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松井律の競輪・耳をすませば

“自力一揆時代”の到来 変わりゆくラインの構図、追い込み屋たちの行く先は…/松井律『競輪・耳をすませば』vol.6

2025/10/20 (月) 12:00 23

日刊スポーツ・松井律記者による競輪コラム『競輪・耳をすませば』。10代の頃から競輪の魅力に惹かれ、今も現場の最前線で活躍中のベテラン記者が、自由気ままに綴る連載コラムです。
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過酷な灼熱取材…コロナ禍で変わった環境

 今年の夏も暑かった。
 最近になってようやくエアコンなしで寝られるようになったが、出張の多かった8月、9月は肉体的にきつかった。宇都宮では地方局が駅前でロケをやっていて、大きな温度計を手に持ったレポーターが必死に歴史的猛暑を訴えていた。

青森競輪場イメージ(撮影:北山宏一)

 8月は宇都宮、函館と男女のGIオールスターが続き、その後すぐに青森での仕事もあった。「お盆に避暑地に行けていいじゃないか」と言う友人がいたが、せいぜい関東とは2〜3℃の違い。日中に外で取材するのは過酷だし、滞在が長くなると記者仲間の肌が日に日に焼けていくのが分かった。

 コロナ禍に競輪の取材環境は大きく変わった。ビッグレースではエアコンの効いた検車場への出入りが制限される。屋外にミックスゾーンが設けられ、選手へのインタビューは基本的に屋外テントで行われる。さすがにマスクとフェイスシールドはしなくなったが、暑いことに変わりはない。

 記者連中はだいぶ耐性が出来てきて、30℃ぐらいだと「今日は少し涼しく感じるね」なんて言っている。感覚がバグってしまったのだ。でも、そろそろ病人が出ます。来年の夏にはかつてのシステムに戻して下さい。

佐藤慎太郎の自叙伝で考えさせられたこと

 ある猛暑の日、立ちっぱなしで外にいると、見かねた佐藤慎太郎が冷たい水のペットボトルをすっと手渡してくれた。あの時に飲んだ水は、仕事終わりに飲む山崎のハイボールに負けない美味しさだった。

とある猛暑の日、冷たい水を差し出してくれた佐藤慎太郎(撮影:北山宏一)

 佐藤慎太郎といえば、今年2月に自叙伝「限界?気のせいだよ」を出版した。その著書にある言葉でとても考えさせられたものがある。

「自力選手と追い込み選手がフィフティーフィフティーの関係が望ましい。自力選手を立てることが競輪道だというのであれば、それはちょっと追い込み選手が下に見られているような思いになる」

佐藤慎太郎「限界?気のせいだよ」株式会社KADOKAWA/2025年/65p,71p

 今は自力型、万能型が全盛の時代。競りはほとんど見られなくなったし、上位陣に純粋な追い込み選手が少なくなった。そこで今と昔のラインの違いについて感じていることを話したい。

かつては追い込み屋の地位が高かった

 今も昔も先行の番手が〝勝利に一番近い位置〟であることに変わりはない。

 現代のライン戦になる前は、地区を問わず強い自力の後ろを強い追い込みが主張するという図式だった。そのため、大半が前で決着してしまうので配当が全般的に安くなる。3連単なんてない時代。単枠で太い勝負がしやすかったし、本命党がファンの主流だった。

 百貨店の紙袋に札束を入れた太客が、B級の堅いレースに大金をぶっ込む。そこでしっかりと利益が出たら、A級のレースには見向きもしないで昼には帰ってしまう。こんな勝負師が何人もいた。
 伊東競輪開催日の踊り子号は、いつもスポーツ紙や専門紙を開いた競輪客で賑わっていた。喫煙車両に乗っている勝負師の顔ぶれを見ると、今日は売り上げがいいだろうなと予測が出来た。特に短走路の伊東や小田原は、逃げ切り-マークで決まりやすい。1人あたりの購買額が多かった。

