アプリ限定 2025/11/22 (土) 12:00 8
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回は、今年2Vを挙げ成長著しい西脇美唯奈選手(24歳・愛知=120期)。中学までダンスに親しみ、高校卒業後に父の勧めで競輪の世界へ。落車やケガ、スランプを乗り越え、いま再び上昇気流に乗る“ガールズケイリンのムードメーカー”の歩みを追った。
滋賀県長浜市で生まれた西脇美唯奈は、兄2人と育った末っ子気質の活発な少女だった。兄たちとケンカしてキズだらけになることも多く、何事にも好奇心旺盛。幼いころはフットサルやバスケットボール、そろばん、学習塾と多くの習い事を経験したが、もっとも夢中になったのはダンスだった。
「小さい頃は、見たものをなんでもすぐやりたがっていました。できなかったものもありましたが、ダンススクールは通うことができた。すごく楽しく、高3まで続けました」
出身校は滋賀県立長浜農業高校。兄が通っていたこともあり、「勉強が苦手な自分にはちょうどよかった」と笑う。家から自転車で40分かけて通学。農業高校ならではの授業で、命の重さを学ぶ機会も多かった。
「育てた牛が食肉になって出荷されるのを見たときは衝撃でした。ジビエの授業もあって、将来はそういう仕事をするのもいいかなと思っていました」
高校卒業後は動物関係の仕事か、食品分野の職を考えていた。だが、進路相談の時期に父から「自転車に乗ってみよう、競輪選手を目指してみないか」と勧められる。
父も祖父も競輪好き。さらに兄がかつて自転車競技部で選手を目指していたこともあり、「自分にその夢を託したかったのかも」と西脇は話す。兄が大変な思いをしているのを見ていたため最初は気が進まなかったというが、競輪選手になる夢をあきらめた兄からも選手を目指すことを勧められ「人生なんとかなる」と思い直し、提案を受け入れた。
ところが、初めての練習で落車し負傷してしまう。
「初めてピストレーサーに乗ったら落車しました。もう自転車に乗るのが嫌になった」
しかし、ガールズサマーキャンプに参加したことで心境が変化する。
「同世代の女の子たちと練習するのが楽しかった。尾方真生ちゃんと仲良くなって、彼女が選手になると聞いたとき、自分もやってみようと思ったんです」
父が探してきたのは、初心者からプロ志望まで指導する「名古屋サイクルクラブ」だった。休日は名古屋競輪場で練習し、平日は長浜農業高校のボート部で陸上トレーニングに励んだ。
「ボート部の顧問の先生が、競輪選手を目指すならボート部のトレーニングがいいと教えてくれました。陸上でのトレーニングだけ参加させてもらっていました」
実績豊富な名古屋サイクルクラブのプロ育成コースは厳しく、当時の目標は「500mで39秒、200mで12秒5」。しかし夏前までは届かず、「養成所に1回で受かるのは難しい」と焦りを感じた。そこからは猛練習の日々が始まる。
「朝は始発電車で競輪場に行って、午前も午後も練習。夏休みは毎日それを続けました。もう1年も同じ生活をするのは無理なほどハードだったけど、“1回で養成所に受かるように”という一心でやっていました」
努力の甲斐あってタイムは良くなり、120期の1次試験を突破。しかし安心した矢先、高校の体育の授業でサッカー中に足首を骨折。手術が必要な大ケガだった。
「1次試験に合格して気が緩んでいたと思います。今は笑い話ですけど、当時は何をやっているのだろうと…。ケガした夜はいろんな人に怒られました」
養成所に二次試験はSPIと作文、そして面接だ。入院中は時間を持て余し、試験対策ができると思っていたというが…。
「1ミリも勉強しなかった(大笑い)。焦って勉強しても頭に入らないと割り切って、入院中はゆっくり過ごしていました。もうSPIは捨てて、作文と面接を頑張ろうと思って(笑)」
退院後、師匠の吉田敏洋(85期)と過去の出題傾向から3パターンの作文を書いて丸暗記。そのうちの1つが本番で的中し、合格を勝ち取るという破天荒なエピソードが飛び出した。
