2019/06/20 (木) 20:09
先日、伊勢崎オートで行われましたG2稲妻賞。
青山周平(伊勢崎31期)選手が早川清太郎(伊勢崎29期)選手と激しいバトルを演じて制しました。
オートレースという競技の面白さを改めて感じる一戦。
是非、チェックしてみて下さい!
この2人を追っていたのが、今回のG2稲妻賞ポスターのモデルを務めた吉原恭佑(伊勢崎32期)選手。
その後ろ、4番手を走っていたのが“絶対王者”髙橋貢選手(伊勢崎22期)でした。
“髙橋貢”という大きな壁を乗り越え、上位3人が地元の若手選手。
3人が躍動する構図が今後のオートレースを更に期待したくなる、そんな光景に見えました。
さて、ゴールデンウィークに浜松で行われたSGオールスター。
また、オートレース成田での予想会についてのコラムが続いたもので。
『実況アナウンサーを目指したキッカケ』シリーズの更新が滞っていました。
このまま忘れられないように今回から再開したいと思います。
さて、前回は、「喋る仕事を志した瞬間」について記しました。
前回のコラムはこちらです。
「スタジアムDJになりたい!」
とは思ったものの、それだけでは食べていけません。
というより喋る仕事、他にどんなジャンルがあるのか?
実況、声優、キャスター、ナレーター、司会、リポーター、ラジオパーソナリティーなどなど。
それまで意識したことはありませんでしたが、調べてみると「喋る仕事」と、一括りにはできない程、様々な種類があります。
実はそれだけ沢山のジャンルがある中で。
真っ先に思ったことは「実況だけは絶対に無理!」ということでした。
「あんな目の前で起こっていることを原稿なしに喋るなんて……無理、無理、無理っ!」
「であるならば、原稿のあるもの。その方が良いっ!」
そうなのです、実は数ある「喋る仕事」の中でも実況アナウンサーは“いの一番”で無理だと考えていました。
(次に演技力を必要とする声優も断念しています)
今となっては性に合っているかなとも思うのですが。
当時の森泉(21歳)には全くイメージができない別世界のものだと感じていました。
レース実況の仕事を始めてから
「なんであんなに次々と、言葉が出てくるんですか?」
そう聞かれることがありますが、当時の僕はそれと同じことを思っていました。
そこで他の喋りのジャンルで何かないかと考え、その中でもテレビ番組のナレーターに興味を抱きました。
番組の初めに「ナレーター・〇〇」という名前のスーパーが出ます。
子どもの頃、親が転勤族だった私は有名なナレーターとして活躍することで、離れ離れになった友達が「ナレーター・森泉宏一」のスーパーを見て元気な姿(声のみの出演ですが)を見せることができるんじゃないか!とも思いました。
そして、ナレーターをしながらスタジアムDJもできれば……というのが、当時僕の描いていた構想(『世界まる見えテレビ特捜部』のナレーションを担当されている方はJリーグ某チームのスタジアムDJも務めておられます)だったのです。
そうと決まれば、まずはアナウンススクールへ。
その中でもナレーションに特化したナレーター養成スクールを受講。
髙い入学金と授業料を払い、東京は赤坂にあるスクールへ。
実況アナウンサーの話しではないので、レッスンの内容については省略しますが。
う〜ん、レッスンに通ってもウンともスンとも言わない、進歩している実感がない。
今になって思えば恥ずかしい話しですけれども。
「日常生活で喋っているんだし、少し習えば大学卒業前にはデビューできるんじゃないの」
そんな甘い考えを持っていました。
アナウンスの基本である発声や滑舌を習う前に、いきなりこういうスクールに通ったのも失敗だったのではと。
現在は冷静に客観視できますね。
それでも、決めたことだし、まだ始まったばかり。
続けていれば上手くなるだろう。
そう思いながら毎週、ちゃんとレッスンに通っていました。
周りは就職活動を始めているが、このレッスンが僕にとっての就職活動でした。
そのまま大学卒業を迎え、僕はアルバイトをしながらレッスンに通う日々。
その後も色々なスクールに通うもデビューには至らず。上手くなっている手応えもない。
頑張るにしても、何を頑張れば良いのか分からない状況に陥っていたのです。
大学を卒業して2年目の夏、未だデビューできずの24歳。
「社会人になって3年。25歳になってデビューすらできなかったら、諦めるのもありかな」
そんなことを思っていた頃、ここで状況は大きく変わります!
