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『森泉宏一の実況天国』Vol.15

2019/07/03 (水) 21:32

『森泉宏一の実況天国』Vol.15

トップ画像の新聞記事は何だと思いますか?
これは私の生まれる3年前、昭和56年のものです。
記事の内容はボートレースのオールスター(当時の名称は笹川賞)優勝戦の記事。
この優勝戦、勝ったのは岡山の貴田宏一選手。
岡山支部の選手として、この笹川賞を含めSG2冠の実力者。
前回のコラムでボートレース実況を志す話しをさせていただきましたが。
そのキッカケのひとつになった“父親が好きだったボートレーサーが私の名前の由来”という話し。
実はこの貴田選手なのでありますっ!

この新聞記事はボートレース多摩川で研修中。
ある大ベテランのアナウンサーの方に名前の由来の話しを。
そして、貴田選手は一体、どんな選手だったのか?
という問いかけに対して、膨大な資料の中からコピーしていただいたものです。
実際、貴田選手にお会いしたことはないのですが、それはもう感動の対面をしたような気分に。
それからというもの公営競技に限らず、仕事の時はこの新聞記事を持ち歩いています。
何と言っても、私のルーツですから。

さて、本題に入りますけれども……10年以上前のことなので、記憶がかなり曖昧(苦笑)。
思い出すことにかなりの時間を割いてしまうので、なかなか筆が進まず。
書いては消して、書いては消しての繰り返しですが、飽きずにお読みいただけると幸いです。

時は2008年の秋。
ボートレースの実況のお話しをいただき、いざ研修へ!という運びになりました。
後に知ったことですが。
普通、公営競技の実況を志す人はラジオNIKKEIの『レースアナウンサー講座』を受講するのが慣わしだそうです。
そこで座学や実技、さらには現地見学などが行われるとのこと。
そのアナウンサー講座の卒業生一覧を見ると、現在、各競技のレース場で実況を担当する方ばかり。
かたや僕は、のっけからレース場へ行き、最初から最後まで現地研修。
現地では先輩アナウンサーにつき、師弟関係となり、手とり足とり教えていただきました。
他のアナウンサーとは異なる正規ルートではありませんが。
今、思えば物凄く贅沢な環境(そもそも師匠も正規ルートではない)だったものです。

私の師匠は野村達也さん。
元々は声優などをされていたのですけれども。
私が入る1年前にボートレース多摩川で実況を始め、当時は浜松オートレース場などでも実況をされていました。
また、その野村さんの先輩である平山信一さんも同じ事務所に在籍。
そして、当時、東京にある3つのレース場では日本モーターボート競走会の職員の方々が実況をされており、そこから僕らのような外部業者への移行が少しずつ進んでいる時期でもありました。
職員の実況アナウンサーの中にはゴン太さん、ノッポさん、アグレッシブさん、ヤッターマンさん……などなど、珍妙な!?異名を持つ方々がたくさんおられました。
初めてこれらの二つ名を聞いた時は正直なところポカンと、するしかありませんでした。
はい、ボートレースやアナウンスから全く連想できない名前ばかりだったので、由来を聞くまでは何のことやら???という状態。
ちなみにヤッターマンさんはご察しの方も多いと思いますが、レース中に「ヤッター!」というフレーズを頻繁に入れることから。
アグレッシブさんには直接、お会いしたことがありませんが、ヤッターマンさんと同様、レース中に「アグレッシブなレースが展開されています」などと、入れていたことが由来。
また、アグレッシブ以外の横文字も入れることを好むアナウンサーだったそうです。

当時、研修場所となった多摩川にはゴン太さん、ヤッターマンさんが在籍されていました。そのお二方に加え、師匠の野村さんや平山さんに加えて、私も入り、多い日は1日12レースを4人で回す日もありました。

研修初日。
まずは先輩方が実際に実況をされているところを見学させていただきました。
「実況席やスタジオはどんな感じなんだろう」
そんなことを考えながら、実況席へ入ると、想像していた風景とは全く違う光景が。
部屋には同じ服装をした男性と女性の職員らしき方々が数名……どうやらここは審判室のようだ。
「なるほど、まずは関係者の皆さんにご挨拶だな。そりゃ、そうだ」

師匠に連れられて、審判のみなさんへの挨拶を済ませ、審判室を出るのかと思いきや師匠はそのまま水面が見える窓際の方へ。
「あれ……この人どこに行くんだろう?」
立ち止まって様子を見ていると、師匠は手招きして私を呼ぶ。
そして一言。
師「ここが実況席だよ」
森「?!!!」
師「練習して良ければ、ここでも研修するから」

森「(あれ?ここ審判室だよな?何故ここに実況席が!?)」
森「(レースの審判をする部屋なのに。実況席を作る部屋がなくて、仕方なくここに作ったのか?)」
森「(いや、そんな訳はない。でも、ほら、アナウンサーといえばスタジオがあってさぁ。スポーツ中継だと中継ブースがあるじゃない。ここは審判の人と同じ場所で実況!?)」

僅か数秒の間に、森泉青年の頭の中は激しく混乱したもの。
そうなのです、ボートレースは他の競技と違い、実況席が審判室にあるのです。
転覆や落水などの失格放送。
その他にもフライングが発生した時の欠場放送などをレース中に入れるため、実況アナウンサーは審判の一員でもあるのです。

