2021/06/26(土) 16:45 0 4
久留米競輪場で26日に幕を開けた「中野カップレース(GIII)」。師匠の冠レースに燃える紫原政文は初日4着で二次予選に進出。53歳になってもS級で奮闘する男に師匠(中野 浩一氏)との思い出などを語ってもらった。
紫原の中野カップレース初日
今年の3月に53歳となっても、いまだにS級で活躍中の紫原政文。現役選手で中野氏の弟子なのは、紫原と柴田了(A級3班)の2人だけ。今回が3年連続の「中野カップレース」出場で一次予選をクリアした。
「源(野田源一)が強かったね。離れてしまったけど、意外と脚が残っていたし、なんとかリカバリーができた」。絶好調の野田には続けなかったが、しぶとい立ち回りで勝ち上がりを決めた。ここから中野氏との関係について話が進む。
師匠・中野 浩一氏との思い出
「中野さんは高校の陸上部の先輩なんです。僕は小学生の頃に1度、競輪選手を志したけど、高校の部活の壮行会みたいなときに、OBの中野さんが激励にいらっしゃって。それでまた、競輪選手になりたいと思い出した。高校の陸上部の顧問が、中野さんの時代と同じ方だったので、中野さんに弟子入りしました」
気になるのは師匠としての中野 浩一氏の存在。どんな方だったのか、思い出をまじえて話してもらった。
「基本的には放任主義でした。でも何度か怒られましたね。印象に残っているのは、22歳で2回目のGIだった宇都宮オールスター。久留米記念を3連勝、甲子園のFIも3連勝して、6勝で臨んだんです。初日3着で勝ち上がって、2日目が5着で勝ち上がれなかった。その次の日の朝の練習をさぼったんです。そうしたら、その夜に宿舎で正座をさせられて。「1回、負けたくらいで…」と。ふてくされているように見えたんでしょうね。あとは競輪祭の新人王の決勝戦前日。夜の12時くらいにポテトチップスを食べながらコーラを飲んでいて。その時も怒られました。この2つですかね、強烈に印象に残っています」。
印象に残っている師匠の言葉
そして「中野さんの弟子で良かった」とも話す。「40代の半ばくらいだったかな。中野さんから『もうお前に何も言うことはない』と言ってもらった。そこから、レースに関して、いろいろと言われなくなりましたね。寂しい反面、うれしさもあった。やってきたこと、やっと認めてもらえたのかなって」。
3年前には失格点の影響でA級に落ちたが、半年でS級に戻ると、そこからはずっとS級で奮闘している。「これも中野さんの教えで『よく働き、よく遊ぶ』。普段の生活から競輪が主体なんだけど、オンとオフもきっちりと。あとはA級を経験して、少しでも上で頑張りたいと思えるようになった」。3年連続の「中野カップレース」だ。「あっせんが来たときから、緊張しないように心掛けているけど、緊張してしまう。でも、今回は来る前に嫁から言われたんですよ。『53歳で呼んでもらえるだけ幸せでしょ。感謝の気持ちで走らなきゃ』って。そうだよなって思いましたね。この歳になったら負けることの方が多いけど、たまに勝ったときの喜びが大きい。楽しいですよ」。
一昨年は準決勝まで勝ち進んだ。今年はどうか。師匠のため、応援してくれる家族、ファンのため、横断幕にもある“人生は挑戦だ”を最後まで貫く。(netkeirin特派員)