2025/09/30 (火) 18:00 17
netkeirinをご覧のみなさん、こんにちは。伏見俊昭です。
今回は2年ぶりのGI出場になったオールスター競輪、初のミッドナイト開催、そして3年10ヶ月ぶりにS級優勝を飾った山口健治杯のことをお話しします。
函館で行われたオールスター競輪は、僕は補欠の5番手でした。補欠はこれまでにも何度か経験がありますが、やっぱり直前まではそわそわしますね。1週間ほど前からリストを見て、「繰り上がれるかもしれない」と気になって仕方がないんです。もちろん、正選手として選ばれた人が全員そろって走れるのが一番いいこと。ただ競輪選手にはケガがつきものなので、なかなかそうはいきません。
GIIIやFIの場合は欠場が出れば、スケジュールの空いている選手が追加で呼ばれます。ところがGIやGIIは補欠選手が繰り上がるシステム。今回は補欠4番目の選手まで繰り上がって、僕は結局“次点”、つまり予備選手の1番手として待機することになりました。レースが始まってアクシデントなどで欠場が出れば、その補充で入る最初の候補です。もちろん、人の不幸を願うわけにはいきません。この業界ではそういう状況を「引っ張る」なんて言うんですよ。「オマエ、引っ張りが強いな〜」なんて冗談交じりに言われたりしますが、これはもう運の問題。自分から引っ張っているわけではないし、他の選手の不幸を望めば、結局は自分に返ってくる気がしますね。
それにしても今回は落車が多かったです。初日は待機中だったので、ファンの目線でレースを見ていましたが、どことなく「危ないな」という気配が漂っていました。GIはみんな命がけで勝負する分、アクシデントも増えてしまうのでしょう。でもやっぱり落車のシーンを見ると気持ちが悪くなります。僕自身も過去に大ケガで調子を落とした時期があったので、余計にそう感じますね。命に関わる事故だってありますし、落車はないに越したことはないんですが、難しいですね。自分が招いた落車事故ならまだ「仕方ない」と思えますが、それに乗り上げたり、巻き込まれたりした選手は本当にかわいそうです。GIに向けて積み重ねてきたトレーニングが、一瞬でパーになってしまう。だからこそ、審判員の皆さんには公正に、そして厳しく判定してほしいですね。
今回は2日目から補充参戦となりましたが、GIは2023年のオールスター以来、2年ぶり。だからこそ素直にうれしかったです。調子も良かったので「高い舞台で勝負してみたい」という気持ちがあったんですよね。敗者戦からのスタートなので勝ち上がりの権利はなく、最終日まで走れる確約もありませんでした。それでも、さすがはGI。お客さんの熱気がものすごくてモチベーションは自然と上がりました。3日目は北日本の4人で連係することができ、5日目は小原佑太(青森)君の番手で1着を取れてよかったです。やはりGIを走れることは競輪選手にとってステータスだし、今回の経験で、次こそは正選手として出場し、結果を残したいという気持ちがさらに強まりました。
せーちゃん(中川誠一郎)のコラムに僕のことが書いてありましたね。「プリンスが来た!」って(笑)。せーちゃんは人が良くて、余計なことは物申さない人なんです。なのにあんな茶化すようにイジってもらえてなんかうれしいです。待機中に足がないと不便なので地元のケイイチ(大森慶一)に車を借りていて、それに乗って競輪場に入ったらちょうど、そこにせーちゃんがいたんですよ。せーちゃんコラムだと僕にすごくキラキラ感があったみたいですね。「OddS(オッズ)」っていう競輪マンガがあって、その中に富士見昭俊(ふじみあきとし)っていう選手が出てくるんです。その選手がすごくキラキラしてて。作者の石渡治先生から「伏見君がモデルだよ」って言われましたが、僕ってそんなにキラキラキャラなんですかね? 若い時ならまだしも、今はそんなにキラキラしてないです(笑)。
オールスターの次は、初めてのミッドナイト競輪に参加しました。実はこれまでにもあっせんは2回あったんですが、1回目は体調が思わしくなく走れず、2回目は違反訓練の黄檗山明けで練習不足だったのでやむなく欠場しました。それで今回が本当の初参加だったんですが、感想は…やっぱり厳しい! 真夜中に走るというのは、普段の生活リズムがガラッと変わってしまうんです。
今回は同県の新田祐大(福島)君が追加参戦。彼はミッドナイトの経験者なので、どう過ごしたらいいか聞いてみました。「朝ごはんは食べないでそのまま寝てる。昼ごはんの時間に最初のご飯を食べ、また寝る。軽い夕食を食べたら午後8時まで体を休めて、そこからアップを始めて深夜11時半くらいの発走にピークを持っていく」ーーとのこと。さらにレース後は夜食まで食べるって。僕なんかは夜中の12時に食事をするなんて罪悪感しかないし、胃腸が動いてしまって眠れなくなると思うのですが、半分くらいの選手は夜食を取ってたようです。しかもうどんとか軽めかと思ったら、2日目の夜はカツ丼だったとか(笑)。やっぱり超一流の胃袋は違いますね。新田君はその後お風呂に入って、寝るのは早朝4〜5時。そこから正午まで寝れば8時間。彼なりの計算ですよね。
