アプリ限定 2024/05/28 (火) 12:00 68
函館競輪のルーキーシリーズ(5月24〜26日)で最終日のガールズ一般がレースカットになった。2日目の予選2・6Rで4人が落車(2人は再乗したが)したことで、最終日の競走人数が保てなかった。
落車はまず選手がケガをしてしまうし、またファンからすればそのレースがモヤモヤするものとなり、上述のように開催そのものにも影響を与えることになる。どんな状況であれ、落車が起きないように、というのは金科玉条だ。
多少の無理はしないと勝負にならない、というのはその後の話だ。
このところルーキーシリーズとガールズケイリンで落車が立て続けに起こっており、やるかたない思いがある…。取材を続けている身としては、勝負せざるを得ない選手たちの話も聞いているわけで…。
昨今の落車のレースを見て、あるベテラン選手の言葉が思い起こされた。7車立てとか、ミッドナイトの競走得点による車番順とか…最近考えていることを話している時だった。
「何が難しいって、ハンドルさばきの悪い若者と走ることよ」
30年以上走っているベテラン選手だけに、かつての選手たちが持っていた技術がないことを憂いていた。競輪を走るにあたって、何が大事か、を訴えていた。
さすがに競輪界で長く生きてきた人だ。ただ若手の甘さを非難するのではなく、そうした技術を付けていくこと、さらには技術を付けてデビューすることの大事さを話してくれた。「落車はええことないて…」。その開催に参加している選手たちだけでもなく、見ているファンや関係者、みんなの気持ちが沈んでしまう。
転ばない走りで競うこと、そのレベルの高さを見せることもプロ選手の要件なのだ。
ガールズケイリンの落車過多は、位置取りの必要性が高まり過ぎていることに起因しているともいえる。力差があるので、そのレースで中心になる選手の近くにいないと大きな着になってしまう。だから、そこに殺到する。
全員が自力を出して勝負する、という初期のガールズケイリンの主眼はもうない。想定された事態だが、位置取りへの比重の傾き方は急激だった。そこで例えば、級班を分けることで自力への意識を向けさせる、という考えも出てくる。自分で何かする、できる、というレベルのレースが増えれば、走りは変わる。
また、ガールズケイリンもラインあり、にしてヨコは制限するとしてもレースの整頓を図る…などというアイデアも浮かぶ。しかし、現状はこうした手を打つ前の問題だろう。男子でもそうだが、ルール内であっても危険な行為はある。ちょっとでもそうした動きは抑制した中での勝負。わかりやすく、落車しないさせない、という意識を強く持つことが大事だ。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。