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【弥彦競輪】地元がラストランだった阿部康雄

2021/11/20(土) 21:00 0 9

弥彦競輪「サテライト会津カップ(FII)」は14日、全日程を終了した。地元がラストランだった阿部康雄に話を聞いた。

温厚な人柄だが、タテは抜群に切れた阿部康雄。まだ年内の開催が残っているが、地元を走るのは最後だった。

 阿部康雄も往年の名選手だった一人。番手でガツガツ勝負するタイプでなく、3番手からの突っ込みを一番の持ち味にしていた。

「性格的な部分で、3番手の方が向いていた。オレがオレがと言うタイプはないし…。我慢してから踏む、3番手の方が気分的に楽だった。それと、当時は3・57が主流の軽いギヤの時代。レース形態と自分の走りが合っていた」。

 阿部が素人脚自慢がキッカケになり競輪選手になったのは、あまりにも有名な話しだ。
「それまでは、道路の線引きのサラリーマンを4年ぐらいやっていた。高校はラグビーをやっていたけど、社会人の時は、運動をやめていた。だけど、ふとしたキッカケで素人脚自慢に出て優勝した。それで師匠の原田則夫さんに弟子入り」。

 GIには届かなかったが記念は6回優勝。特に九州の記念に強かったイメージがある。
「地元記念は練習をやり過ぎたり、プレッシャーに負けたのかな。あまり成績が良くなかった。追加で、ふと行った九州の記念とかの方が成績は良かったですね」。

 長らく関東のS1のマーカーだったので、関東の歴史問題には詳しい。
平原康多後閑信一長塚智広神山雄一郎稲村成浩ら、一通り連係があるので。小橋正義も途中から新潟に移籍してきた。走りのタイプや性格が違うけど、刺激になったのは確か。諸橋愛も、デビューした時から、大物になると思ったよ。あの厳しさは持って生まれたものだから」。

 さすがに、地元ファンの声援が多く、レース後は、うるうるしていた。残りのレースは少なくなったが、最後の勇姿を見て欲しい。(町田洋一)

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