閉じる
リンカイ!コンテンツ

30代からの挑戦、止まらない成長!永塚祐子が何度怪我をしても絶対諦めない理由…「誰かの励みになることが、私の原動力にもなる」【リンカイ!コラボインタビューvol.2】

2024/06/05 (水) 20:00 42

アニメ『リンカイ!』に出演する声優の日向未南が、アニメに登場するキャラクターと境遇が似ている方へインタビューするコラボ企画。第2弾は118期の永塚祐子選手。新卒で大企業へ入社し安定した生活をしていた永塚選手が、心機一転ガールズケイリンを目指したきっかけはなんだったのか。交通事故や落車で何度怪我をしても選手でいることを諦めない理由とは……。こちらの記事の内容は、日向未南さんによる漫画版も公開されます(企画・構成:netkeirin編集部 聞き手:日向未南 撮影:Kenji Onose)。

◆「スポーツを仕事にしてもいいんじゃない!?」

ーー永塚選手は学生時代にバスケットボールに打ち込み、社会人経験を経てガールズケイリン選手になりました。学生時代から会社員時代のことを教えてください。

 高校までバスケットをしていましたが、ケガで挫折をし、将来はスポーツトレーナーかOLになりたくて東海大学に進学しました。希望通りスポーツトレーナーの勉強をしましたが、なかなか厳しい世界で。結局、不動産会社の三菱地所レジデンスへ就職したという感じでした。

 入社後はマンションの販売営業をしていました。お給料が年功序列だったり、営業専門職での入社だったためやりたい仕事につけず、自分はこの仕事の真髄までたどり着くことはできないのかなあ……と感じて、転職を視野に入れていました。

 7年続いた営業から本社へ異動になり、そのタイミングで会社のバスケ部に入りました。社会人バスケって、仕事ではないのに真剣なミーティングを重ねたり、悔しくて泣いたりするほど打ち込んでいる人がたくさんいて、私もその一人でした。必死に熱意を注いでいたら、ご飯を食べるのも息をするのも疲れるようになってきて。

 そんな時に交通事故に遭い、鬱っぽくなって休職することになりました。家にいたら塞ぎこんでしまうから外に出たかったけれど、むち打ちがひどくてバスケはできず。それで、自転車に乗ってみようかな、と。

 たまたまテレビでガールズケイリンを見てバンクを走ってみたいと思ったんです。そしたら、お世話になった自転車屋さんから川崎競輪場でイベントがあると教えてもらって、行ってみることにしました。

 気晴らしにバンクを走りに来てタイムを計ってみたら、周囲が驚くほど速いタイムが出てしまって(笑)。「プロになれるんじゃないか」と、支部長にご飯に誘っていただいていろいろお話し、弟子入りを決意しました。

ーーいろいろなタイミングが重なって、ガールズケイリンの道が開かれたんですね。転身の決め手はなんだったのでしょうか。

 学生時代、スポーツテストは学校で1番ぐらいにポテンシャルが高かったけれど、インターハイには一度も出られなかった……そのことが自分の中でずっと気になっていたんです。

 その頃、社会人バスケを週4〜5日やっていたんですね。仕事を切り上げて練習に行ったり、日曜日の終電まで練習して、月曜の朝から仕事をしたり。それならもうスポーツを職業にしてもいいんじゃないか、スポーツで自分を肯定できるようになったらもっと人生を楽しめるんじゃないかと思いました。

 やりたいことにチャレンジするなら30歳前半までと決めていたので、周りの人たちに「ガールズケイリン選手になる!」と宣言して、やらざるを得ない環境を作って自分を追い込んでいきました。

 休職中からトレーニングを始め、復職してからは二足の草鞋で、6時半の電車に乗って朝練してから仕事に行っていました。3か月でタイムが出なかったら辞める、ぐらいの強い気持ちで練習に取り組みました。

ーー一所懸命の練習の甲斐あり、ストレートで競輪養成所に合格しました。

 実は養成所の試験を受ける1ヶ月前に事故に遭って、腰が痛くて靴下も履けない状態でした。2週間寝たきりで、その後1週間練習して合格。入所後しばらく腰の痛みと向き合いましたが、夏帰省の2週間でトレーニングやケアに行ってようやく解決策を見出せたんです。トレーナーをやっていたのもあって体の解剖学は網羅していたから、筋肉がどうついているとか、どう動かせばいいとか……そういうのがわかっているのは大きかったですね。年下の子たちと比べて体力のなさはディスアドバンテージだけれど、その分、これまで得てきた知識や考える力を強みにしようと努力しました。怪我を経てゴールデンキャップを2回獲っているので、自分としては200点をあげたいです(笑)。

