2022/10/30(日) 16:30 0 11
玉野競輪場のナイター競輪「netkeirin杯(FI)」は30日、初日を迎えた。レジェンドレーサーでタイトルホルダーの地元三宅伸の引退セレモニーが行われた。
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地元玉野の大スターだった三宅伸の引退セレモニーが、初日のレース前に、バンク内で行われた。手作り感タップリの引退式で、三宅伸が感謝の言葉を述べ、涙ぐむ姿に、記者もうるうる。
10月24日に引退したが、33年間の選手生活で、2776走して通算430勝。その中には2008年の全日本選抜競輪のGI優勝も含まれている。GIIIも11回優勝して生涯獲得賞金は11億弱。
我々、関係者の中でも、ユニークな言動や、人当たりの良さからも人気があった。記憶にも記録にも残る競輪選手だった。
三宅伸は「まだまだ競輪に対する熱い気持ちがあったが、体が言うことを聞かなくなった。函館の二日目のレースで引退を決め、誰にも言わずに最終日も走った。取鳥雄吾の親父に差されたし、2着だが潮時だと思った(笑)」。
GI覇者になったことに関しては「神山さんや村上君と違い、たった一つしか獲れなかった。20代の時は、簡単に獲れると思ったけどね。獲ったのは40歳ぐらいの時だし、マル(石丸寛之)のおかげだった」。
続いて師匠の越智清治さんの挨拶があり「誇りに思える愛弟子です。練習も真面目で百点満点の選手生活でした。本当にお疲れ様」。
三宅伸がタイトルホルダーになった立役者の石丸寛之は「伸さんの大きな背中を見て、追い掛けてきたけど、結局、追い着くことは出来なかった。あのレースは僕にとっても初のGIの決勝。まだ引退は信じられないし、願わくは、もう1回、ワンツーを決めたかった」。
サプライズで同期の有坂直樹さんがセレモニーに華を添え「自分と三宅伸君、高木隆弘君が64期、三羽がらすと呼ばれた。学校時代から何をやっても勝てず、常に伸君は、自分の一歩先に行っていた。若い頃は一緒に合宿をやったり、遊んだりしていました」。
今後に関して、三宅は「スーツを着ていても、養成ギプスみたい。脳ミソから一度、競輪をリセットしてゼロにしたい。休みの日も競輪の事を考えていたので。今は本当に気持ちが良い状態。何かしら競輪の事に関わって行きたいけど、本当に何にも決まっていない。玉野のファンは熱くて、今日も厳しいヤジもあったけど、あれも励みになった。育てて貰ったし感謝の気持ちしかない。まずは、車券を買ってみようと思い、チャリロトに登録しました(笑)」。
常識人だったし、癖もなく、いつも人の輪が出来ていた。第2の人生も成功する事だろう。お疲れ様でした!(町田洋一)