2025/06/28 (土) 19:00 30
全国300万人の慎太郎ファン、netkeirinをご覧の皆さん、岸和田GIを走ってきました佐藤慎太郎です。なかなかうまくいくことばかりではないが、日々に発見があり、刺激と感謝にあふれた競輪人生を過ごしている。今月も自由気ままに思いを綴っていく。熱中症には気をつけて、プロテインでも補給がてら読んでみて欲しい。
岸和田シリーズを回顧する前に書かないといけない。先日オールスターのファン投票結果が報じられた。オレは12位で、オリオン賞レースを走れることになった。投票開始時点、オレは怪我で戦線離脱していた。そんな状況にも関わらず、佐藤慎太郎に投票してくれた人達がたくさんいたということ。この事実はさすがに胸に沁みるものがある。今はなかなか期待に応えるようなレースができず歯がゆい気持ちを抱えている。オールスターまでに状態を上げていき、慎太郎ファンに恥じない走りがしたい。
オレがいるのは白黒がつく勝負の世界だ。勝利から遠ざかれば「頑張ろう」というメンタルには必ずダメージがある。シリーズで1レースでも勝利したり、自分自身が納得できる1本があったりすれば、その充実感は原動力になる。だが、怪我でまったく思い通りに走れないとき、自分を突き動かすような原動力を見失いがちになる。そんな時に心が折れそうになるって仕組みさ。
だが、オレはかなりの幸せものだよ。怪我だか復調の途中だか知らねえが、納得できないレースをしちまっても、毎度スタンドからパワーが届けてくれる人達がいた。心が折れる前に「くじけていられるか」って気にさせてもらっている。ファンのみなさんには最大限の感謝を書き記しておきたい。いつも、アザス!
すでにオレの中で「去年までS班にいた」という実績や記憶は霞んでいる。つい最近のことなのに不思議だが、自分の今の立ち位置を完全に受け入れている。ただし、「まあ、佐藤慎太郎は年齢を考えればこんな立ち位置になっていくわな」と“当たり前”のように受け入れているわけではない。現状を受け入れて、応援の声を自身の力に変えて、現状に反発していく。反発するために、覆すために、現状をしっかりと受け入れているって感じだな。
さて、GIを振り返ろう。シリーズの結果は5発走って7・3・6・2・7着。一次予選はクリアできたが、二次予選で敗退した。身体の状態は徐々に戻っては来ているものの、GIシリーズは甘くはなかった。だが、このシリーズで得た収穫はこれからの自分の競輪人生にとって重要なものだった。ラインの3番手でGIを戦ったことで、新しい感覚を味わったからだ。
少し時代を巻き戻すが、2年前の高松宮記念杯が終わったとき、オレは北日本の仲間たちについてコラムを書いている。難しい勝ち上がりの中で北日本の選手たちの“秘めた闘志”をビンビンに感じながら走っていたので、周囲にいる選手たちの気迫に感動したと綴ったわけだ。最善を尽くし、力を出し切っての準優勝となったが、自分ひとりで出した結果ではなく、北日本の選手たちの後押しを全面に受けた結果だと記憶している。
そして、今年の高松宮記念杯。北日本のラインへの敬意を違った形で再確認することができた。オレにとってライン3番手の動きは難しく、ストレートに自己評価すれば「オレって下手だな」という感じ。少しだけラインについて語ると、3番手は動作的に常にワンテンポ遅れる。勝負所でのコース選択も複雑で繊細な判断を求められる。
3番手の選手を番手の選手と比べれば勝利へのチャンスは限られてくるし、レース展開によってはラインのために己を差し出す場面もある。以前から書いてきたが、追い込み屋で勝利を求める以上は4番手よりも3番手、3番手よりも番手という具合だ。このシリーズで3番手を回ることで「大名マーク」という言葉の真意も実感したな。
これまでも3番手を固めてくれた選手への感謝と敬意は常に胸に刻んできたつもりだ。しかし、自らがGIを舞台に3番手を回ったことで、これまで以上に敬意を払わなければならないと痛感したね。シリーズ初日、レース後のクールダウンを終えると控室に渡部幸訓と阿部力也がいたので、「これまで3番手を固めてくれていたみなさん、本当にありがとう」と伝えた。幸訓は「3番手の大変さ、わかりましたか?」と声をかけてきたな(笑)。
ちなみにオレが全幅の信頼を寄せている小松崎大地からは「慎太郎さん、3番手全然慣れてないですね。慣れればもっと脚も溜められるんじゃないですか?」と言われた。大地はオレの3番手としての走りを見て思うところがあったのだろう。互いに意見を交わした。
このシリーズで感じたことは間違いなくオレを前進させる材料になると思う。今後、番手を走る際には3番手の選手のことをより深く理解し、連動した走りを求めるようになるだろう。白星をつけることもできずにシリーズを終えて心底悔しい気持ちがある。だが、ポジティブな経験ができたこともまた真なり、だ。