 ただ師匠としては、在校1位を獲ってほしくなかったみたいです。1位を獲ってしまうと注目されすぎるから、2〜3位のほうが良かったんじゃないと。「プロの世界は養成所に比べて段違いで厳しい」と言われていたので、在校1位でもそこまで自信はなく、現場ではうまくはいかないだろうなと覚悟していました。

ーー養成所では、新たな学びや気づきはありましたか?

 自分を大事にする必要性に気付きました。バスケ時代はチームメイトに迷惑をかけないことをモチベーションに死ぬ気で練習していたんです。みんなのために頑張るのが好きでした。自分が活躍したいと思ってプレーしたこともありませんでした。

 でも、競輪は個人プレー。周りが自分より年下だから気にかけてあげなきゃ、みたいなことをしていたら負けてしまう。まず自分を大事にして生活しなきゃと気付いたんです。これは現在も課題で、自分のために頑張ろうという意欲を見出すのが苦手です。レースに勝っても喜びが少なく、安堵感の方が大きいです。自分が勝ちたいというより、お客さんや周りの期待に応えなきゃ! という感じ。

◆泣いてメンタルリセット!?

ーー晴れてデビューして迎えたルーキーシリーズ。当時の思い出を教えてください。

 養成所のレースでは、予選で結果を残しても決勝で飛ぶことが多かったんです。だから、デビューしてからは「決勝で勝たないといけない」とプレッシャーをかけてしまって。ルーキーシリーズは2場所連続で完全優勝できましたが、レースが終わったあとは安堵感から号泣してしまいました。

 1場所目の広島の帰りに新幹線で泣いて、そのあと実家に帰ったら父に言われたんです、「旗を振るのか、重荷を背負ってるのか」って。父の言うとおり喜んで旗を振ろうと思ったけれど、伊東温泉の帰りも車で号泣してしまって、泣きながら「優勝喜べなくてもったいねえなぁ」と思いました。

ーールーキーシリーズ後の先輩たちとの競走は、どう感じましたか?

 やっぱり先輩たちから「勝たせねえよ!」というようなオーラを感じました。 “洗礼”ですね。自力を出せないように蓋をするような後手に回されるレースをさせられて、自分の駆け引きの下手さを痛感しました。

 それからしばらくずっと先行していました。自分の脚をしっかり出して、どれぐらい通用するかを試して、ダメだったら他の戦法を覚えていこう、みたいな感じで。

 自分も2〜3年目になって、あの時の先輩たちの気持ちがわかってきました(笑)。

ーーデビュー翌年の2021年2月、小倉で落車して右鎖骨、肋骨、腰椎圧迫骨折。養成所入学前の事故から間もなく、また怪我を負ってしまいました。

 落車した瞬間はあまり何も思わなくて。ただ、落車から1週間後に腰の骨が折れていると判明したんですよ。お医者さんに飛行機乗っていいよと言われて自力で乗って帰ってきたのに、その後の診察で肋骨・鎖骨の他に腰も折れていると。

 鎖骨が折れたら競輪選手になれるというような格言もあるぐらいなのですが、腰の骨に関してはショックでしたね。筋力が落ちないよう階段を登り降りしていたので、そこで余計に骨が潰れちゃったんじゃないかなと。

ーー欠場中はどのような心境でしたか?

 怪我の直後、1か月後にフレッシュクイーンがあるからと周りの皆さんにすごく助けていただいたんですよ。それなのに……申し訳なくて、精神的にキツかったです。

 身体が硬直して口が開かなくなり、痛さに耐えきれず無言で泣いていました。痛くて痛くて3日に1回ぐらいほろりと泣いてしまって、そこで切り替われました。泣いてリセットしてすっきり! みたいな感じ。

 レースに出られない焦りなどはなかったのに、怪我が完治する前にレースに出てしまったんです。その頃の私、脚が強かったんでしょうね。シッティングしていても、普通の女子のレースの上りタイムで走れるぐらいだったんです。焦りはなくても、潜在的には早く復帰したいという思いがあったのかもしれないです。

ーーその後も落車や腎不全など、身体の不調と向き合って選手生活を続けてきました。スランプに陥ったことはありましたか?