 当時は、追い込みが自分の番手を上げていくには、大きく2つの条件が必要だった。強い追い込み選手に競りを挑んで位置を奪い取るか、3〜4番手から突き抜ける圧倒的な脚力差を見せつけるかだ。

 ひとたび結果を出して同業者に認めてもらえば、ファンからも評価されたし、以後は番組からもいい位置が与えられた。追い込み屋、マーク屋の地位は非常に高かったと思う。地区分けが明文化され、ライン戦になってもしばらくは追い込みの格が優先されていた。並びを決めるには、格上の追い込みが一番勝ちやすい位置を回るのが自然の流れだった。

 それまで散々ラインを引っ張ってきた自力選手がそろそろ追い込みに変わろうと思えば、まずはラインの3番手、4番手を固めて実績を作らないといけなかった。
「いくら自力で頑張ってきても、追い込みとしては素人。まずは後ろを回って勉強しなさい」。追い込み選手がその仕事に誇りを持っている。そんな時代だった。

 それはファン目線でも理にかなっている。強い自力の後ろを強い追い込みが守るので、別線は攻め込みづらい。ラインとして強固だから自信を持ってお金を張れた。自力-自力で並ぶこともあったが、そういうケースは基本的に格下の選手が前を回り、後ろを引き出すことが前提だったと思う。

戦法チェンジするには“実績”が必要だった(撮影:北山宏一)

時代は“自力一揆” 大きく変化した構図

 しかし、現代の競輪では大きく構図が変化した。

「2人の時は自分が前を回るのだから、目標がいても前を回りたい。常に追い込みがいい位置を回るのは勝手すぎる」。こう自力選手が主張し始めたのだ。〝自力一揆〟である。

 もちろんこの意見も合点がいくし、気持ちも分かる。自力選手がいなければレースは動かないし、追い込み勢は条件を飲むしかない。強い自力の番手を格下の自在選手が回り、強い追い込みが3番手に回る。こんな並びが格段に増えた。

 ただ、これは車券を買う側からは大きなリスクを伴う。ヨコの出来ない選手が番手を回れば、ラインに脆さが生まれる。いざとなれば別線に番手で粘られてしまうし、追走技術が未熟だと、ちぎれて前の選手を孤立無援にしてしまうこともある。太い勝負はしづらくなり、1日に2つ3つあった〝銀行レース〟と呼ばれるものが少なくなったと思う。

 経験を積ませなければ育たないが、お金が懸かっているところで練習されていたら、車券を買っている側はたまったものではない。
「動ける選手が番手を回るのなら、下手なブロックでライン総崩れになるのではなく、せめて前に踏んでくれないか?」。こう思っているファンは多いと思う。

 それでも今は、動ける選手の方が優位に並びを決めている感がある。どう並べばラインが強固になるかよりも、関係性に重きが置かれるようになった。うるさ型が減り、コツコツと経験と実績を重ねてきたベテランが、「なんちゃらハラスメント」を恐れて若い子の顔色をうかがっている。なんだか現代社会の構図に似て見えて仕方がないのだ。

 レースのスピード化が進み、番手のベテランがちぎれてしまったり、仕事ができないことも多い。昔の論理が完全に当てはまらないことも分かっている。でも、追い込みの技術は〝競輪の華〟である。伝承していかなければいけない。どうかベテラン選手には追い込みの地位回復のために頑張ってほしい。あなた方は若い子たちよりもはるかに長く、ラインに、そして競輪界に貢献してきたのだから。

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松井律の競輪・耳をすませば

松井律

Ritsu Matsui

松井 律(マツイ リツ) 記者歴30年超、日刊スポーツのベテラン競輪記者。ギャンプル歴は麻雀、パチンコ、競馬と一通りを網羅。競輪には10代の頃に興味を持ち始め、知れば知るほどその魅力に惹かれていった…。そのまま競輪の“沼”に引き摺り込まれ、今日も現場の最前線で活躍している。

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