2019/01/16 (水) 12:54
2019年1月もいつの間にか半ばを過ぎ、どんど焼き(私の地元では“左義長”と、呼んでいました)も終わり、お正月の空気もスッカリなくなってきた今日この頃。私は今年、人生初の東京での年越しとなりましたが、仕事三昧だったおかげだったのか家で紅白を見ながらセンチメンタルな気持ちになることもありませんでした。もっと言えば、良いのか?悪いのか?分かりませんけれども、お正月気分を味わうこともないままに過ごしたとも言えます。
そんな風に私にとっては変わらぬ日常だったお正月。ですが、どんな日々を送っていても、やっぱり、なんとなく新年は特別な心持ちになりますよね。競輪界も期が変わり、新年最初の開催は選手も「いいスタートを切りたい!」そのように考えているのではないか?と、元選手の方に伺ったこともあります。そんな新年に新たな挑戦へ踏み出した選手が1人。平塚競輪の年またぎ開催から『自力転向宣言』をした和田健太郎(千葉87期)選手です。
ちょうどその平塚競輪の前検日にお話しすることができ、その自力宣言を聞いた時、驚きと共に色々な感情が交錯しました。私の知る限り、和田選手は南関東地区で屈指の追込み選手としてズーッと、トップ選手として活躍されていました。ラインの番手で先行選手を守るブロックも、ライン不発の苦しい展開からでも3着まで追い込んできてくれるタテ脚も持ち合わせています。特に私は後者のパターンで何度となく和田選手の車券でオイシイ思いをさせてもらってきました。
そんな和田選手が自力に転向……この表現が正しいか分かりませんが、正直、少し寂しい。大好きだった【和田選手―全】のワイドが買えなくなっちゃうのかな?という邪(よこしま)な寂しさも。でも、それ以上に応援と楽しみな気持ちが湧いてきました。
何歳になっても、選手歴何年になっても、自力でラインの先頭を走る選手はもちろんいます。だけど、追込みから自力に戻る選手は決して多くはないと感じます。ましてや和田選手は追込み選手として第一線で活躍し、成績も残してきています。それが自力宣言をしたことによってどう変わっていくのか?――これまでは取れていた位置取り、警戒が薄かったから打てた捲り、それができなくなる、させてもらえなくなる可能性は十分にあるでしょう。そうであっても自力でやってみたい!――そう話してくれた和田選手の選んだ道が簡単ではないことが私にでも想像がつきます。それでも、一度きりの選手人生に悔いを残したくないと、挑戦する和田選手の気概に私は胸を打たれました。
『現状維持は後退の始まり』という格言がありますが、そうは言っても変わり続けること、挑戦し続けることは楽ではありません。ましてや競輪という勝負の世界。現状維持だって簡単に誰でもできることではないと思います。
「無理でしたって、また、追込みに戻るかも知れないけどね」
そう冗談っぽく笑って和ませてくれましたが、さらなる上を目指す和田選手の挑戦を応援せずにはいられませんっ!
自力宣言の平塚FⅠ。そして、和歌山記念の2節で8走した和田選手。確定板(3着まで)に名を連ねたのは計5回。私はそのうちの4回、車券を当てることができました。戦法転向後も和田選手との車券相性は変わることなく、いいことにまずは一安心。でも、これに満足していてはいけませんっ!競輪ファンとしても飽くなき探求心と挑戦する気持ちを忘れず、和田選手をシッカリ狙っていきたいと思います。
みなさん、今年はどんな1年にしたいですか?今年もみなさんの競輪ライフが最良のものとなるように願っています。2019年も競輪場で会いましょうね!
木三原さくら(きみはら・さくら)
1989年3月28日生 岐阜県出身
2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に
競輪を自腹購入しながら学んでいく
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり
好きな選手のタイプは徹底先行
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている
木三原さくら
2013年夏に松戸競輪場で ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー。 以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に競輪を自腹購入しながら学んでいく。 番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり。 好きな選手のタイプは徹底先行! 好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション。 “おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている。