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Reborn リ・ボーン ー第二章の男たちー

【北井佑季】“オールドルーキー”として競輪デビュー 変わったものと変わらなかったもの/2つのゴールを知る男・中編

アプリ限定 2023/10/25 (水) 18:00 61

競輪界には異色の経歴を持つ選手たちが多数存在している。この連載コラムではキャリアを再起動させ、競輪を舞台に戦い続ける“第二章の男たち”の過去と現在に迫る。第1回はJリーガーから競輪選手へと転身した神奈川所属の119期・北井佑季。スタジアムとバンクーー。“2つのゴールを知る男”の物語を【前編・中編・後編】に分けてお届けする。※今回は中編

北井佑季|33歳・神奈川=119期(photo by Kenji Onose)

想像していた何倍もヤバかった

 北井は高木隆弘に弟子入りし、“一度きりの挑戦”と心に決めて養成所試験に備えた。「僕は高木さんの弟子でなければ選手になれていなかったと確信しています」と言いながら、北井は嬉しそうに笑った。そして師匠との初めての出会いから試験までの期間を回顧する。

「第一印象は怖かったけど時間とともに優しくなり、とか、第一印象は優しかったけど練習を始めると厳しくなり、とかではなく、高木さんは弟子入りの挨拶をした瞬間から今日に至るまで一貫して厳しい人です。はじめて挨拶した時、高木さんがご飯を食べている場所に行きました。『とにかく乗る前にいっぱい食わないといけない』と指導され、挨拶するや否や、大量のご飯を食べさせてもらいました。ここからもう指導は始まっていましたし、厳しかったです(笑)」

師匠・高木隆弘(photo by Shimajoe)

 北井は厳しい師匠のもと競輪への挑戦をスタートして、率直にどのように感じていたのか。日々を過ごす中で自信を得ていったのか不安が膨らんだのか。逃げ出したくなったり引き返したくなったりはしなかったのか。

「自転車に乗ることもできない人間が競輪選手になりたいと言っているわけで、頑張らないと選手になれるはずもないです。だから自信とか不安とかは考えられず、最初から思い切り頑張るだけでした。でも頑張って一日をやり切っても収入が発生しないことが意外に堪えました。それどころか半年間を休みなしで頑張ったとしても無収入ですし、不合格ならすべてがパーです。その不確定な状況下で頑張り続けるのは想像以上にメンタル的には過酷でした。家族のことを思えば乗り越えられましたが、つらかったですね」

 北井は続ける。

「家族の存在も大きかったですが、乗り越えられた一番の理由はやっぱり高木さんが師匠だったからです。とにかく厳しく、とにかく徹底的に鍛えてくれる人でした。高木さんに鍛えてもらっていると余計な不安も自信もまったく感じる余裕がなくなるんです。練習期間を過ごしている時、競輪選手になれそうだなとか競輪選手になれなさそうだな、とか自己評価している余裕すらありませんでした。当然、引き返すだの投げ出すだのも考える余地もありませんでした。人生で一番きつかったと思います。本当に厳しかったです(笑)」

 北井の言葉は過酷な状況を語っているが、話す表情は楽しい思い出を語るよう。

あまりの厳しさを思い出しているのか、詳細を説明しながら笑ってしまう(photo by Kenji Onose)

「高木さんは朝から晩まで鍛え続けてくれました。厳し過ぎて、練習に終わりがない感覚になるんですよ。不安や弱気、自信や勇気なども忘れて“無”でした。“朝だ! 練習に行かなくちゃ”とか“早く睡眠をとって回復しておかなければ明日はヤバいぞ”とかしか思う暇がなかったです。そこまで追い込んでくれて、大量のご飯を食べるように指導してくれた高木さんに感謝しています。心身ともに僕を競輪選手に仕上げてくれたのは高木さんです」

 どんなことがあっても乗り越える覚悟で臨んだ競輪への挑戦だったが、養成所試験を受ける前の期間から「想像の何倍も難しかった」と振り返った。そんな過酷な日々を経て、北井は養成所試験に一発合格。デビューに向けて修善寺へ向かった。

