2025/12/12 (金) 18:00 12
netkeirinをご覧の皆さん、こんにちは。伏見俊昭です。
今年も早いものでもう12月。競輪ファンにとっては「KEIRINグランプリ2025」が気になる時期ですね。今回はグランプリや寛仁親王牌で話題になったローラーについてお話ししたいと思います。
競輪祭が終わり、ついに今年のグランプリ9選手が決まりました。昨年から5人が入れ替わり、しかも4人が初出場という、なんともフレッシュな顔ぶれですね。近年では、競輪祭のあとーーつまりグランプリまでの12月にもレースを走る選手が増えています。
昨年は新山響平君が「レース勘が鈍らないように」と走っていましたし、松浦悠士君は地元・広島の記念が12月開催。一方で、僕がグランプリに出ていたころは、この時期に走る選手はいませんでした。やっぱり落車のリスクが怖いんです。
それに、記念を走るとなると前後を含めて1週間近く、自分の時間がまったく取れなくなる。グランプリ前にこれは正直きついんですよね。
…とはいえ、もし僕の時代にも12月に地元・いわき平記念があったら、きっと走っていたんだろうなと思います。やっぱり地元記念というのは、GIと同じくらいの価値がある特別な舞台。走らない、なんて選択肢はなかったでしょうね。
今年のグランプリには、最後の最後で北日本から宮城の阿部拓真君が出場を決めました。北日本の選手として、これは本当にうれしいことです。北日本にSSがいるかいないかで、グレードレースでの雰囲気はまったく違ってきますからね。来年の北日本は、きっと拓真を中心にまとまっていくことでしょう。
僕は競輪祭には出られなかったので現場の空気はわかりませんが、新田祐大君が「今年、一番笑えた」みたいなコメントをしていたのをどこかで見ました。それを見た人から、「拓真って、そういう笑われるキャラなの?」って聞かれたんです。でも、そういうことじゃないんですよね。拓真には申し訳ないけれど、GIの準決勝も決勝も初めて乗って、そこでいきなり優勝となると、正直“厳しいんじゃない?”と思っていた人がほとんどだったはずです。そんな中で、さらっと優勝しちゃったーーあの“まさか”の展開が笑いにつながったんだと思います。
しかも3連単は504通り中の504番人気。つまり、一番支持されていない車券が的中したわけです。こんなの、面白いですよね。それは確かに笑えます(笑)。…それはさておき、本当に拓真の優勝はうれしかった。
僕がグランプリまでの期間で一番楽しかったのは、競輪祭が終わって12月中旬くらいまでの時期でした。グランプリが近づけば近づくほど緊張感は増していくので、その前にどれだけ追い込んで練習できるか。この“自分との戦い”が、僕にとってはすごく楽しかったんです。その年の集大成としてグランプリを走れる喜びもあるし、ここから1ヶ月間、目標に向かって練習することがまた翌年につながっていく。そんな充実した期間でした。
気持ちも高まっているので、風邪やインフルエンザにもまったくかからなかった。なんというか、そういうものをブロックする“目に見えない何か”を身にまとっていたような感覚でした。やっぱり、何かに真剣に向き合っているときは心も体も免疫も強くなるんでしょうね。
……今は12月に風邪をひいたり、たまにインフルエンザになったりしますけど(笑)。
アテネ五輪(2004年)でメダルを獲得したときは、その直前の1ヶ月、高地トレーニングを行いました。そのおかげでタイムが飛躍的によくなり、高地トレーニングの重要性というのが身にしみてわかりました。後悔ではないですが、“あの頃、グランプリ前にももう少し同じような練習ができていたらどうだったかな”と思うことはあります。今は長野県のしらびそ高原で高地トレーニングをする選手も多いですが、12月は季節的に難しいですかね。
10月、寛仁親王牌・世界選手権記念(GI)の開催中に、脇本雄太君がアップ中のローラーから落ちて左肘を脱臼骨折したそうですね。グランプリへの影響が気になるところですが、今はいろいろな治療法がありますし、僕が受けたPRP療法のさらに上をいくバイオ治療もあると聞きます。きっと考えうる限りの治療をしているでしょうし、何よりワッキーは“異次元”。けがの不安なんて、あっさり吹き飛ばしてくれそうな気がします。しかも近畿には寺崎浩平君、古性優作君、南修二君と援軍も多い。終わってみれば「やっぱりワッキー」になっているんじゃないでしょうか。
ローラーから落ちる事故は、正直ほとんどありません。むしろ“珍しい”と言っていいくらいです。記憶に残っているのは昔、京王閣で隣のローラーに乗っていた浅井康太君がバランスを崩して、手すりに顔面を強打したときくらい。浅井君は鼻の下を切って血が出ていて、顔面蒼白。「これは走れないだろう」と僕は思ったのですが…治療して普通に出走して、1周カマして逃げ切っていました。あれはもう、超人ですよね。
