2024/04/14(日) 09:00 0 4
チャレンジのおじさん達のレースは厳しい。西へ行けば行くほど、シビアで厳しく、ラインがあってないようなものだ。同地区でも点数のない自力選手には付けず、本線の3番手、4番手を選択するベテランが多い。
沼川夢久は「今は生き残りが大変。若手が、間違った練習をせず、トレーニングから進化している。朝から晩までの昭和の練習をやってくれていたら、自分らも、誤魔化しがきいた。ちょっと前までとタイムが全然違うから。現状、70点をキープしているので、最低でも1年半は代謝制度に引っ掛からない。先日、49歳で引退した久保田敦史さんの送別会があったけど、区切りの50歳まで走りたかったと言っていた。自分も、今は同じ気持ち。50歳になれば、次は55歳、その次は60歳と欲が出るんだろうけど。記者の人達だって、そうでしょ。年を取っても現役でいるから元気でいられる(笑)」。
まもなく57歳になる記者は、60歳が当面の目標。それ以上続けても、世間の競輪感とズレて、ますます老害記者と言われるだけ。ただ、無職になれば、更に不摂生の生活を続けて、健康を害するのは見えているが…。(町田洋一)