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【濱野咲さんインタビュー】人生最大の挑戦から、たった1年半で引退を余儀なくされ…元ガールズケイリン選手が現役時代を振り返る【リンカイ!コラボインタビューvol.3】

2024/06/12 (水) 12:00 21

アニメ『リンカイ!』に出演する声優の日向未南が、アニメに登場するキャラクターと境遇が似ている方へインタビューするコラボ企画。第3弾は元120期の濱野咲さん。高校卒業と同時に競輪養成所へ入所し晴れて選手になるも勝利できない日々が続きます。ストレート代謝の対象となりもがき続けるも……。引退から1年経過した今、当時の心境を振り返ります。こちらの記事の内容は、日向未南さんによる漫画版も公開されます(企画・構成:netkeirin編集部 聞き手:日向未南 撮影:飯岡拓也)。

ーー競輪選手を目指したきっかけを教えてください。

 中学ではバスケを、高校では野球部のマネージャーをやっていましたが、裏方よりも自分で体を動かす方が好きだと気付いて。体育大学に行って先生の免許を取ろうとなんとなく思っていました。

 高校3年の初めにスノボー教室に参加したのですが、インストラクターが荒井春樹さんだったんです。競輪関係の仕事をしていた母に荒井さんの話をしたら知っていて、一緒にレースを見に行ってみました。そこで初めて競輪を見て「自分もやってみたいな」と思ったのがきっかけです。

 競輪選手になる方法って、普通のスポーツと違ってあまり知られていない。どこに連絡したらいいかわからなかったんですけど、たまたま高校の担任の先生がガールズ1期生の藍野美穂さんとお知り合いだったんですよ。

 藍野さんから一度支部長にお会いしてみたらとアドバイスいただいて、市川健太支部長に会いに行きました。そして、家から通いやすい京王閣競輪場を紹介してもらい、阿部博之選手に面倒を見ていただくことになりました。

ーーそこから養成所の試験に合格するため、どのように過ごしたのでしょうか。

 自転車競技経験がなくても受けられる適性試験で受験しました。一次試験の内容は背筋やジャンプといった身体検査と学力検査でした。結果を聞いた時はびっくりしました。運動神経に自信はなかったし、受かる人数が少ない、もっともっと厳しい世界で、自分なんかは通用しないと思っていたんです。

 もし落ちていたら次の年に技能で受けようと思っていたけれど、自転車競技をやっていた人たちが受けるから基準も厳しいんです。だから、適性試験での一次試験通過はチャンス。なんとしてでも適性で受かりたい、これで養成所に入れたら選手になれるぞ! と意気込みました。

 そこから二次試験に向け、高校に通いながら京王閣に通ってワットバイクの練習をはじめました。二次試験に受かることだけを目標にワットバイクでタイムを出すためのトレーニングに集中しました。なので、実際に自転車の練習を始めたのは入所までの3か月ぐらいでした。

ーー養成所での生活について教えてください。

 養成所に入学してから2週間、それぞれ隔離された部屋で過ごしました。真っ白な会議室みたいなところに1人でテレビもないし……うつ病になっちゃうんじゃないかと怖かったです。それに、私たちの期は夏と冬にある外出許可がありませんでした。最初は許されていた公衆電話の使用も、そのうち感染防止の一環として使えなくなって……キツかったですね。

 自転車の練習を3か月しかしていなかったこともあり、周りと比べて自転車に乗りこなせていませんでした。みんなと馴染めていなくて相談もできなかった。自転車を自分のものにして、一体となって進んでいく感覚を掴めるまで苦労しました。

 私の同期は自転車歴10年以上ある吉川美穂さんや山口真未さんをはじめ、日本代表の選手など、レベルが高い人が多かったんです。そういう人たちのところにいきなり入っていかなきゃいけないので、追いつくだけで必死でした。同期の走りを見て学んだり、自転車のセッティングを教えてもらったり。とにかくいろんな人に助けてもらいました。

