アプリ限定 2025/04/28 (月) 18:00 8
“最高峰のGI”と称される日本選手権競輪(以下ダービー)。今年で第79回を数えるダービーではこれまで多くの名勝負が生まれ、競輪ファンの心に感動のシーンが刻まれていることだろう。今回は「忘れられぬダービーの記憶」と題して、7名の競輪記者によるダービー決勝回顧をお届けする。(構成:netkeirin編集部)
思い出に残っているダービーとはーー。
そう聞かれれば、今までは真っ先に2016年に行われた2つのダービーを挙げていた。1つは3月の名古屋開催。私が初めて現地で取材したダービーということで思い入れが強かったこともあるが、決勝戦での村上義弘氏の大立ち回りには全身鳥肌が立った。もう1つは熊本大地震直後に行われた5月の静岡開催だ。中川誠一郎が故郷に勇気を与えた感動のV。準決後に「神風が吹いていた」という本人の談話を含めて、当時のことは鮮明に覚えている。
ただ、2024年のいわき平ダービーは、2016年の2つと同等か、あるいはそれ以上に感動的で衝撃的だった。優勝したのは平原康多ーー。競輪にどっぷりハマるキッカケをつくってくれた、私の中の大スター選手だ。
埼玉県民の私が競輪を覚えたのは2008年ころ。当時の平原は最も勢いのある若手としてGIタイトル獲得も期待されており「埼玉にそんなすごい選手がいるんだ。しかも隣町の川越工業の卒業生なんだ!」と勝手に親近感を覚え、私は“平原ファン”になり、競輪にもどっぷりハマった。その後記者となり、直接会ったり話したりできる立場になったが、実は今でも毎回緊張しながら取材をしている。それだけ『平原康多』という選手は私にとって特別で偉大なスター選手なのである。
話を戻そう。輝かしい実績を誇る“埼玉の至宝”がついにダービー王の称号を手に入れたわけだが、平原がこの年にダービー初制覇を達成することを予想できた人は、ほとんどいなかったはずだ。
2023年は、平原にとって選手生活で最も厳しい1年だった。落車による度重なる大ケガ、さらには椎間板ヘルニアの発症などの影響もあり、10年連続で守ってきたS班の座から陥落。年が明けてFI戦にも出場するようになったが、そこでも準決で敗れるなど結果を出すことができなかった。満身創痍の中での走りが続き、「もう全盛期のような走りは望めないのか」といった空気感がある中で、2024年のダービーを迎えたのだった。
特別選抜予選は眞杉匠に乗って抜け出し、幸先よく白星スタート。これで優秀戦へと進み準決の権利を獲得すると、その準決も眞杉の先行を利して2着。決勝は吉田拓矢に前を託し、後ろを武藤龍生が固める3人ラインで臨んだ。吉田には自身の後継者として関東を引っ張っていってほしいという願いからアドバイスを惜しまず送り、時には厳しくも接していた。そんな吉田がホームカマシで主導権を奪取。また平原のもとで練習するようになり、その成果で日本を代表する追い込み選手に成長した武藤がインを狙う敵のコースを徹底して塞ぐなど、3番手の仕事に全力を注いだ。そんな後輩2人のアシストを受けると、その思いに応えるべく長い直線を目いっぱい踏み込んで、歓喜のVゴールへと飛び込んだ。
平原の優勝を自分のことのように喜んでいた吉田と武藤の姿が非常に印象的で、そのシーンは平原の人柄の良さを象徴しているようだった。また、表彰式で涙を流していたが「FI開催にわざわざ遠征までして応援してくれるファンの方がいるんですが、表彰式でその人の姿が見えて…。その方の顔を見たら我慢できなかったですね」と後日語ったエピソードにもほっこりさせられた。
平原は今年も相次ぐケガに苦しんでいるが、何度も逆境を乗り越えて、そのたびに強くなって帰ってきた。今回もきっとーー。多くのファンと関東の仲間が、また奇跡を起こしてくれる瞬間を待っている。
(協力:公益財団法人JKA 提供:いわき平競輪場)
netkeirin取材スタッフ
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