いろいろ書いてきたが、体のコンディションにも復調気配を感じているし、練習の強度も完全に戻している。毎日佐藤慎太郎をぶっ壊すつもりでやってるよ。
GIを終えてから自問自答を続けている。「3番手の技術をどう磨いていくか?」というテーマにも向き合っているし、レースも自己分析している。でも胸の内では「番手を主張すべく実績を積み上げようぜ、点数を上げようぜ」と意気込む自分の声もデカい。
3番手の重要性、敬意を再確認したのちに「番手を回りたい」と渇望する今、この感情は起爆剤になるだろう。『このまま下降していくのか、再上昇できるのか』--。正直、強気なことを言い続けることなんてできねえ。でも投げ出すことなどもっとできねえな。気が済まねえんだよ。今、追い込み屋として目指すべきはただひとつ。選手たち、番組さん、記者さんたち。あらゆる人たちから「番手回りは佐藤慎太郎だ」と評価される力をつけていくことだ。
ちょうど前回のコラムを公開した日、平原康多の引退表明があった。平原は年下の選手だが、“お手本”となる存在の一人だった。記憶にあるレースは相当数あるが、やはり2020年の四日市記念は鮮明だ。
オレはKEIRINグランプリの出場権利をかけた賞金ランキング争いでボーダーライン上に位置していた。四日市記念はなんとしても優勝して終えたいシリーズだった。準決勝、オレは平原の後ろにつけた。いつも気持ちのこもったレースをする平原は他地区のオレが後ろについていながらも、別線の番手をさばき、“ライン第一のタイミング”で仕掛けてくれたな。そして決勝では宿口陽一と平原の後ろからオレは優勝を飾ることができた。ゴール後に「これでグランプリ見えましたね」なんて声をかけてくれたなあ、平原。
選手の引き際というのは考え方や美学が選手個人にあるので、周囲がとやかく言う話ではない。それは前提にあるが、「弱くなった平原の走りも見てみたかったなあ」と寂しく思っている。思い通りに行かない走りと対峙した時、平原ならどういう風に向き合ったんだろうって。同じ時代に対戦し、連係もして、宿舎では語らったりもした。とやかく言う話ではないが、純粋な寂しさを綴るくらい許されるだろう。
オレも「引き際」については何年もぼんやりと考えている。「平原康多、引退」ではやっぱり自分のことも考えた。結論としては“弱くなっていく佐藤慎太郎”をみなさんに見せていくのもアリなのかなって感覚だ。結局は自分が納得できるかどうかだ人生は。
弱くなることに抗ってもなお弱くなっていく、そんな未来があったとしても限界まで競輪に打ち込めていたなら、それは“カッコイイ競輪選手”のひとつの形なんだろうなと想像している。「やり残したことは一つもない」と言えるその日まで。今のところ、オレの美学はその路線でやっていこうと思う。
ちなみに岸和田で一緒になった井上昌己に「60くらいまで全力でやるとして、選手寿命もあと11年か」って話をした。そしたら昌己は「慎太郎さん、そんなトレーニング60まで続けてたら選手寿命じゃなくて人間寿命になりますよ」と言っていた(笑)。昌己はオレが追い込み過ぎたり、競輪に没頭し過ぎている時に「競輪だけが人生ではないでしょう」と心配しつつ冗談を言ってくれる存在なんだよな。
ファンのみなさんへの感謝、ライン戦における気づき、引き際に関すること。今月のコラムも取り留めもなく書いてきた。本当にいろいろあるよな、って思う。今は負けて悔しくて、このままでは納得できねえ。気が済まねえし、このまま終わるなんて冗談じゃねえ。これからのアツい季節、たくさんの汗を流すつもりだ。
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佐藤慎太郎
Shintaro Sato
福島県東白川郡塙町出身。日本競輪学校第78期卒。1996年8月いわき平競輪場でレースデビュー、初勝利を飾る。2003年の全日本選抜競輪で優勝し、2004年開催のすべてのGIレースで決勝に進出している。選手生命に関わる怪我を経験するも、克服し、現在に至るまで長期に渡り、競輪界の第一線で活躍し続けている。2019年、立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ2019で優勝。新田祐大の番手から直線強襲し、右手を空に掲げた。絶対強者でありながら、親しみやすいコメントが多く、ユーモラスな表現で常にファンを楽しませている。SNSでの発信では語尾に「ガハハ!」の決まり文句を使用することが多く、ファンの間で愛されている。麻雀とラーメンをこよなく愛する筋肉界隈のナイスミドルであり、本人の決め台詞「限界?気のせいだよ!」の言葉の意味そのままに自身の志した競輪道を突き進む。