ーールーキーシリーズを終えた初戦が地元の京王閣でした。その時の心境を教えてください。

 養成所とプロのレースは全然違うと聞いていて、それに向けて中村由香里さんをはじめ先輩たちにダッシュの練習をしていただきました。

 でもやっぱりビックリしましたし、怖かったです。それまでは同期だけの開催だったのでレース前の時間も会話があったりしたんですけど、その時は同期がいなくてぼっちだったんで……ちっちゃくなっていた気がします。地元だから知り合いも見に来てくれて、緊張しすぎちゃって。1レース終わっただけでもう、何が何だかわけがわからなかったです。

 養成所だとヨコも後ろ見も禁止されていますが、プロだと後ろを見ない人がいないぐらい。知識として知っているつもりでも、理解はできていなかったんだなと気付きました。1つ1つのレースに車券を賭けていただいているし、自分の勝利もかかってるじゃないですか。だからみんな着を獲りたい、賞金を獲りたい。そういう感覚に気付けていなかった自分はぬるかったな、と思いました。

ーーそこからどのように先輩に食らいついていきますか?

 レースの流れについていくことが一番重要だと思いました。自力がないから、強い選手の後ろにつけること、流れについていくことでやっと勝負をさせてもらえる。養成所でも1番を獲ったことがなかったのに、先輩たちと戦って1着を目指さなきゃいけないので……まずはついていって、そこからどうするかだなって。

 例えば児玉碧衣選手についていくなら位置取りは後ろの方が加速をつけてマークしやすいとか、石井貴子選手(東京)は先行することが多いからスタートを練習して前の位置を狙った方が良いとか。レースをこなしていくうちに、映像を見るだけではわからないことがわかってきました。

ーー良いレースができたと感じた瞬間はありましたか。

 デビューして半年あたりから調子が上向いてきました。2021年12月の取手では、初日に3着、2日目は7着だったけど上りタイムが良かったので、最終日も期待していました。もし着に入れたら、競走得点がぐんと上がるんですよ。

 そしたら転んでしまって。初めての落車でやっぱり怖くて、足が動かなかったんです。そのあと5月にもう1回転んで顔も怪我しちゃって……接触が怖くなってしまいました。自分ではぴったりついているつもりが、レースダイジェストで見ると1車身空いていたりして。落車後は選手が動くときの“踏み出し”についていく練習をしていたんですけど、「こんなに離れてたらついていけるわけないじゃん」って、先輩たちに指摘されました。

 3着に入った時、すごく嬉しかったんですよ。それまでデビューしてから一度も確定板に乗ったことがなかったので。この嬉しかった気持ちをもう1回味わいたい、と意気込んでいたけれど、落車で気持ちが途切れてしまったところはあるかもしれないです。

 落車の恐怖は消えないし、うまく走れない。競走得点を上げたくても結果が出ずストレート代謝が見えてくる。こんな気持ちでやってちゃダメだよなあと思っても、どんどん次のレースがやってきて。それで石井寛子さんに相談したら「走らないと怖さ消えないよ、もっと怖くなるよ」って。

 石井さんのアドバイス通りにしましたが、今振り返ると無理に自分を奮い立たせていたところもあったかもしれないです。どうしようって悩む時間がないくらい、競輪のことを考えようって。

ーー濱野さんは石井寛子選手に練習を見ていただいてましたよね。

 はい。デビューしてから1年経ったぐらいの頃でした。練習は積極的にしていましたが、師匠となかなか日程が合わないことが多かったんです。そんな時に石井さんが「咲ちゃん、まだやる気あるなら練習見てあげるけど、どうする?」って聞いてくださって。もし選手を続けたいなら、自分が面倒を見たら何とかなるかもしれないって。やる気はもちろんあったので、二つ返事で見ていただくことになりました。

 石井さんはとても強くて面倒見もいいけれど、普通だったら代謝まで残り半年の選手の面倒見たいなんて思わないですよね。そんなわたしにわざわざ声をかけてくださって、強さも優しさも兼ね備えているなって、すごく嬉しかったです。

ーー石井選手に師事してからはどんな練習をしましたか?

