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【四日市競輪・ナイター】光を与えてくれた浅井康太のホームバンクで奮闘する牧田悠生

2024/06/13(木) 08:45 0 10

四日市競輪のナイター「能登半島支援 ゆうゆう会館協賛 中スポ賞(FI)」は13日、最終日を迎える。11RのA級決勝に出走する牧田悠生に話を聞いた。

「浅井さんのおかげで自分も今ここにいることが出来てる」と話す牧田悠生

 人生いろいろ、競輪選手もいろいろではないが、選手になる理由、それまでの背景はさまざまだ。四日市ナイターに出走している昨年7月に本デビューした123期、新潟支部の牧田悠生は自身のX(旧Twitter)に、

【競輪選手】123期 小中野球→高校野球部でいじめられ退部&不登校期間あり(3年間ぼっち生活)→競輪選手養成所4年浪人5回目で合格 “諦めず、不撓不屈”

 と記してある。

 来月8日にやっと25歳になる新鋭は年齢以上に壮絶な人生を送ってきたようだ。振り返りたくない過去かもしれなかったが「公表している事なので大丈夫ですよ」と快く取材に応じてくれた。

「高校1年の時にいじめられて、7月くらいには学校に行かなくなった。そこから3か月くらいは自分の部屋に引きこもるようになって。親と会うのも嫌になっちゃって、部屋のドアも机とかで開かないようにしてましたね。食事は家族全員が外に出てから、自分の部屋を出て食べに行く感じで、2日に1食とか。漫画ばっかり読んでました。外にしっかり出られるようになったのは年明けくらいからだったかな。それまでは学校に行っても7時間授業のうち1時間だけ出て、それ以外は相談室のようなところにいて携帯電話をいじったり。留年しないギリギリくらいの生活をしてましたね。転校や退学? 親には私立に出してもらっていたし、その時の自分は“高校を辞めたら人生が終わっちゃう”って思ってた」

 人との接触、人間関係が嫌になってしまった牧田の拠り所になったのが、なんと競輪だった。

「家は新潟市内なんですけど、父が競輪好きで。中学生の頃から父の車で4、50分くらいかけて弥彦競輪場に観に行ってました。小学生の時も行ってたかも。高1で引きこもったり、相談室にいる時も、携帯で競輪を見てましたね」

 4月に熊本地震が起きた2016年の8月、高校2年生になっていた牧田に光が差し込んだ。

「父が、(前年の)グランプリチャンピオンの浅井康太弥彦に来てるぞ! って。弥彦記念の決勝に2人で行って、強烈にカマして逃げ切ったのを目の前で観たんです。当時の何もなかった僕にすごい衝撃を与えてくれた。それからですね、競輪選手かぁって気持ちになったのは。それまで何回も生で観ていたけど、浅井さんの優勝に心を動かされましたね」

 希望を持てなかった苦しかった人生に、競輪選手を目指す事で自分なりに決着をつける事にした。

「その年の前橋の寛仁親王牌には父と車で行って、村上義弘さんが優勝した立川グランプリには高速バスで行って最前列で浅井さんを応援してました。過去の映像とか流れると、金網越しに僕と父が映ってるんですよ(笑い)。翌年も弥彦記念に浅井さんが来て、出待ちをして写真を撮ってもらってサインも貰いました。その時に“浅井さんを観て競輪選手を目指してます”って伝えたら“その時はよろしくな!”って言ってもらいました。浅井さんは覚えてないでしょうけどね。写真とサインは今も宝物で持ってますよ」

 5度目の挑戦で晴れて養成所に合格。「ちょっと不安もあった」養成所での生活も無事に終え、昨年、競輪選手としてデビューを果たした。本格デビュー後は無傷の9連勝でチャレンジ戦を卒業。今年1月の四日市で初めて1・2班戦で決勝に勝ち進んだ。直後の大宮でも決勝進出したが、その後は3度の落車もあって決勝戦から遠ざかった。そして今回の四日市で1月以来の決勝進出。競輪選手になるきっかけを与えてくれた浅井康太のホームバンクでは2連続でファイナル入りとなった。

「そこまでの意識はないんですけどね。あぁ四日市だぁ、くらいで。でも相性はいいのかもしれませんね。久しぶりに決勝に勝ち上がれて良かったです」

 久々に決勝進出を決めた日、岸和田のGIでは浅井が通算500勝を達成した。

「すごいですよね。僕なんかとは天と地の差。その浅井さんのおかげで自分も今ここにいることが出来てる。プロスポーツの世界に。ここ10年ないくらいの間で人生が激変した。こっからの10年もいろんな事があると思う。まずはS級に行って、地元記念を走りたいですね」

 牧田が浅井の走りに感銘を受けたように、いつの日か牧田が少年たちに夢を与える日が来るかもしれない。

「そうなったら嬉しいですね。まずは強くならないと。まぁドン底は見て来たんで。負けたら面白くないけど、その分結果が出ると嬉しいし楽しい。若手で自在っぽいレースもするけど、僕は僕の人生なんで」

 ちなみに取材時に来ていたTシャツは高校時代のものらしい。

「体育祭か文化祭のどっちかで着たやつ。初心を忘れないために、必ずレース場に持って行ってます」

 苦しかった過去ともしっかりと向き合えている。ドン底を乗り越えた経験が、「ダッシュが武器」と話す牧田の、もうひとつの武器かもしれない。(netkeirin特派員)

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