2022/02/02(水) 20:10 0 6
深谷知広は走る度に医療機関へ寄付をしているが、長らくの間、野井正紀も走る度に各地の医療機関に寄付を続けていた。
野井は「毎回ではなかったし優勝した時だけ。最初は10万円と決めていて、その後は5万円。当時はA級でも稼げたし、優勝賞金も100万円あった。佐藤拓也に聞いたら同期で失格の回数は出口真洋が一番多かったけど、優勝回数は俺の48回が一番だと思う。もちろん出口や藤田和彦とは走っていたグレードが違うけし、A級とS級のエレベーター選手だったので」。
単純に48回優勝していれば、400万円以上の寄付をした事になる。口で言うのは簡単だが、実際にはなかなか出来ない。S級での優勝もなく、 GIの出場も、まだ親王牌がGI格付けになる前しかないと言う。当時は金八先生みたいに長髪で、髪をなびかせながら、先行していたのが僕のイメージ。
「よく言われるけど、あれは28歳から30歳ぐらいの時。美容院に行くのが面倒だったので。それから髪の毛が少なくなってからは坊主です(笑)」。(町田洋一)