2025/10/29(水) 21:40 0 1
今月21日、山口県の地元紙が“村上清隆が引退へ”と報じた。GI出場11回、山口支部の61歳が今期限りでバンクに別れを告げる。まだ現役引退まで数節はあるが、自身の言葉でこれまでの競輪人生、引退を決断した経緯などを語ってもらった。
忍耐力がないんですよね。1期、1期、70点を取るっていうのが。若い時に比べて脚力は低下しているし、精神的にも苦しい。去年の6月に70点を取れて、その後も1期でも続けたいと頑張っていたけど、鎖骨を骨折してしまった(昨年10月久留米で落車)。これまでは落車しようがどうなってもいい気持ちで続けてきたけど、もう60にもなってそんなことしてまで…っていう。頑張ってきた体に自分の中で問いかけたんです。勝ちたい気持ちはまだある。でも体は弱っているし、骨折もしやすくなっている。気持ちと体と相談して。結論としては、体をいたわる方向に。体に申し訳ない、労ってあげたいという気持ちが上回った。
心技体って言いますけど、心が落ち着いてくると、体もそれに順応してくる。長いことやって、それがわかったのが収穫ですね。自分なりの限界を見つけられた。ずっと体の戦いをやってきて、自分の最後がどう出るのかを見てみたかった。体がどれだけ戦ってくれるのかを知れたのは収穫。自分は手術するようなケガをしていなんです。鎖骨も2回しか折ってない。去年のやつが2回目。落車はかなりしているんですけどね。再乗やゴール後の落車も含めると100回を超えているんじゃないかな。それでも大ケガはなかった。そこは恵まれていましたね。
レースでは思う前に体が動くタイプでした。とにかく、心技体を必ず整えて臨んでいました。その三つが揃わないと戦えないと思っていたので。「心」は負けたくないっていう気持ち、「技」はレースの流れをうまく把握すること、ケガをしないこと、うまく避けること、「体」は体調面を万全にする、ですね。そこは常に意識してやってきましたね。
思い出のレースは、S級で初優勝した(1988年8月京王閣)のが一番嬉しかったですね。あとはA級戦で、自分はほとんど自力を出したことがなかったんですけど、追い上げのつもりがそのまま捲って優勝できた。それも印象に残っていますね。優勝のほとんどが差しだったので。僕らがデビューした頃は新人リーグがあったし、新人も自力とマーク選手に分かれた。スタートを取ったらイン粘りっていう時代だった。僕はスタートが速くて、前を取ったらどこの地区が来ようとイン粘り。当時は一番強い選手が来たら、その番手で粘る。5、6年くらいはそれが主流でしたね。それからイン斬りが流行ったんです。
61歳まで現役を続けられるなんて思ってもいなかったですね。競輪学校時代は劣等生に近かった。4勝しかできなくて、自力もない。在校成績も32位。ロードレース選手だったから、競輪向きではなかったんです。40歳過ぎくらいまでできたらいいな、元気なうちに次の仕事に変わっていこうって思っていましたから。20代の頃はS級とA級を行ったり来たり。30歳くらいの頃から競輪向きの体になってきたんです。34歳で初めてS1になれたら、特別競輪にも行けるようになった。これは辞めるわけにいかないぞ、頑張ろうって思えるようになりましたね。そして42歳でS級優勝してオールスターにも出られた。45歳までS1に在籍できて、その頃は55歳まで頑張ろうと目標ができましたね。
とにかく体が頑張ってくれた。傷つけてばっかりだったけど。あとは親、家族のサポートがあったから。本当に感謝しています。自分の中ではやり切りましたね。悔いはありません。現在も防府競輪の開催指導員をやっていますが、来年からも専従指導員として携わっていきます。お世話することが好きだし、責任感のある仕事。3月はGIIウイナーズカップもありますね。意欲的にできそうです。
残りの競輪人生、脚力も落ちて弱いんですけど、弱くてどれだけ戦えるのかも知りたい。練習もそれなりにやっているので、最後は離れてしまうかもしれないけど、可能性がある限りは頑張りたいです。
派手な選手ではなかったですけど、なんらかの応援をしてくれてありがたかったです。応援してくれる、車券を買ってくださる方のためにも、最後まで連に絡めるように頑張りたい。レースの流れを変えたりする仕事もありますから。しっかりゴールまで競輪に参加したいですね。