第二章の原点・ホームバンク平塚(photo by Kenji Onose)

養成所在所中に増えた家族

 北井は養成所に入り、一心不乱に競輪へ打ち込んだ。年齢差のある同期にも溶け込み、切磋琢磨する毎日の中で、自分を高めた。第2回記録会ではゴールデンキャップを獲得するほどの実力を得ていた。しかし、在所順位は70人中55位の成績。この養成所時代に北井はどのような手応えを感じていたのか。

「手応えみたいなものは良くわかりませんでした。自分が強くなるために必要なことを1年やり続けました。在所順位は競走訓練の着位で決定するものですが、僕は1着を1回しか獲っていません。競走訓練も訓練なので、着にこだわるのではなく、自分が強くなることのみにこだわりました。具体的に言うと先行一本で過ごしていました。同期と比べて自分はどうとか、そういう思考にもならず、デビューだけを見据えて頑張っていましたね」

 あくまでもデビュー後に“一流を目指して”励んだとのこと。順調にステップアップし、競輪のことを叩き込んでいった。そんな中、養成所に一本の電話が入ったという。

「電話で妻が妊娠していたことを知りました。通常の年であれば養成所でも休みをもらえますし、会いに行けるのですが、コロナ禍にあって夏季帰省や冬季帰省、日曜外出なども認められていませんでしたから、家族には会えませんでした。教官が『北井、ごめん…』と気遣ってくれたことを覚えています。でも世界中が混乱していましたし、仕方がないと思います。それにしても卒業したら家族がひとり増えていた感じになっちゃいましたね(笑)」

 プロデビューを前に3人だった家族は4人に。北井は“元Jリーガーのオールドルーキー”としてメディアを沸かせ、デビュー戦の発走機についた。

一度目とは違う二度目の“プロデビュー”

「デビュー戦のときは“やっと仕事として走れるんだ”と感慨深かったです。その気持ちがとても印象に残っています」

 北井がサッカー選手としてデビューしたのは19歳。競輪選手としてデビューしたのが31歳のとき。その道のプロとしてデビューするのは二度目になる。一度目と二度目で心の変化はあったのか興味が湧いた。

「意識はだいぶ違いました。サッカーのデビュー時も仕事としてプレーする責任感は十二分に感じていましたし、スポーツはお客さんに見てもらってはじめて成立するという意識もありました。でもサッカーは小さい頃から好きでやっていたことの延長にプロリーグがあり、好きなことで“プロになれた”という感覚が強いです。でも競輪は違います。自分のためはもちろんのこと、家族のために稼ぐ意識があったので、“仕事にできた”という感覚でした。だからお金を稼ぐ職業という意味合いはとても濃かったんですよ」

サッカーデビューと競輪デビューは“仕事観”が異なるものだった(photo by Kenji Onose)

 北井は歳を重ねたことや家族ができたことなど、自身を取り巻く環境の変化もあり、“仕事をしてお金を稼ぐ”という意識に変化があったと語った。

「でもサッカーも競輪もスタートラインに立った時に変わらなかった気持ちもあるんですよね。トップ選手になること・一流になることを目標にして選手生活を送るという感情です。そう思えなくなったタイミングでサッカー選手を引退したので、別業種に挑戦したことで再びその感情に出会えたことが本当に嬉しかったです」

 命懸けの努力をして挑んだキャリアチェンジ。自らの道を自らでこじ開けた。北井はデビュー時から今日まで忘れることのないテーマがあるという。

「僕が上向きの選手生活を送れたら、良い影響があるような気がするんですよね。競輪で活躍すれば、サッカー選手から競輪に挑戦する人も増えるかもしれません。選手やファンのみなさんに「サッカー出身もやるじゃん」と思ってもらえるかもしれない。責任感なんて言葉は大袈裟ですけど。競輪とサッカーの相互に良い影響を生み出せるか・生み出せないかは自分の頑張りに懸かっている部分も少なからずあるはずだといつも思っています。サッカーを知らない競輪ファンが僕を見てスタジアムにゲーム観戦に行ってくれるかもしれない、競輪を知らないサッカーファンがバンクで走る姿を観に来てくれるかもしれない、そんなことをずっと考えています」