森「(そう言えば、レースを観ていると、レース中に実況が「失格」って言っていたな。どうして失格って分かるんだろう?ADさんがカンペでも出してくれるのかな?)」

事実を知るまではそんなことを考えていました(苦笑)。

多摩川の場合は実況席の両サイドに審判長と副審判長。
そして、中央審判や信号関係の審判が横一列に並ぶようになっていました。
(レース場によってはこの並びが違ったり、二段になったりしているそうです)

スタジオがあって、それとは別に実況ブースがあって、そこで一人喋りをするんだろうなと、想像していたので。
いきなり先制パンチ(しかもかなり強烈な)を食らったような心境になりながらも研修が始まりました。

研修は練習から。
審判室の真下にある、水面を一望できる部屋をお借りして、そこで実況を録音しながら練習。
その録音したものを師匠がリプレイを観ながらチェックして、アドバイスをいただくという繰り返し。
実際に喋ってみると、ボートのスピードが想像以上に速い。
しかもここは“日本一の静水面”と、呼ばれる多摩川、スピード戦が展開されるのです。
実況に限ったことではないと思いますが、上達するコツは『手本とすべき人の真似、コピーをすること』だと思います。
それでまずはベース・基礎を作り、そこから自分の色を出していくのがベストではないかと。
上手な人の真似をして、下手にはなることはないはず。
私は師匠である野村さんの実況を何度も聴いていました。
アドバイスをいただいている方のプレーを聴くことで、より理解が深まります。
ただ、当時は真似やコピーという発想はなかったものの。
仕事というのは身近な人に自然と似てくるんだなと、感じたものです。
それを物語るエピソードがあります。
この研修の数ヶ月後、実況デビューを果たした後のある休日、実家へ遊びに行きました。
実家で偶然、野村さんが実況をする多摩川のレースリプレイを観ていたら、たまたまその実況を聴いた母親が
「あれ?あんた今日仕事あったの?」
と、言うではありませんか。
なんと、実の親が間違えたのです。
「いやいや、そもそも今日はズーッと、この家にいたじゃない!」
と、ツッコミを入れましたが、それと同時に驚きを隠し切れませんでした。
当時、コピーをしようというところまで意識はなかったのですが。
親が間違えるくらい、自分でも無意識のうちに似てくるものなのかと。
以上、ちょっとした余談でした。

さて現地に足を運んでは練習&アドバイスを受ける日々が続く中。
ある日、大ベテランのアナウンサーであるゴン太さんこと糸井アナウンサーから一言。
「たくさん練習するのも良いけどさぁ。やっぱり、本番やらないと上手にはならないよ」
と、大ベテランならではの威厳と風格、そこからくる説得力。
威厳はありますが決して偉ぶることはなく、とても優しい大先輩です。
もちろん、恐れ多くて……ゴン太さんとは今でもご本人を前にその呼び方はできませんが(笑)。

そんな説得力あるお言葉をいただき、研修から約2ヶ月半。
冒頭で驚きを受けた、あの審判室の実況席で喋らせていただくことに!
あの席に座るまでの道のりは物凄く厳しく、髙い合格点が出るまでは座ることが許されない。
最低でも1年はかかるのでは?と、勝手に想像していたので、これは意外な展開。
とは言え『100回の練習より1回の本番』という言葉があるように。
本番をやることで課題が見えてくる。
そして、どんな練習が必要なのかも分かってくる。
これは大きくステップする重要な機会だ。

さぁ、次回はいよいよあの実況席に!
ところが、いきなりアクシデント発生!
森泉研修生は無事やり切れたのか!?

*パソコンに残っていた当時の写真の質が悪かったので……
野村達也さんから多摩川の写真を提供していただいた次第です
心から感謝申し上げます

【オートレース/今後のチャリロト杯日程】
8/1〜(伊勢崎)
9/15〜(飯塚ミッドナイト)

【略歴】


森泉宏一(もりいずみ・こういち)
1984年5月8日生まれ
東京都出身 広島県・富山県育ち

父親の影響もあり、学生時代は野球に打ち込む
25歳の時、ボートレースで公営競技実況デビュー
2017年4月から伊勢崎オートでオートレース実況を始める
公営競技実況の他、プロアマの野球実況
さらにはイベントや展示会の司会
広告モデルや話し方教室講師などでも活動
野球好きの選手からの誘いもあり、
伊勢崎オートの野球チーム「キラッツ」に入部
しかし、デビュー戦において投手で二桁失点を喫する
その為に最近、オートレース界隈でその実力が疑われている
某選手からの「投げるスタミナがあるだけで助かっている」
という慰めの言葉が唯一の救い

実況天国

森泉宏一

生まれは東京、育ちは広島、富山。学生時代に喋りの仕事を志し、2009年にボートレース実況でアナウンサーデビュー。2017年からはオートレース実況も始める。現在はYouTube配信番組などの出演も多く、「チャリロト劇場 燃えろ!!オートレース」出演時はMCも務める。パーフェクタナビでは「森泉宏一の実況天国」コラム連載中。プライベートでは2022年に年間100本の万車券的中を達成。試走タイムが出ない選手や逃げが得意の選手を好む傾向にある。公営競技を含めた日々の仕事の様子などを投稿している「森泉宏一のモーリーチャンネル」も絶賛更新中。

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