僕はというと、指定練習時間には必ず自転車に乗るので、そこで軽く汗を流して、シャワーを浴びて夕方5時ごろまで仮眠。レース後はクールダウンしてお風呂に入り、そこからストレッチや電気治療をして、寝るのは午前2〜3時という流れでした。本当はレース後すぐに寝られれば良いんでしょうが、直後は興奮しているのでなかなか難しいですね。
生活リズムが普段とまったく違うので、ミッドナイト明けは2日ほど体調がすぐれませんでした。選手仲間も「ミッドナイトは開催中より終わってからがきつい」と口をそろえます。まるで時差ぼけですね。ミッドナイトのあとにモーニングを走る過酷なスケジュールをこなしているA級選手には脱帽です。ちなみにミッドナイト手当は1日1万4,000円。ナイターが4,000円なので倍以上です。高いと感じるか安いと感じるかは人それぞれですが、体の負担を考えれば、もう少し高くてもいいかな、という感じです。
時差ぼけを抱えつつ、中4日で迎えた立川の「報知ゴールドカップ・山口健治杯」。なんと2021年11月いわき平以来、3年10ヶ月ぶりの優勝を、通算600勝というメモリアルで飾ることができました。山口健治杯は初参加。山口さんに会うたびに「呼んでくださいよ〜」と言っていたので、ようやく実現した形です。前検日には「16回目にしてやっと呼んでくださってありがとうございます」と伝えたら、「17回目だよ!」と訂正されました。失礼いたしました(笑)。5月の宇都宮・神山雄一郎さんのレジェンドカップもそうでしたが、一時代を築いた偉大な先輩の冠レースは、やっぱり気持ちが入ります。普段のレースももちろん全力ですが、さらにそこに先輩選手の冠がつくと、「決勝に乗って盛り上げたい」という思いが自然と湧いてくるんですよね。
立川入りした時点で通算598勝。600までマジック2だったので「達成できるかな? でも厳しいかな?」という気持ちでした。今年は3月大宮、4月いわき平で2勝していましたが、やはり3日間で2勝はハードルが高い。立川で1勝して、次の小倉で600勝を狙えるかなって。初日は目標なく動けず5着。しかし準決勝では木村佑来(宮城)、決勝では板垣昴(北海道)が力強い先行をしてくれ、絶好の展開で1着を取らせてもらいました。おそらく現場の記者さんが「伏見選手があと○勝で600勝だよ!」と後輩にハッパをかけていたんじゃないかな(笑)。そんな気配がビンビンでした。ユライもスバルも気持ちのいい後輩で、本当に感謝です。
600勝と3年10ヶ月ぶりの優勝。こんなにできすぎていいのかな?って思っちゃいましたね。ケガで苦しい時期もあったし、それでも腐らずに練習はやってきたし、レースに対する思いも昔と変わらずしっかり気持ちを入れているし、その成果が出てくれたと思ってもいます。
デビュー30年。「じゃあ、単純計算で年間20勝してるんですね。すごいですね」って誰かに言われましたが、「いやいや、年間30勝しているすごい人もいますから」って奥のほうに座っていた人を見ました。僕と1期しか違わないのに、すでに900勝(現在849勝)に迫っている。いい意味で“おかしい”人なので度外視ですが、自分はコツコツ頑張ってきたのが600勝という形でメモリアルを飾れたってしみじみ実感できました。
あの人!? 立川で一緒に参加した体のごっついあの人ですよ(笑)。
表彰式を終えて敢闘門に引き上げたら、佐々木堅次君、猪狩祐樹君、畑段嵐士(京都)君、志村太賀(山梨)ちゃんが拍手で迎えてくれました。タイガちゃんには「もっと嬉しそうにしてくださいよ」と言われましたが、うれしいのはもちろん。でも浮かれすぎるのも照れくさい。うれしさの表現が難しい。20代のようにガッツポーズで“イエイ!”みたいな感じは無理だし。でもなんか出迎えてもらって仲間っていいなって思いました。
立川バンクは風が強くて重い。軽めのバンクでスピードが出るほうが好きなので、正直、得意バンクとはいいがたいです。でも2005年にはKEIRINグランプリ優勝、記念優勝の実績もあり、今年1月のFIでは今をときめくナショナルチームの山崎賢人(長崎)君、太田海也(岡山)君相手に決勝3着。成績を見れば「相性が悪い」とは言えないのかもしれません。
500勝を達成したとき、「次は600勝を目指して頑張ります」って言いました。先の見えない目標を掲げていましたが、こうして達成できたのは素直にうれしいです。次はもちろん700勝。年間20勝なら5年、10勝なら10年という遠い話ですが、見えない目標を持つのも悪くないと思います。もちろん、その中で事故なく目の前のレースにしっかり全力投球することが、僕にとっての毎回の目標です。
(※文中敬称略)
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伏見俊昭
フシミトシアキ
福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。