 北井は引退後も「サッカーが好き」だと話した。サッカーファンが競輪を観るきっかけに、競輪ファンがサッカーを観るきっかけに。自身の取り組み方で何かが変わるかもしれないと話す北井から“誰かのために、何かのために”という使命感を背負っているような雰囲気を感じた。デビュー後、その思いを胸に刻み、「早く一流になりたい」と“長い距離を踏める先行”にこだわり、勝ち星を重ねていった。

到達したい場所に行くために、先頭で豪快に駆けていく(撮影:北山宏一)

異業種からの競輪へ挑戦した選手への思い

 2021年7月、愛知所属の金子貴志がnetkeirin連載コラム『不屈の男・金子貴志の奮闘記 〜40代の挑戦〜』内で北井について書いたことがある。以下コラムより引用する。

レースでは皿屋君も北井君を意識していたと思います。(中略)2人の意地と意地のぶつかり合いは、間近で走っていて興奮しました。(中略) レース後、皿屋君と北井君が2人でレースを振り返っている場面を見ました。ついさっきまでは敵同士。2人ともプロとして凌ぎを削り合っていたばかり。でも勝負が終わり、検車場では切磋琢磨する“同士”になっていたんだと思います。(中略) 北井君を見ていると「すべてのことから何かを吸収しよう」と考えている姿勢が見受けられます。人柄も礼儀正しく、印象も爽やか、応援したくなる選手です。

 金子は昔の自分と重ねて、熱くなったと綴っている。北井は自分と同じように異業種から競輪へと転身した皿屋豊に対して特別な思いはあったのか。

「金子さんが書いてくれた皿屋さんとのレースは覚えています。もちろん意識していました。気持ちの入っていないレースなど一つもありませんが、異業種から転身した選手は他の選手と見え方が異なるし、特別に気持ちが入ります。僕自身がそうだからわかるのですが、転身した人は転身した際の強い気持ちを忘れずに走っています。そういう人との対戦は難しいです。気持ちが強い人に勝つには自分はそれ以上に強い気持ちで走らなくてはいけません。だから目一杯に意識しています」

気持ちで勝負が決まる世界、似た境遇の選手をバチバチに意識している(photo by Kenji Onose)

 はぐらかすこともなく、北井は真っすぐに闘争心を言葉にした。選手同士にしかわからないこと、ましてや“転身組”にしかわからない気持ちのやりとりがあるように見えた。また、レース後の反省会についても言及した。

「競輪は地区別の文化があるため、割と他地区は敵みたいな空気があるにはあります。基本的には、ですけどね。でも僕は他県も他地区も関係なく、教えてもらえることは教えてもらいたいんです。真剣勝負をしていると、その勝負が終わった時に聞きたくなってしまうことが本当に多い。さっきの仕掛けはどんな感覚でやったのだろうとか、今のレースの道中、どんな心理で走っていたのだろうとか。僕は不思議に思ったことは地区的なことを横に追いやって結構直接聞きに行っちゃいます(笑)。金子さんが書いてくれたように“すべてから吸収したい”と考えて行動しています」

 ザ・ストイック。「トップ選手になりたいと目標を持ちながら毎日を送りたい」と話していた北井。言葉だけではなく、行動から徹底するということ。北井が目指す“トップ選手”とは具体的にどの位置なのかーー。そのレベルには到達できそうなのか。今現状について語ってもらうべく、話題を移した。(後編につづく)

北井佑季「2つのゴールを知る男」公開スケジュール
◆10月24日(火)18時00分【前編】公開
・『道を変えたとしても…! “一流になりたい気持ち”をあきらめられなかった』
◆10月25日(水)18時00分【中編】公開
・『“オールドルーキー”として競輪デビュー 変わったものと変わらなかったもの』
◆10月26日(木)18時00分【後編】公開
・「偉大なるドリブラー達のように…“ひとつだけ”を感動レベルに磨き上げたい」

(取材・文 netkeirin編集部 篠塚 久)

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