 去年がまさにスランプでした。怪我をしなかったのに競争得点が48点まで落ちてしまって。怪我や腎不全で長所である自力が失われてしまった上に、腰の骨が折れた影響が大きくて、それまでと同じ走り方をしても、同じ感覚で走れなくなってしまったんですよね。

 でも、いろんな戦法試せるじゃん! と。それでマークをやってみました。こういう落ち込んだ時こそ、レースで試行錯誤するチャンスじゃないですか。今までのように戦えなくなったことも、自分にとってはプラスのことでした。

ーー弱点を前向きに受け止めて対処していったんですね。

 前向きな気持ちになれたのは、学生時代の挫折があったからだと思います。バスケは怪我で挫折してしまったので、この仕事……競輪では絶対怪我に負けない! という強い信念がありました。怪我に負けたらまた、自分を責めることになる。だから、どんなに怪我をしてもしっかり向き合って、今の自分を認めることが大切だという考え方にたどり着けたんだと思います。先を見て焦っても悩んでもしょうがないんです。優柔不断で考えすぎな性格でしたが、身体を壊して、悩むことは時間の無駄と気付けました。

 少しずつ身体が動かせるようになってからは、自分なりにリハビリをしたり、アップの方法を気遣ったりするだけでなく、信頼できるパーソナルトレーナーさんについていただいて腰痛を抑える方法を模索しています。自分より知識のある方を一生懸命探してついに、有名雑誌を監修するほどの方に出会うことができました!

 他にはメンタルトレーニングもしています。いわゆる瞑想ですね。

ーーどうしてメンタルトレーニングをしようと思ったんですか?

 練習の調子はいいのにレースで結果が出ないので、原因はメンタルしかない! と考えました。落車したくないという不安からレースが消極的になったり、片頭痛や腎臓病の影響でやりたいレースができなくなることがあって、考えが整理できるメンタルトレーニングに行きついたんです。

 それまで、番組が決まってからレース始まるまで具合が悪くなるぐらい考えすぎることもありましたが、メンタルトレーニングを始めてからは、毎日をわくわく楽しめる。1位を目指すことが楽しい、レースを全力で楽しもう! というように捉えられるようになり、自己否定も減りました。

◆泥くさく頑張る姿が誰かの励みになれば…それが私の原動力

ーー怪我や病気を経て、人間としてどんどん成長する永塚選手が目指している選手像を教えてください。

 前職の友人がレースを見に来てくれた際、みんな感動して泣いていたんです。怪我をしたときには、ファンの方がお見舞いにいろいろ贈ってくださったりも。そういうことを経て、ガールズケイリンが人の心に響く仕事だなと実感しました。

 自分が頑張ることで影響を与えることができるのなら、泥くさくてきついこともあえてオープンにしもいいかなって。アスリートって弱いところを見せない人も多いけど、私はサラリーマンから転職してるから。気持ちは固まっているけど、なかなかうまく発信できずもどかしいです。

 女性は結婚とか出産とか、勝手にリミットをつけられる。そういう世の中で、怪我も病気も乗り越えて、昭和生まれ舐めんな! って若い子たちに立ち向かって、婚活しながら自分のやりたいことをやってるので(笑)。それが誰かの励みになったら嬉しいですし、誰かの励みになることが、私の原動力にもなります。

●Credit
取材協力:リンカイ!Project
撮影:Kenji Onose
Hair & Make-up:堀川千佳
Direction:netkeirin 伊藤千裕

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

バックナンバーを見る

質問募集

このコラムでは、ユーザーからの質問を募集しております。
あなたからコラムニストへの「ぜひ聞きたい!」という質問をお待ちしております。

リンカイ!コンテンツ

netkeirin編集部

女子競輪を題材とし全国の競輪場のキャラクターを制作し、競輪界を盛り上げていくことを目的に始動したリンカイ!Project。漫画化・アニメ化などのメディアミックスを通して盛り上がる『リンカイ!』のnetkeirinスペシャルコンテンツをまとめました。

閉じる

netkeirin編集部コラム一覧

新着コラム

ニュース&コラムを探す

検索する
投票