前橋競輪場はもともとローラーの数が少なく、仮設じゃないけど追加のローラーが置かれてはいるのですが、そちらは遠くて不便で、あまり選手は使いたがりません。ワッキーは地面でうずくまっていたところを、たまたま他の選手に発見されたと聞きました。もしその選手が通りかからなかったら、誰にも気づかれず放置されていたのでしょうか? 今回は左肘の脱臼骨折で済みましたが、もし頭を打っていて“一分一秒を争う命に関わる状態”だったらと思うと、正直ゾッとします。管理の方が定期的に見回るとか、防犯カメラを設置するとか、何か対策が必要ですよね。
グレードレースになると選手の人数も増え、ローラーが不足する場面が出てきます。乗る時間もアップの開始時間も選手それぞれなので、何台あれば十分か正確には言えませんが、1人1台とは言わないものの、やはり多いに越したことはありません。僕の感覚では、3レース分、9車立てなら27台あればなんとか回るかな、というところです。GIだと、1R出走の選手がローラーを確保して、その同地区の選手が「次、オレね」と予約していく。そんな流れになりやすいんです。
検車場も控室も広く、ローラーも潤沢にあって、快適でストレスのない環境が理想。昔のままの環境のところも多いので、上の人にはそういうところはぜひ改善してほしいなと思います。
ちなみにローラーの台数で言えば、広島競輪場が“ぶっちぎりの1位”ですね。新しくなった広島のローラー場は本当に圧巻でした。とにかく台数がハンパじゃない。あれだけ揃っていれば、いつでも好きなタイミングで、誰でもストレスなく乗れる環境だと思います。ローラー問題を抱えている競輪場は、広島をひとつの理想形として目指してほしいくらいです。宿舎が個室で、バンクはドーム。広島や玉野のような環境が理想ですね。…とはいえ、「風を受けないと走った気がしない」という重馬場好きの選手もいるので、ドームが絶対の正解かというと、そこは難しいところなんですが。
12月中旬には、グランプリの「前夜祭」が行われます。この前夜祭で、9人全員が初めて顔を合わせることになるんですが、その瞬間、一気に空気がピリッと変わるような感じです。みんなの表情や雰囲気がグランプリ仕様になるというか…僕自身も切り替わりました。
とはいえ、前夜祭そのものは名前どおり“お祭り”。とても楽しかったです。関係者やファンの方が大勢集まるパーティーで、車番抽せんや自分の入場曲を決めたりいろんなイベントで盛り上がりました。ファンの方との交流もあって、「頑張ってください!」と直接声をかけてもらえると、優勝したい気持ちがぐっと高まるんですよね。そして前夜祭が終わると、一気に本番モードへ。そんな感じでしたね。
競輪祭優勝の拓真の記事の中に「グランプリ、いつやるかわからない。前検日がいつかもわからない」というコメントがありましたが、さすがにこれは拓真のネタでしょう(笑)。
競輪選手、ファン、関係者で、12月30日にグランプリがあることを知らない人なんているわけないじゃないですか。前検日だって選手なら当然知っているはずです。27日…ですよね? あれ? 今は27日じゃないのかな……。あ、28日に変わったんですね。そういえば、去年の静岡のグランプリシリーズを走ったとき、27日にグランプリ選手が誰もいなかったので「なんでいないんだろう?」って言ったら、「グランプリの前検日は28日ですよ」って教えてもらったんでした。
これじゃ拓真のこと笑えないですね(笑)。だんだん思い出してきましたが、27日には岩本俊介君が検車場にいたんですよ。初出場で間違えて来ちゃったらしくて。翌日、岩本君に会って「昨日、家に帰ったの?」と聞いたら「はい」と。「泊まればよかったんじゃない?」と言ったら、「まあ、近いんで」と返されました。拓真には、間違えずにちゃんと行ってほしいですね(笑)。
今年もいよいよ残りわずかとなりました。このコラムをご愛読いただき、そして応援していただき、本当にありがとうございます。ここ数年は同じことをやっているだけなので今年を振り返ってもあまり変わりばえはしません。それでも今年1年間、大きなけがや病気もなく過ごせたことは、本当に良かったと思います。
4年ぶりに優勝できましたし、通算600勝も達成。さらに補充ではありましたが、8月には2年ぶりにオールスター競輪(GI)を走ることができたのもうれしい出来事でした。
年齢が年齢なので、高い目標を掲げるのはなかなか難しいところですが、これからもけがや病気なく、その中で“ちゃんと戦っていく”ことを大事にしたいと思っています。無事故がずっと続けばいいのですが、そこはレース。何が起こるかわかりません。だからこそ、しっかり地に足をつけて、やるべきことをやるだけです。年齢的にも体力的にも、どこまで自分を追い込めるのかはわかりませんが、やることは決まっているのでそれをしっかりやるだけです。それをひとつずつ確実に積み重ねて、一戦一戦しっかり戦っていきたいです。来年も頑張りますので、応援よろしくお願いします!
(※文中敬称略)
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伏見俊昭
フシミトシアキ
福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。
