2021/07/09(金) 18:30 0 7
“マエタク”の愛称で一世を風靡した前田拓也はイケメンだった。シャープなタテ脚を売りにして、間違いなくタイトルを取ると思った選手の一人。「GIIIの優勝は6回。地元岸和田の全日本選抜と名古屋のオールスターの決勝に乗ったけど、結局、タイトルには縁がなかった。運もなかったし、あの当時の自分に欠けていた物もあったんでしょうね(笑)」
2005年の全日本選抜が一番惜しいレースだったそうで「加藤慎平が小嶋敬二さんの先行に乗り、初めてタイトルを取ったレース。中部は金子貴志君と山口幸二さんが別線で僕は慎平の後ろだった。最後、勝負に行って強引に中割り。ただ、失敗して落車滑入の8着。あれが綺麗に入っていたら、取れていたかもしれないですね」。当時の近畿のマーカーの争いは今より断然厳しい時代。ヨコの猛者達が『俺が、俺が』で、番手を回る事に生き甲斐を感じていた。その中で、ヨコは甘く、タテ脚で売っていたマエタクは、割を食ったと言っても良い。
「GIを取れると本気で夢見ていたし、自分が生き残るには、タテを磨くしかないと思っていた。当時は57のギヤで、軽いギヤが僕に合っていた。ただ、大ギヤ時代になり、僕の存在感も薄れて行った。先行選手は村上義弘君、市田佳寿浩君、稲垣裕之君。簡単に番手は回れなかったけど、かなり世話になりましたね。脇本君が出て来た時は、トップクラスから落ちていた。その辺りの巡り合わせも人生は大切ですね」。
大垣記念の落車で膝の軟骨を損傷。医者からは手術か保存療法のニ択しかないと言われ「手術をしても完治するか分からない。それなら騙し、騙しやろうと。今まで先の事を考えた事はないけど、第二の人生を含め、色々と考えるようになりましたよ」。毎日のように、選手の人生模様を聞いているが、これをシリーズ化して、選手の魅力を伝えて行きたい。(町田洋一)