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今後もブレない野田源一 今のスタイルが確立したわけ

2021/08/12(木) 15:00 0 13

秋田から福岡県の久留米に移籍して約16年の野田源一。ライン戦が大きな特徴、魅力である競輪で、味方がおらず一般的には不利とされる単騎戦を苦にしない稀有な存在だ。大工の源さんになぞらえて、“単騎の源さん”と呼ばれることもある。現在のスタイルが確立した理由を探ってみた。ここからは野田本人の言葉のみでお伝えする。

個性派レーサー“源さん”が語ってくれた

 一時は追い込みもやっていたんですよ。3番手も回ったり。久留米の自力型にはひと通り付きましたね。でも、まだ自力でやりたい、自力をまだ出したいな、という気持ちがあって。それに技術面でも追い込み戦が得意ではないし、なんとなく性格も合っていない気がして。もちろん、ライン戦で追い込みとしての役割を果たして勝つと喜びも大きいんだけど、自力戦の方が向いているなあとか、この人には付いて、この人には付かないという線引きも難しくて。34歳くらいから、割り切って徐々に今の感じになったかな。

「単騎」というコメントはしていないですよ。いつも「自力」のはずです。結果的に単騎になることが多いけど、大前提は自分でやって1着を獲る。そこはずっと変わっていません。後ろに付く、付かないはその選手が考えてくれればいいことなので、自分は付いてもらおうが、別々になろうが、やることは変わらない。好んで単騎になりたいわけでもないですよ。気楽に走れますけどね。苦にならない、って感じですね。最近は先行して勝てる脚がなくなってしまって、捲りか捲り追い込みが主体になってしまう。ラインができれば、責任感を持って走れます。意外ですか? 空回りすることもありますけどね。自分の持つ距離でワンツーを目指します。自分だけ届く内容になっちゃうこともあるけど。あとは味方がいれば9番手になることはないですからね。プラスの面もありますよ。

 どれだけやれるかと思ってこのスタイルにしてみたけど、ある程度は結果を残せているし、やってきたことは間違いじゃなかったなって思います。番組やファンの方にも自分のスタイルは認知されていると思うし、しばらくはこのスタンスで。ないとは言えないけど、余程のことがない限りは人の後ろには付かないですね。最近、競輪を始めた方も、“なんで一人で走るんだろう”って思うでしょうね。そういった方にも少しずつ浸透していけばと思います。

 これまでで一番、申し訳ないと思ったのは後輩の吉本卓仁と一緒になったとき。過去に優勝させてもらったこともあるのに、別でやらなきゃいけないのは心が痛かった。自分でやることにしてから、初めて一緒の番組になったときは“ついに来てしまったか”と思いましたね。卓仁には申し訳なかった。でも彼も分かってくれた。これで誰かに付いていたら怒るでしょうけどね(笑)。徹底してやっているから理解してくれましたね。他地区の選手とかには一人で自由にやっている、と思われている気がします。そうではない。別に好んでやっているわけではない。実際に最近はライン戦も増えてきています。ただ、調子が良くないときに付いてもらうのは申し訳ない。そういうときは前もって伝えます。それでもいいって人は付いてくれますけどね。

 最近は7車立ても増えて、7車と9車、どちらにも対応しなければならない。単騎の場合は9車の方が走りやすかった。1車くらいなら入れてもいいか、って思ってもらえて位置取りがしやすかった。7車の方が難しい。もう少し航続距離を増やさなきゃダメですね。単騎の源さんですか。単騎のときの方が“結果を出さなきゃ”という思いが強い。ファンも単騎の自分に期待してくれていると思うので。いろいろな選手がいてもいいでしょう。頑張ります。

競輪の主流に逆行するが、これも一つの戦い方。常に1着を目指すのは他のどの選手とも変わらない。決して人間嫌いとか、しがらみがどうとか、そういった類ではない。むしろ、検車場ではいろいろな選手と談笑している姿をよく見かける。それでもレースになれば、仲間がいようがいまいが自らの手で活路を切り開く。だからこそ、相当な覚悟で挑んでいるのが伝わってくる。競輪界では数少ない個性派レーサー“源さん”はこれまでもこれからもブレずに走り続ける。(netkeirin特派員)

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