2022/10/31(月) 17:00 0 4
小川圭二はGIは獲る事は出来なかったが、観音寺の西王座戦、ふるさとダービー玉野、ふるさとダービー四日市を獲っている、往年の名レーサー。
花月園の全日本選抜でも準優勝していて、ほんの少しだけタイトルに手が届かなかった。ふるさとダービーはGII扱いで、地方の競輪場を振興する意味合いがあり、メンバーは記念とGIの中間ぐらいのメンバーが斡旋されていた。小川圭二はガツガツ競るタイプではなく、軽いギヤの時代で、中団4、5番手があれば届くレース形態だった。
小川圭二は「GIIは三つ獲っているけど、結局、GIは獲れなかった。だけど、その三つの優勝も、勝ち上がりは一度も1着を取っていない。ふるダビ玉野は伊勢崎彰大君、亡き東出剛さんの3番手。普通なら栃木の伊藤一貴君が千葉勢の後ろだけど、何故か空いていた。ふるダビ四日市は当時破竹の勢いだった太田真一君の番手で捲りを差した。観音寺の西王座は長い審議だけどセーフでした」。
今、競輪祭の特集記事を書いているけど、2004年の決勝戦。小橋正義が優勝したけど、佐々木則幸がタイヤ差負けての準優勝。その時の佐々木則幸の番手が小川圭二だった。
「友定君が単騎でカマして佐々木君が追い掛ける展開。自分は小橋さん、小野俊之君と3車併走。もう少し、自分が小橋さんに抵抗していれば、佐々木君の優勝だったと思う。それは、本当に申し訳ない」。(町田洋一)