3着だったが、自ら仕掛けることはなく、追走しての3着。激しく動き、自らがレースを作ってくれることを期待していたファンにはやや物足りなかった。予選2走目は5着、これもまた、中途半端なレースになってしまった。1度は前に出ようとしたが、結局は出切れず、何もできないままレースを終えた。この時点で、決勝進出はなくなった。「自分を殴りたい」と、不甲斐ない内容に、レース直後、取り囲んだ記者に語ったとも報じられた。最終日も見せ場はなくての3着。メダリストのデビューシリーズにしては目立たないものになった。
世間の注目度とは裏腹に、養成所時代もタイムが伸びず、一時期は卒業も危ぶまれていた。それでも、ポテンシャルの高さは誰もが認めている。デビューシリーズは良いところがなく終わったが、第2戦こそは期待したい。まず同期生の中での争いに勝てなければ、百戦錬磨(ひゃくせんれんま)の先輩と戦っても苦戦は明らかだ。
デビューと同時に、原は2022年北京冬季五輪モーグルの強化指定選手にも選ばれた。競輪選手でありながら、北京五輪も目指す訳だが、競輪でシッカリとした結果を残さなければ、二刀流という言葉は意味的にも成立しなくなる。ましてや二刀流を良しと思わない選手がいることも事実だ。「片手間でやれるほど競輪は甘くない」。外野の雑音を消し去るためには結果を残すしかないのだ。結果が残せなくても、レース内容、覚悟あるレースを見せれば、雑音も小さくなってくるはずだ。
売り上げ低迷、新型コロナウイルスの拡大……取り急ぎの緊急事態宣言解除により一時期の開催中止は解消されつつあるが、暗い話題ばかりに包まれた業界内にあって、久方ぶりに明るい話題を提供してくれた原。話題だけでなく、早くプロの競輪選手としても目立って欲しい。原が活躍することで、競輪を知らない層が興味を抱いてくれたら良いと、筆者は考える。そのためにはJKAも広告的な要素を踏まえ、シッカリした戦略を練っていただきたい。
岩井範一
Perfecta Naviの競輪ライター