「案の定SPIがまったくダメだったので、合格発表を高校で見たときにはほっとして泣きました」
2020年5月、日本競輪選手養成所120期に入所。当時はコロナ禍真っ只中で、制限の多い生活だった。
「本当に120期でよかった。同学年の子も多くて、年上の先輩たちが面倒を見てくれて助かりました」
同期には飯田風音、内野艶和らがいて、たびたび珍事件が起こりながらも笑いが絶えない共同生活だったという。
「風音は最初から不思議な子でした(笑)。風音と艶和は高校から自転車競技をやっていて面識があった。やらかして教官に怒られたりもしたけど、自転車経験豊富な2人に混ぜてもらっていろいろ教えてもらいました」
自転車経験が浅く成績は下位だったが、落ち込むこともなくマイペースに過ごした。
「養成所の競走訓練でもどう走っていいか分からなかった。(自転車経験の長い)風音や艶和、吉川美穂さんや山口真未さんには勝てっこないって思っていた。卒業記念レースも周りのみんなが張り切る中、自分はいつも通り『なるようにしかならない』って感じでした」
しかし、その卒業記念レースでは決勝に勝ち上がると、大逆転の優勝を飾る。
「予選が終わって、自分が勝ち上がったのかも分からなかった。決勝を走る前もヘラヘラしてました。レースが始まると自分の前で艶和が先行していて、最終バックで『これ優勝じゃね?』って感じで…。自分以上に記者の人たちが驚いていた(笑)。『失礼だけど西脇さんが優勝して、誰? って感じになりました』って言われて、大笑いしました」
この優勝で、在校成績は13位から8位に跳ね上がった。卒業記念レースの優勝者は例年注目を集める。西脇も一躍120期の代表選手としてプッシュされたが、冷静に自分の立ち位置を把握していた。
「卒業記念レースはたまたま回ってきた位置が良くて優勝しただけ。自力を出して勝ったわけじゃないし、あのレースで『西脇美唯奈が強い』と思われても…」
走り慣れた地元名古屋で迎えたデビュー戦。予選は最終ホーム6番手から鮮やかなまくりで1着を取り、決勝3着と好スタートを切った。しかし本デビュー戦の名古屋で大久保花梨に圧倒され、続く豊橋では積極戦に出るも簡単に捲られ大敗。ショックを受け、戦う気持ちがしぼんでしまった。
「本デビュー後は先輩たちにまったく通用しなかった。みんなスピードが速すぎて、気が付いたらレースが終わっている感じでした。それでも練習だけはサボらずやっていたので、時間がたてば慣れていくのかなと思ったけど…武雄で落車をしてしまいました」
武雄・富山では相次いで落車。顔面擦過傷に眼球損傷、肺気胸とろっ骨骨折の重傷を負った。
「武雄のあと1場所だけ休んで富山に行く前、師匠に『復帰はまだ早いんじゃないか』と言われたけど、走りに行ってまた落車。武雄の時はそこまで痛くなかったけど、富山での落車は顔の擦過傷がつらかったし、目の傷も視力が落ちるかもと言われて不安になりました。痛みも精神的にもきつくて“もうやめたい”と思いました」
娘を心配した母からも「危ないからもう選手を辞めて」と言われたが、「辞めてもやることがない」と恐怖心を振り切って再び練習へ。10月の大宮で復帰し、いきなり決勝2着。12月には岐阜で初優勝を挙げた。
「落車が続いたときは『いつになったらゴール線を駆け抜けることができるのか』と思ったけど、復帰してよかった。母には選手を辞めてほしいと言われたけど、ここで辞めたら選手になった意味がないと思ったし、ここまでかかった時間がすべて無駄になるのは嫌だった。それに、やりたいのに選手ができない人もいる。自分はまだ選手をできるのだし、やらなきゃいけないと思って走りました」
デビュー2年目は3月と7月に優勝。4月には新人選手の登竜門「ガールズフレッシュクイーン」にも出場した。大ケガを乗り越えて、卒業記念チャンプの名に恥じない立派な戦歴を残していった。
