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すっぴんガールズに恋しました!

【奈良岡彩子】代謝で引退した実力者が成績急落の真相明かす 頭脳で磨いた独自スタイル、ガールズケイリン初期を支えたマーク巧者

アプリ限定 2025/08/21 (木) 18:00 30

2025年6月、ガールズケイリン創設期から走り続けてきた奈良岡彩子(35歳・神奈川=104期)が代謝となり、現役生活に幕を下ろした。ソフトボールから転身し、堅実なマーク戦術で数々の名勝負を演出。豪快な自力型の背後に構え、ファンから「車券に組み込みたい存在」と信頼を集めた12年間の歩みを細部まで追った。

ソフトボールに熱中 高校時代の夢と現実

 奈良岡彩子は青森県藤崎町(旧常盤村)の出身。兄と二人きょうだいで育ち、幼い頃から体を動かすことが大好きだった。村ではバドミントンが盛んで、小学高学年から競技を始めた。

活発な少女時代(本人提供)

「兄が野球をしていたので自分も野球をやりたかった。でも女子はソフトボールという雰囲気でした。ただ中学には部がなかったので、高校から始めるための体力づくりとしてバドミントンを選びました」

 余談だが、この時期に後にガールズケイリンで共に走る戸田みよ子と顔を合わせていた。運命の糸はすでに繋がっていたのかもしれない。

 弘前実業高校に進学し、ソフトボール部に入部すると投手や外野手を務めた。当時、ソフトボール日本代表が2000年のシドニー五輪で銀、2004年のアテネ五輪で銅メダルを獲得するなど人気が高まっていた時期だった。

「小学生のときはシドニー五輪を見て憧れ、中学時代はアテネ五輪で夢をふくらませました。日本代表になりたい気持ちはありましたが、高校は地方なうえ強豪でもなかった。大学に行ってスポーツトレーナーの資格を取ろうかなと考えていました」

(本人提供)

運命を変えた出会い 日本一のクラブで夢を追う

 高校2年の夏、五所川原市のつがる克雪ドームで日本代表エース・上野由岐子らが在籍する日本一のソフトボールクラブ・ルネサス高崎女子ソフトボール部(現・ビックカメラ高崎ビークイーン)の合宿が行われた。地元の小中学生向けのソフトボール教室を見学し、端でキャッチボールをしていると声をかけられた。

「関係者の方に『投げ方がいいね。明日合宿においで』と。担任の先生にも背中を押され、学校を休んで合宿に参加しました。日本代表選手ばかりで圧倒されていると、練習後に宇津木麗華監督から『君をチームに入れたい。また来年見たいから体を作っておくんだよ』と言われました。すごく嬉しかったけど現実感がなくて、きっとみんなに言っているんだろうとあまり真に受けていませんでした」

 だが見抜かれた才能は本物だった。高校3年の夏、インターハイが終わるとルネサスが山形で行うリーグ戦に呼ばれた。入団テストだと思い意気込んでアップすると、宇津木監督がチーム部長を連れてきて「この子取るから」と即決。異例のスピードでの入団決定だった。

ソフトボール時代のチームメイト(本人提供)

 その後は在学中から沖縄キャンプに帯同し、卒業式だけ青森に戻った。強豪クラブ・ルネサスに加入したのは2008年、北京五輪で日本が強敵アメリカを倒し、金メダルを獲得した年だった。

「憧れの選手たちに囲まれ、夢のような空間でした。寮生活でいろんなことを学び、社会経験も積みました。肩を故障したり練習についていくのに必死で、挫折も味わいました。3年目のシーズンを終えて引退を決めました」

トレーナー志望からガールズケイリンへ

 現役時代終盤、上野由岐子らとトレーナー鴻江寿治氏のキャンプに参加。鴻江氏はさまざまな競技に携わるトレーナーで、故障した肩の治療などアドバイスを受けていた。ソフトボール引退後はスポーツトレーナーを目指すつもりだった奈良岡は、鴻江氏の講演会を訪ねた。

「引退の報告と今後の相談で訪ねたら『アメリカに5年行ってアスレティックトレーナー資格を取るか? お金の心配はしなくていいから』とまで言っていただきました。でも当時は覚悟も英語力もなくて…。代わりにゴルフか競輪をすすめられました」

 示された二択で奈良岡が選んだのは競輪だった。すでに女子競輪の再開が決まっており、1期生の願書締切はその翌日。鴻江氏が関係者に連絡するとトントン拍子に話は進み、奈良岡は挑戦を決意した。

セカンドキャリアにガールズケイリンを選択(撮影:北山宏一)

 競輪学校の適性試験は、直前まで現役バリバリのアスリートだった奈良岡にとって、余力を持って臨める内容だったという。難なく突破し二次試験に向け対策するべく、弘前の体育館で紹介されたのが後の師匠・工藤友樹氏(81期・引退)だった。

