2025/11/30 (日) 12:00 23
江戸鷹の愛称でおなじみの競輪評論家・山口健治氏のコラム。今年のビッグレースもあとは年末のKEIRINグランプリを残すのみ。今月は「KEIRINグランプリ」の歴史や誕生に至った経緯、そして第1回大会の様子などについて語ります。
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みなさんこんにちは! 山口健治です!先日、今年最後のGI・競輪祭が終了し、男女ともにグランプリ出場者が決まった。年末の祭典にふさわしい錚々たるメンバーがそろい、今から本番が待ち遠しいところだね。
そんなグランプリが初めて開催されたのは今からちょうど40年前の1985年、昭和60年だった。その年の秋に『急遽、年末に一発勝負の大きいレースができるらしい』という噂が耳に入ってきたんだけど、まだ詳細などは全然決まっていなくてね。当時の通産省がそういうレースを企画していて、引き受けてくれる競輪場を探していたんだけど、急に開催するというのは予算などの諸事情もあって難しかったようで、なかなか見つからなかったみたい。そこで立川市の関根課長という方が「じゃあウチでやろう」と手を挙げて、第1回のグランプリが立川競輪場で開催されることが決まったんだ。
私は第1回大会を含めて5回、グランプリに出場させてもらった。〝もっと早くできていれば、もうちょっと多く乗れたかな〟という思いもあるけど(笑)。それでもグランプリに5回乗れたというのは光栄なことだし誇らしく思っている。
急に開催が決まった第1回大会は、開催場が立川に決まったあと「まず日にちをいつにするか」ってところから議論が始まり、「やっぱり30日が一番いいんじゃないか」となってね。その頃にはすでに全国の開催日程も決まっていたので、急遽FII開催にねじ込む形で行われたんだよね。
FIIだから普段顔を合わせないA級やB級の選手がたくさんいたんだけど、その選手たちにとっても、トップレーサーと一緒になる機会なんてないから、みんな興奮しちゃって。サインを頼まれたり、選手同士で記念写真を撮ったりと、すごく和やかな雰囲気だった(笑)。
グランプリメンバーは初日にすることがなくて時間があったので、バスをチャーターしてもらって昼間に西武園まで練習に行ったんだよね。すごく寒い中、当時は500バンクの西武園で9人で練習して(笑)。多くの報道関係の人も西武園まで取材に来ていたかな。
当日はとてつもない数のお客さんが来場して、車券が買えない人が出てくるくらいの大盛況ぶりだった。レースの方は、我々フラワーラインが有利という声も挙がっていて、実際に清嶋彰一が先行し、尾崎雅彦と自分にもチャンスがあったんだけど、中野浩一さんにまくられてしまった。やっぱり中野さんは強かったよ。それでも、初代王者が中野さんで良かったという気もするし、やっぱり中野さんは大スターなんだなと改めて思ったね。動画サイトに当時のレース映像が載っていたので、よかったら見てもらえれば(笑)。
そんな第1回大会だったわけだけど、立川市、そして立川競輪が当時グランプリを引き受けてくれたからこそ開催されたわけで、本当に立川には感謝している。
これまで幾多の名勝負が繰り広げられた由緒ある大会のグランプリだけど、ひとつだけ残念な歴史がある。それは1989年のこと。この年は賞金問題で関係団体と日本競輪選手会との間でトラブルがあり、結局話がまとまらずにグランプリが中止になってしまった。もう出場者は決まっていたわけだし、その中には初めてグランプリに出られるという選手もいて、涙を流しながら「なんとか、やってください」ってお願いしていたんだけど叶わなかった。
この年の自分は補欠の立場だったんだけど、出場予定者のことを思うと本当に辛かったね。二度とこんな悲しいことは起こってはいけないし、ファンの方には過去にこんな出来事があったということも知ってもらえればと思う。
今やグランプリは競輪ファンではなくても知っている、競輪界の一大イベントになった。スポーツ新聞の一面で唯一“競輪が取り上げられる日”でもあり、本当に特別なレースだ。そして多くの選手が「GIを獲ってグランプリに出る」という大きな目標を掲げ、そこに向かって血のにじむような努力をしていることだろう。
実際に私もグランプリだけは発走機に立つと武者震いをした記憶があるし、グランプリだけは雰囲気も全然違った。立川から始まったこのグランプリという素晴らしい大会の歴史を、これからもどんどん紡いでいってもらい、そして多くのファンを感動させてほしいと思うばかりである。
山口健治
Kenji Yamaguchi
山口 健治(ヤマグチ ケンジ) 東京都荒川区出身 “ヤマケン”、“江戸鷹”の愛称で親しまれる元トップ競輪選手。兄を追い38期生として在所1位でデビューし、3年も経たずうちダービー王に輝く。その後は競輪祭を二度制覇し長らく活躍するも2009年に惜しまれつつ引退。現在はスポーツ報知の競輪評論家として活躍中。