 石井さんに見てもらうため、朝6時に千葉に行って1時間ぐらい練習し、そのあと自分のホームバンクで朝練に参加します。お昼休みにご飯を食べて、それからまた石井さんのところに戻って夜まで練習。千葉と東京を行き来してひたすら自転車に乗ったり、ウエイトトレーニングしたり、バイクトレーニングしたりしていました。

 石井さんは練習メニューだけじゃなく、マッサージの予約まで、全部の予定を組んでくれるんですよ! 「私のメニューをこなしていれば大丈夫じゃない?」って。私なりに頑張って毎日ちゃんとこなせたので、褒めてもらうことも多かったんですよ。

 ただ、競走ではできないんです。練習の時は石井さんの後ろについていけるのに、競走だと石井さんより競走得点が低い選手についていけない。

 石井さんの言う通りにできていたので、自分でも行けるかもしれないとは思っていました。面倒を見ていただいているんだから、何としてもいい成績を出さなきゃという気持ちもありました。でもやっぱりレースではできなくて。結局メンタルが弱かったのかもしれません。

 練習の通りにやろうと思っても気持ちがぶれてしまったり、走る前から離れたらどうしようって考えってしまったり。代謝のこともあったので、不安が大きく出てしまったのかな。少しでもタイヤが当たると身体がこわばって筋肉が固まってしまって、最後まで落車の恐怖を完全に乗り越えられなかったですね。

ーー同期3人でのストレート代謝が決まり、22年12月の立川でラストランを迎えたときは、どんな思いでしたか。

 ついにこの瞬間が来てしまった、という感じです。応援車券を買い続けてくれた方もいらっしゃったのに、結局紙くずにしかできなかった。同期はたくさん励ましてくれたし、先輩もたくさんアドバイスをくださったのに、いい結果を出せなくて申し訳なかったです。石井さんからは「あと半年早く一緒にやってたら絶対間に合ったのに……もったいないことになっちゃった」と声をかけてもらいました。

 それでも自分の中で、後悔はありませんでした。もちろん続けたい気持ちはありましたが、練習を怠って駄目だったっていうよりは、手を尽くしたうえで結果に結びつかなかったので。成績が出ないことは暗い感じに思われがちですが、自分ではやり切った感覚でした。

ーー引退後は、予想番組の出演など、形を変えて競輪に携わる仕事をされています。やはり競輪に関わる仕事をしたい気持ちは強いですか。

 最初に出演依頼が来たときは、正直悩みました。いま引退されて表に出ているのは、(高木)真備さんのような一線級の方ばかりなので、自分は出るべきでないという気持ちが強かったんです。でも、応援してくれたファンの方に車券で貢献できなかったので、自分の知識を披露する形で役に立てたらいいなと思って出演を決めました。せっかくありがたいお話をいただいたので。

 もちろんすべての方に歓迎していただけているわけではありませんが、競輪界で受け入れてくれる場所があるのは本当にありがたいと思っていますし、オファーをいただけているうちは出演し続けるつもりです。

ーーこれからやりたいことや、将来に向けての展望はありますか。

 これから先……何か大きなことにもう1回チャレンジしたいですね。ガールズケイリンは私にとってすごく大きな挑戦で。それは結局ダメだったから、何かもう1つめちゃくちゃ頑張って挑戦してみたいなと思っています。

●Credit
取材協力:リンカイ!Project
撮影:飯岡拓也
Hair & Make-up:堀川千佳
Direction:netkeirin 伊藤千裕

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女子競輪を題材とし全国の競輪場のキャラクターを制作し、競輪界を盛り上げていくことを目的に始動したリンカイ!Project。漫画化・アニメ化などのメディアミックスを通して盛り上がる『リンカイ!』のnetkeirinスペシャルコンテンツをまとめました。

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