「初めてのパワーマックスで全力で漕いだら吐いてしまった。その姿を見て『女子でこんなに追い込めるのはすごい』と弟子に取ってもらえました」

 こうして競輪への道が本格的に始まった。工藤氏の指導を受け、競輪学校の二次試験を無事クリアした。

養成所時代、挫折と仲間の支え

 2011年、日本競輪学校に女子第1期生として合格。2012年7月のデビュー予定だったが、在学中の持ち物検査で実家から送られたかばんに携帯電話が入っており、卒業見送りとなってしまう。

「親は携帯電話が入っていると知らずに荷物を送ってしまった。自分の不注意です」

 失意の中、当時の校長・滝澤正光氏の言葉が救いとなった。

「面談で『奈良岡は練習を頑張っている。次期の試験を受けて頑張ってみろ』と言ってくれました。104期の追試を受けて、なんとか競輪選手への道をつなぐことができました」

 104期で再入学すると、102期の大和久保美と知り合いだった矢野光世(引退)に声をかけられた。新たに同期となった仲間たちは、事情を知ってもフラットに接してくれたと振り返る。

「104期のみんなの優しさに救われました。自転車経験がなかったので、結果的に2年間学校にいられたのは基礎作りに役立ったと思います」

同期の石井寛子(中央)、田中まい(右)と

 第2回トーナメントで優勝し、追い込みの才能を見出されたこともあった。

「私は打鐘から全突っ張りで(石井)寛子さんや(山原)さくらに勝負するつもりだったんです。ダッシュ力には自信があったし全開で突っ張ったつもりが、さくらに軽く叩かれました(笑)。さくらの後ろで脚をためて最後差して優勝。教官に『追い込みの才能があるな』と言われた。当時は自力で活躍する選手になりたいのに、と思いましたけどね」

 ハイレベルな104期生の中で揉まれ、追走技術や番手で脚を溜める能力が培われた。

「周回練習が一番苦手でしたが、どう脚を溜めるかを考えて取り組んだことがデビュー後に役立ちました」

デビューと初勝利…“自分の形”求めて

 2013年5月松戸でデビュー。結果は5、6、4着とほろ苦いスタートだった。だが同年9月地元青森で初勝利。翌年豊橋で加瀬加奈子のまくりを差して初優勝を飾り、函館でも優勝を重ねていった。

「ガールズケイリンは独特な競技だと感じました。ソフトボールではチームの和を大事にして、監督が決めたことをしっかりやるという思考だった。でも競輪は練習もレースも、結果を受け入れるのも自分ひとり。師匠にも『強くなりたいなら自分で考えることが大事』と教えてもらい、意識が変わりました」

デビュー戦の松戸にて

 同期や後輩の強烈な自力型と比べ、自分は突出した能力がないと感じた奈良岡。ウエイトトレーニングも腰痛で続けられず、ほかの選手はやっていない独自のトレーニングに挑戦した。

「古武術の本を買って読み、著者に連絡してトレーニングでお世話になった。ソフトボール時代から憧れていたイチローさんを参考に、初動負荷トレーニングにも挑戦しました。体の使い方で勝負するスタイルに惹かれていたんです。とにかく“自分のカタチ”を早く見つけたい一心でした」

 やがてマーク巧者としての地位を確立。豪快に自力を出す選手の後ろに奈良岡がいるということは、ガールズケイリンファンにとっても頼もしい存在だった。

「成績がいい時期は2着を取る自信がありました。準備だけは欠かさなかった。レースは全部見て研究し、対戦相手の表情や会話から調子を読み取っていました」

 ガールズケイリンは心理戦も重要な競技だ。

「自分のスタイルが浸透するにつれて、私との併走を嫌がる選手が出てきたり、自力選手が自分の前に入ってくれたりと走りやすくなった。一度自力選手に理由を聞いたら『奈良岡さんは離れないからです』と。もちろんライン戦ではないんですが、自力選手は自分の後ろに動ける選手が入るのが一番嫌なので、私のような“離れず、差せず”の選手は安心だったのかもしれません」

 2015年は優勝3回、2016年は優勝4回。以降毎年優勝を挙げ、3連対率は高いアベレージを維持して車券に貢献した。ガールズケイリンフェスティバルやグランプリトライアルといったビッグレースへの出場も果たした。

 2着の多さから時に“シルバーコレクター”とも呼ばれたが、それもまた奈良岡らしさだった。

区切りの10年、成績急降下の真相

「もともと細く長く続けるつもりはなかった。ガールズケイリンを紹介してくれた鴻江先生からも“10年は頑張れ”と言われていたんです。だから10年間は競輪にすべてを注ぎました。10年を過ぎたとき、その反動なのか人生のすべての時間を競輪と向き合うことが精神的に苦しくなってしまった。コロナ禍も重なり、今後について考える時間が増えました」

