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『森泉宏一の実況天国』Vol.11

2019/04/30 (火) 06:18

『森泉宏一の実況天国』Vol.11

先日、千葉県船橋市にあります『オートレースふなばし』へ足を運んできました。
近くにある商業施設に用事があったのですが、せっかく近くに“打てる”場所があるのに、足を運ばないという選択肢はあろうか?
いや、ないっ!笑

今回に限らず、川口オートレース場へいった時などもそうなのですが。
もう何度も見たことがあるのにも関わらず、展示コーナーは必ず立ち寄ってしまいます。
はい、パトロールみたいな感じになっています(笑)。

さて、Vol.8にて「子どもの頃、将来の夢はタクシーの運転手だった」と、書いたのですが、コラムを読まれた方から「なぜタクシー運転手に?」という質問を受けました。
小学生〜中学年くらいの将来の夢、当時の森泉少年がタクシー運転手に対して抱いていたイメージは『人を乗せて様々な場所へいき、お金を受け取る=誰もができることではない特別な存在』でした。そして、タクシー運転手は車の運転が特に巧い人しかできない、運転のスペシャリストだと思っていました。タクシー会社はそんなスペシャリストが集まるエリート集団なのだと。
そこにカッコ良さを感じ、自動車が好きだったことこともあり、将来はタクシーの運転手になりたいと思っていたのであります。
ちなみに大人になって、タクシー運転手全員が運転が巧いという訳ではないことに気付かされましたが(苦笑)。

結局、タクシーの運転手になることはありませんでした。
しかし、幼少時から「腕一本で!」とか「テクニックを駆使して!」という職業の方に憧れていたことに間違いはありません。
陶芸家、大工、演奏家などにも同じような感情を抱いていました。

今の仕事も「腕一本で」というところはありますが、子供の頃はアナウンサーという発想はありませんでした。
(ローカルタレントになりたいと思ったことはありますが、それは改めての機会に)

そんな背景から「将来は会社員になる」という自分自身の姿がイメージできませんでした。
前回までのコラムではレース実況に関するエピソードなどを綴ってきましたが、今回はそのもっと前の部分。
『何故レース実況アナウンサーになったのか?』
そもそも……いつ?どこで?どんなキッカケで?
喋ることを生業(なりわい)にしようと思ったのか?
(最初から公営競技実況を目指していた訳ではないし、スポーツを含めて「実況」は頭になかった)
さらにはどのようなルートで公営競技実況への道が開けたのか?
(ここが多くの公営競技アナウンサーの皆さんの“正規ルート”とは違うところでもありますので)
今回はそういうところをお伝えしてみたいと思いました。

また、Perfecta Navi編集長からも。
このコラムを始めるにあたって『きっかけ』に関する提案もいただきました。
ということで、何回かに分けて書いていきたいと思います。

まずは『喋りの仕事を志した瞬間』ですけれども。
私は小学5年生から野球一筋でしたが、大学2年生で野球部を退部しました。
レベルの高い大学野球で実力的に厳しいことに加えて、今まで野球しかやってこなかったことに対する将来への不安や恐怖心が襲い掛かり、退部を決意。
退部後は時間ができたので、以前からやってみたかった一人旅を決行(いかにも学生らしい)、行き先は九州。
青春18きっぷを駆使しての旅は数日で行きたい場所を巡り、旅の最後に訪ねたのは、サッカーの試合。

佐賀県鳥栖市にある鳥栖スタジアム(現・駅前不動産スタジアム)でした。
当日はJリーグの開幕戦、サガン鳥栖 VS アビスパ福岡の試合が行われており、プロのサッカーの試合を生で観てみたいと思っての観戦。

試合前、スタジアム内で座っていると、男性の場内アナウンスが聞こえてきました。
スタジアムDJだ!
野球で言うところのウグイス嬢、選手紹介や告知などを行うスタジアムナビゲーター。
(ウグイス嬢のようにキレイに喋るのではなく、盛り上げ系の喋り)
鳥栖スタジアムのスタジアムDJは佐賀を拠点に活躍されているDJ YUYAさんで、素敵な低音ボイスの持ち主です。
そのYUYAさんの声を聞いた瞬間、今までにない感情が私の中で芽生えました。
YUYAさんはその声、その喋りでスタジアムの雰囲気を作っている。
スタジアムが、非日常的な空間に感じられた瞬間でした。
そのYUYAさんの喋りを聞いた時、鳥肌が立ち、それが収まらなかったことを今でも鮮明に覚えています。
スタジアムは開幕戦ということもあり、試合前から高揚感に包まれていたことも印象的です。

試合を見届け、翌日には帰京。
家に帰ってから、新学期が始まっても、あのスタジアムでの感情が忘れられない。
そして、決意したのです。
「自分の声や喋りで、その場の雰囲気を作れる人になりたい!」
「スタジアムDJになりたい!」
と、大学3年生の春、将来への道標を決めたのです。
「腕一本」ではなく「声一本」で。

しかしながら……そう決めたのは良いものの一体、何から始めれば良いのか???
何も知らない世界、調べるにしても何から調べて良いのかも分からない始末。

という『きっかけ』だったのでありますが。
それでは、なぜ喋りの仕事のデビューが公営競技実況アナウンサーとなったのか?
次回、乞うご期待!

GWの真っ只中、オートレース界では浜松オートにてSGオールスター・オートレースが開催されていますっ!
特設サイトはこちらです。

夢の祭典、豪華メンバーが揃っております。
私は参戦していますので(3日目と4日目=お仕事ですwww)、是非、みんなで盛り上がりましょう!

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最後にスタジアムDJについてですが、志してから8年後の2013年。
岩手県をホームとするサッカークラブ・グルージャ盛岡(現・いわてグルージャ盛岡)でスタジアムDJを務める機会があり、夢が叶いました。
さらに今度は知り合いの方がDJを担当するJリーグクラブ・水戸ホーリーホックでも。
こちらでもピンチヒッターとして、数年前から担当する機会に恵まれています。
『夢は正夢』なのですっ!
(北海道日本ハムファイターズ・栗山英樹監督の座右の銘です)

【略歴】


森泉宏一(もりいずみ・こういち)
1984年5月8日生まれ
東京都出身 広島県・富山県育ち

父親の影響もあり、学生時代は野球に打ち込む
25歳の時、ボートレースで公営競技実況デビュー
2017年4月から伊勢崎オートでオートレース実況を始める
公営競技実況の他、プロアマの野球実況
さらにはイベントや展示会の司会
広告モデルや話し方教室講師などでも活動
野球好きの選手からの誘いもあり、
伊勢崎オートの野球チーム「キラッツ」に入部
しかし、デビュー戦において投手で二桁失点を喫する
その為に最近、オートレース界隈でその実力が疑われている
某選手からの「投げるスタミナがあるだけで助かっている」
という慰めの言葉が唯一の救い

実況天国

森泉宏一

生まれは東京、育ちは広島、富山。学生時代に喋りの仕事を志し、2009年にボートレース実況でアナウンサーデビュー。2017年からはオートレース実況も始める。現在はYouTube配信番組などの出演も多く、「チャリロト劇場 燃えろ!!オートレース」出演時はMCも務める。パーフェクタナビでは「森泉宏一の実況天国」コラム連載中。プライベートでは2022年に年間100本の万車券的中を達成。試走タイムが出ない選手や逃げが得意の選手を好む傾向にある。公営競技を含めた日々の仕事の様子などを投稿している「森泉宏一のモーリーチャンネル」も絶賛更新中。

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