2021/09/03(金) 16:30 0 8
“悲運なレーサーシリーズ”は新田康仁、前田拓也、會田正一と続いて4度目。これは同じタッチでアオケイの長谷川記者も佐々木則幸を書いてくれている。“悲運なレーサー”に正確な定義はないが、僕の歴史観として、何となく報われなかった選手、タイトルを獲れそうで獲れなかった選手、時流に乗れなかったり、時代から取り残された選手のイメージ。
藤田竜矢は人柄も良く、いつも笑顔を絶やさず、選手間や我々の間でも悪く言うのを聞いた事がない。これは意外だったが「特別競輪の決勝にも準決勝にも行っていない。いつも一次予選、二次予選で気持ち良く駆けて、それで満足して終了(苦笑)。後ろに勝ってもらえれば良いと思っていたし、GIの勝ち上がりでは後閑信一さんに一番奉公したと思う(笑)」。
記念の優勝は高知記念と地元西武園記念の2回だけ。FIの優勝は、もっと多いと思ったが20回未満だと言う。「高知は上原龍君が行ってくれ番手捲り。だけど、その時、7人の追走義務違反があり、初日に大物達が消えている(笑)。地元西武園は池田勇人が行き、平原康多が番手から出て、それを差したレース」。
4・50の大ギヤ時代の成績が一番良く「時代の変化に付いて行けなかった。器用でなく先行しか出来なかったので。自在のレースも考えたけど、自分の性に合わなかった」。落車の影響で3月に肩の鍵盤を手術。まだ痛みもあるそうで来期は無念のA級落ち。ひとりひとりの選手の歴史が競輪を支えている。(町田洋一)