 そんなとき、スポーツマッサージでいつものように細かく注文を出すと「奈良岡さん、体と向き合う仕事が向いているんじゃないですか」と言われた。トレーナーやマッサージの仕事なら、競輪選手になってから勉強したことが生かせる。中途半端なことが嫌いな奈良岡は、本格的に鍼灸師を目指し専門学校へ通うことを決めた。3年制の専門学校は厳しく、青森支部から神奈川支部へ移籍したのも学業との両立のためだった。

「訓練日や健康診断で青森に帰る時間が取れないほど、学校生活はハードだったので移籍しました。選手生活の晩年は月に1場所しか走れないことも…。練習の貯金はすぐなくなり、レースに参加できなくなってしまいました。練習不足は自分の責任なので、資格取得は公表することではないと思った。弱くなって厳しい言葉も届きましたが、事実なので受け止めました」

専門学校で鍼灸を学び、新しい人生の扉を開いた(本人提供)

 専門学校入学後、成績が急降下した奈良岡。競輪選手には代謝制度があり、半年に1回、成績下位の選手は強制的に引退となってしまう。奈良岡も2025年前期の代謝候補だったが、4月の青森最終日で3着に入り1年ぶりに車券に絡んだ。挽回の可能性を感じさせたが、2024年前後期の点数が重くのしかかり、巻き返すことはできなかった。

「3月に専門学校を卒業。レース勘が戻ってきて少しだけ成績が良くなりましたが、6月で終わりだと言うことは分かっていました。最後は集団でゴールできるようになったし、差し込めるとこまで戻せた。最後にそういう姿を見せることができてほっとしました。少しだけ恩返しできたかな」

 そして2025年前期の代謝制度で引退が決定。最後に走った故郷の青森では3着に入り、意地を見せた。

やり切った12年、未来へのエール

 迎えたラストランはいわき平ミッドナイト。7、6、7着と結果は残せなかったが、無事故で走り切った。

「最後に地元神奈川の平塚と、北日本のいわき平を走れてよかった。最後にファンの前で走れなかったのは残念だけど、お客さんがいたら泣いていたかも。ミッドなのに選手仲間が見に来てくれてうれしかったです」

 周囲に気を遣わせないようにと引退を伏せていたが、同期・梶田舞が前検インタビューで触れてしまったのも、今となっては笑い話だ。

「最後の開催は加藤舞とずっと一緒に練習していました。いつも通りの開催にしたかったから、記者の方にも引退と書かないでほしいとお伝えしていたんですが、梶田(舞)が言ってしまった(笑)。カジちゃんらしいですよね」

いわき平でのラストラン(本人提供)

 12年の選手生活は「やり切った」と言い切る。

「いつ辞めてもいいくらい、後悔しないように走ってきました。自分のレーススタイルだと落車リスクもあったし、レース前の緊張感、集中力は大事にしてきた。それが落車や事故の抑止力にもなると思うので。児玉碧衣や佐藤水菜のような常に勝つレースはできなかったけど、目の前のレースを一生懸命やることを意識して走ってきました」

 そしてガールズケイリンの初期を支えた一人として、次世代に思いを託す。

「周りの人に恵まれてきた人生。とくにガールズ選手たちとはいっぱい話をしましたね。その中で今のガールズケイリンを作ることができたんじゃないかなと。初期から走ることができて、本当にいいときに競輪選手になれたと思います。これからはガールズケイリンのファンとして、面白いレースが見たい。どうしたいかがファンに伝わる走りをしてほしいです」

 奈良岡がデビューした頃から比べて、ガールズケイリンの選手数は大幅に増えた。彼女のように一芸に秀でた個性派レーサーが増えていけば、さらに競輪の魅力が知れわたるのではないだろうか。

第二の人生も真摯に体と向き合う

 引退後は神奈川県内の鍼灸院で、鍼灸師として修行を積む毎日だ。女子オールスター競輪ではYouTube配信での解説も担った。クレバーで選手の特徴をよく知る彼女なら、競輪関係の仕事も増えていくはずだ。

 ソフトボールから競輪へ。人との縁に導かれた奈良岡彩子のレーサー人生は、自力型にぴったりと付く技術と、地道な努力で信頼を集めた12年間だった。 新たな道でも、真摯に体と向き合い続ける姿勢は変わらない。

 ガールズケイリン初期を支えた名レーサー奈良岡彩子、本当にお疲れさまでした。

心の支えとなった同期たちと

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すっぴんガールズに恋しました!

松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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