2021/06/30(水) 17:30 0 6
関東はただ1車。単騎で前々にやるか北日本の小松崎大地ー和田圭の3番手を回る選択肢もあったが、ちゅうちょなく「松浦(悠士)の番手」に狙いをしぼった。だが、松浦の番手は同じく目標のない村上博幸が主張していた。それでも、武藤は引けなかった。
「(松浦は)今の競輪界でもっとも魅力のある自力選手ですし、そこに行かない手はない。それに同期だから。村上さんにも挨拶をしました」と強硬な姿勢を崩さない。
「宿口(陽一)さんの高松宮杯(高松宮記念杯競輪)を見て気持ちが入った。同県の平原(康多)さんや後輩たちの番手を同県の自分が守ると周りにアピールするにはこういうことは必要。苦しいかもしれないけど改めてやっていきたいと思ったんです」と、てこでも動かない強い意志を感じた。
追い込み選手にもいろいろある。昔ながらの2着が勲章とされる鉄壁なマーク屋、もしくはタテヨコ万能な自在タイプ。武藤の理想は、無骨に番手を守る昔ながらのスタイルだ。
「動けてまくれる追い込み選手が強いのが今の競輪。でも自分はオヤジ(武藤嘉伸)を見ているしやってきたことを知っているから」ときっぱり。
たらればで「もしも松浦に地元3車が並んだらどうしていたか?」と尋ねると「地元がいるところに競る事はできないでしょう。松浦が1人だから主張したまでで。メンバーや場所にもよります」という。
何でもありのゲリラ型も多いが、村上に挨拶に行ったり、地元を立てたりとこの辺も昔ながらの仁義や競輪道をわきまえている。
競りの話を松浦悠士に振ると「ああ、そうですか。後ろが競りって、どんな戦法を取るにせよ、自力選手にとってはうれしいことなんですよ」と身を乗り出していた。(netkeirin特派員)