しかし3年目の1月、流用追加で参加したガールズケイリンコレクショントライアルで新型コロナウイルスに感染。インフルエンザも併発してしまった。
「1週間くらいで良くなるかなと思ったら、全然回復しなかった。朝起きても体がだるいし、練習ではちぎれるし、レースでは周回中で息が上がってしまう状態。7着ばかりになったのは初めてで、負け癖がついて心が折れてしまいました。練習はしているのに結果が出ず苦しかったです。後遺症みたいなものだったのかな…」
それでも名古屋の仲間が支えてくれた。2025年は9月に岸和田で久しぶりに優勝し、10月には静岡でも優勝。積極性が目立つようになってきた。
「デビューからしばらく、レースになると考えていたことが飛んでしまっていた。でも最近はちょっとだけ余裕ができて、考えていることをレースで出せるようになってきました」
力を発揮できるようになった理由は、レースへの慣れともうひとつ、大きな要因がある。
「名古屋の練習環境がいいこと。いつでも練習を一緒にやってくれるメンバーがいて本当にありがたいです。自分の気持ちが乗らないときでも付き合ってくれるし、気分を上げてくれる。セッティングやウエイトトレーニングのことを聞けば何でも教えてくれる。最高の環境で、自分は名古屋じゃなきゃ選手生活が終わっていたと思います」
自分の時間を犠牲にしても練習を見てくれて、助言をくれる仲間の存在が大きいと感謝する。
「練習では自力を出しているのに、レースでは自力を出せていなかった。『それなら練習で自力を出す意味ないだろ』ってみんなに言われました。確かになと思ったし、自力を出してダメなときもあるけど、出さないと分からないこともある。最近吹っ切れて自力を出したら成績が良くなってきたんです」
優勝を積み重ね、GI出場も視野に入ってきた。西脇は単発レースや、GI前座レースへの出場はあるが、GIの出場経験はまだない。未知の世界へ飛び込む準備はそろそろ整ってきた。同期では吉川美穂、飯田風音、太田瑛美、内野艶和がすでにGIの大舞台に立っている。
「昨年までは正直GIに出たいとは思えなかった。今年になって優勝できるようになり、記者の人にも『GIに出られそうですね』って言われるようになったので、意識するようになりました。ただGIに出られても、全然通用しなかったら楽しくない。もっと頑張ってGIで戦えるようになりたいという気持ちが出てきました。最初から通用するとは思わないけど、挑戦者として頑張ろうと思っています」
来年4月に松戸で行われるGI「オールガールズクラシック」出場が視野に入ってきている。今年は地元地区の岐阜で行われ、西脇は前座レースに参加している。
「ファンの方の熱気がすごかった。賞金もすごい(笑)。岐阜の時は『自分とは別世界だ』と思ったけど、今は頑張って出てみたいと思えるようになりました。まだ足りない部分を埋められるように、練習していきたいです」
「なるようにしかならない」ーー西脇はこれまでこのスタンスで歩んできたが、いまは違う。自分の力でGI出場権を掴み取りたいと強い決意を見せる。
「優勝すると、名古屋の練習仲間が自分のことのように喜んでくれる。岸和田で勝ったとき、一緒に参加していた高野輝彰さんが笑顔で自転車を取りに来てくれて本当に嬉しかったんです。高野さんは普段、寡黙な人。高校生のときからお世話になっているので、喜んでもらえて本当に良かった。GIで活躍することが普段練習を見てくれる人への恩返しだと思うので、頑張っていきたいです」
かつて競輪選手を目指していた父の意志を継いで、ガールズケイリンの道に進んだ西脇美唯奈。
「お父さんの夢をもらっただけだけど、今は感謝しています。もっと喜んでもらいたいから、頑張ります!」
競輪好きの家族の背中を追い、名古屋の仲間たちと支えあって、成長を続ける西脇美唯奈。そのはじける笑顔と強い脚で、次はGIの舞台を沸かせてくれるだろう。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。