とあるコミュニティーラジオ局のアナウンススクールに通っていた頃、その局に出入りされている方が
「ボートレースの実況アナウンサーができる男性を探している。スクールの中に誰かいないか?」
そんな情報が流れてきたのです。
そのアナウンススクール、当時は僕を含めて10人程がレッスンを受けていましたが、男は僕だけ。
あとは全員年上のお姉さま方という素敵なレッスン(笑)。
その話しを局長からいただいた時に「できますっ!」と、即答しました。
「とにかく何でも構わないから仕事がしたいっ!デビューしたいっ!」という一心でありました。
ただ、ボートレース実況をやってみたいと思った理由はそれだけではありません。
当時、知っている選手はいませんでしたが、実は舟券を買いに1人で多摩川ボートへ行ったり、ボートレースを題材にした漫画を読んだりしていました。
そして、決定打となったのは私の下の名前なんです。
私の下の名前は『宏一(こういち)』であります。
この名前の由来、実は父親が好きだったボートレーサーから取った名前なのです!
「ボートレーサーから名前がついた男がボートレースの実況をしたら……これは運命かも知れない。よし!やってみようっ!」
なんと、あれだけ「実況だけは無理だっ!」」と、思っていた男が実況アナウンサーを志す。
しかも公営競技という、ほぼ未知の世界に足を踏み入れたのです。
自分でも驚きですが、もうそんなことは言っていられないっ!
「喋る仕事」の第一歩を踏み出さなければ!という気持ちで実況の研修へ。
研修の舞台は1人で舟券を買いにいったこともある多摩川でした。
次回は遂に現地研修スタート!
喋る以前に覚えないといけないことばかりで四苦八苦!
乞うご期待!
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【オートレース/直近のチャリロト杯】
6/26(水)〜30(日)
G1ダイヤモンドレース(飯塚)特設サイト
7/2(火)〜4(木)
チャリロト杯ミッドナイトオートレース(飯塚)
8/1(木)〜4(日)
第4回チャリロト杯(伊勢崎)
森泉宏一(もりいずみ・こういち)
1984年5月8日生まれ
東京都出身 広島県・富山県育ち
父親の影響もあり、学生時代は野球に打ち込む
25歳の時、ボートレースで公営競技実況デビュー
2017年4月から伊勢崎オートでオートレース実況を始める
公営競技実況の他、プロアマの野球実況
さらにはイベントや展示会の司会
広告モデルや話し方教室講師などでも活動
野球好きの選手からの誘いもあり、
伊勢崎オートの野球チーム「キラッツ」に入部
しかし、デビュー戦において投手で二桁失点を喫する
その為に最近、オートレース界隈でその実力が疑われている
某選手からの「投げるスタミナがあるだけで助かっている」
という慰めの言葉が唯一の救い
森泉宏一
生まれは東京、育ちは広島、富山。学生時代に喋りの仕事を志し、2009年にボートレース実況でアナウンサーデビュー。2017年からはオートレース実況も始める。現在はYouTube配信番組などの出演も多く、「チャリロト劇場 燃えろ!!オートレース」出演時はMCも務める。パーフェクタナビでは「森泉宏一の実況天国」コラム連載中。プライベートでは2022年に年間100本の万車券的中を達成。試走タイムが出ない選手や逃げが得意の選手を好む傾向にある。公営競技を含めた日々の仕事の様子などを投稿している「森泉宏一のモーリーチャンネル」も絶賛更新中。