2023/12/03(日) 21:15 0 11
ここ数年はずっとA級で競走得点も85点しかないが、昔はバリバリのS1で超強かった。
「自分はもともと東京デビュー。あっちで11年選手をやっていた。当時の関東はタケトヨ(武田豊樹)さん、後閑さん、平原さんの黄金時代で、記念の準決はいつも先頭で発進。行くのか? 行きます! とか、そんなやりとりは一切なかったし、自然と行かなきゃいけないムードになっていた(笑)。あの厳しい時代を経験したのは自分にとってめちゃくちゃデカいし、今の競輪観や考え方は全て関東理論でできています」
屋良と言えば昨年9月に村会議員となり、競輪選手と二足のわらじで大忙し。それでも最近は20代のような若々しいレースで穴党ファンを喜ばせている。
「この間の玉野(10月)から自力に戻しました。毎回先行はさすがに無理だけど、取れるときはバック線を取るレース。これからもっと決まり手を増やして、新聞の戦法表記も『両』から『逃』にしたい。あとはやっぱり、イチ競輪選手としてもう一度S級に戻るのが夢。S級にいながら議員って、なんか、すごくいいですよね(笑)」