【北井佑季・太田りゆ登壇】次世代型総合トレーニングセンター建設の起工式&プレスイベント

2024/09/18(水) 16:00

日本競輪養成所の次世代型総合トレーニングセンター新築の起工式およびプレスイベントがが9月18日、養成所のJKA250で執り行われた。


新しく建設されるトレーニングセンターは、「今の時代にふさわしい施設」「次世代を担う候補生たちがアスリートとして、その才能を最大限に発揮できる施設」が2大コンセプトに置かれる。
なかでも重要視されたのは、トレーニングと休養の2つ。より科学的なトレーニングができるよう世界各地のスポーツ施設も視察し、関係者へのヒアリングも実施。養成所内でもバンクへの移動に時間がかかっている現状があり、JKA400との動線を新たに作ることで、年間で約2週間ほどの時間が確保できるようになる。また、宿舎も新設され、より快適に、居心地よく、トレーニング後のリカバリーができる環境作りが進められている。
新トレーニングセンターは2024年9月から起工、2026年に完成予定だ。


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【北井佑季選手・太田りゆ選手のトークセッション】

-(司会)まずは自己紹介からお願いします。
太田「パリ五輪自転車競技日本代表、112期、埼玉支部所属、ガールズケイリンの太田りゆです。私は養成所、当時は競輪学校という名称でしたが、入学したのは2016年。高校までは陸上をしていましたが、家計を支える職業を探している中で、ガールズケイリンを知りました。当時は陸上から約3年離れて、完全にギャルとと化し、大学に行き、バイトをたくさんして、飲み会にもいっぱい行くルーティーンでしたが、養成所に行けば生活は一変するので、覚悟を決めていきました。自転車競技の技術や知識は何もなく、一から学んでいく中、ナショナルチームのブノワ・ベトゥテクニカルディレクターと出会いました。卒業後も、ガールズケイリンと並行して国際大会に出場、念願だったパリ五輪の舞台にも立つことができました。競技活動は引退しましたが、まだまだ長い道のりの途中で、養成所への入所がターニングポイントだったことは間違いありません。そんな養成所が生まれ変わる発表を聞き、ワクワクする未来が想像できました。トレーニング施設だけでなく女子の住環境もよりよくなるとのことで、候補生を志す方も増え、ガールズケイリン、自転車競技の発展にもつながると感じています。期待に胸を膨らませて完成を待ちたいと思います」

北井「元プロサッカー選手、神奈川119期の北井佑季です。私は20歳の時にプロサッカー選手としてデビューし、Jリーグのクラブにいくつか所属したのち、2019年3月に、29歳で引退しました。それでもプレイヤーとして第一線で勝負する目標をあきらめることできませんでした。夢ではなく目標だったのです。次の道で情熱を注ぎたい、引退したときに養成所を受験し、2020年に入所しました。先行日本一と言われた滝澤正光所長が、自ら教えてくださるT教場で指導を受け、競輪のことをしっかり教えていただき、とても満足できる1年間を過ごしました。競輪選手になってからもその教えは生きており、先行にこだわり競走に臨んでいます。卒業して3年、今年の6月に念願だったG1も優勝することができました。サッカー選手引退後に、プレイヤーでいることを模索している中、この養成所に入ったことで、文字通り私の人生が変わりました。この度、生まれ変わることで、より多くの人の人生が変わるきっかけになると確信しています。一般開放された時には、私も利用させていただこうと思います。これからの発展を心より願っています」

-まず、太田選手はパリ五輪出場。初の舞台はいかがでしたか。
太田「東京大会から五輪を目指していて。簡単に立てた舞台ではなかったですが、素晴らしい景色を見て、素晴らしい雰囲気を感じましたし、たくさんの方に支えていただいて、大きな夢がかなったと実感しました」

-自転車競技の引退を表明されましたが。
太田「日本代表としては終わりですが、競輪選手になった時、ガールズグランプリの舞台に立ちたい、賞金女王になりたい、そういう夢を持っていたので、そこの夢に向かって、新たなスタートだと思っています。すごく楽しみなことが多いです」

-北井選手は6月の高松宮記念杯競輪で初のG1優勝。振り返ってどうでしたか?
北井「自分自身でも優勝したい思って臨んだ大会でしたし、まわりの方の助けや盛り立てていただいての優勝だったので、何より嬉しかったです。(G1優勝を)目標にやっていましたし、自分がグランプリを走っている姿を、想像しながら養成所時代もトレーニングに臨んでいました。(南関東は)強い選手がそろっていますし、その中でも自分が一番に引っ張っていけるよう、そういった選手でい続けたいと思います」

-北井選手は養成所の思い出は?
北井「滝澤所長の教えてくださるT教場で、特に北400では、バイク誘導をやっていただいた記憶がすごくあります。とんでもなく苦しかったですが、目標とした選手だったので、苦しくても、その背中を追いかけ続けようと思って、日々訓練していました。レースの中でも、たまに目の前に滝澤所長の背中が現れることがあるんですよ。今でも自分自身に力が湧きますね」

-太田選手はナショナルチームに所属したので練習していたとは思いますが、養成所時代の思い出は?
太田「私が入った年代は、まだ髪も短く切って、化粧も禁止、携帯も使えない環境だったので、そこでよく頑張ったなというのが大きな思い出です。また、私も北井選手と同じで滝澤所長に最初はお世話になっていました。時速40キロからスタートして100周しろと言われて。(北井に向かって)無理ですよね?」

北井「いけます!(笑)」

太田「(笑)。私は長い距離が得意ではないので、前半から千切れてしまって、やり直しばかり(笑)。そのあとは、ナショナルチームで中野浩一さんにお世話になり、五輪までお父さんのように何でも相談していました。競輪選手として教えてもらった半年、日本代表として教えてもらった半年。そんな競輪学校生活でした」

-その養成所が生まれ変わりますが、いかがですか?
北井「滝澤所長のように競輪に関して熱く指導してくださる方がいる中で、施設が変わり、また新しく選手を目指す方々の未来へのスタートになるきっかけになると思います」

太田「施設が大きく変化することで、女子が過ごしやすくなる。入口が男女で別になるとか、小さな変化があるだけで、過ごしやすくなり、トレーニングに集中できる環境が整うと思っています」

-新しくなる施設に、どんなことを期待されますか?
北井「過ごしやすくなっていくと思いますし、移動距離が短くなって、2週間の時間が短縮できると聞いて、その2週間を有意義に訓練だったり、各々の成長する時間に使えますし、自分自身が高い目標を持つきっかけにもなると思います。こういうことを機に、多くの方に競輪選手になりたい、養成所に入ってみたいというきっかけになればいいなと思います」

太田「競輪選手としてトップでい続けたいと思いますし、北井選手はS級S班が決まっていますし、これから来るライバルを受けて立つ選手でいたいと思います。長い間、ナショナルチームのトレーニングセンターで練習させていただいたからこそ分かる、トレーニング環境の良さがパフォーマンスに影響することは、身に染みていること。これからはすごく強い選手が出てくると思います」

-今後の競輪選手を目指したい方へメッセージを?
北井「自転車は努力さえすれば、基本的に誰でも乗れるもの。僕のように他の競技から転向しても、流した汗の量次第では競輪選手になれると思います。皆にチャンスがある競技だし、なおかつ次世代型施設に変わっていく中で、競輪選手として、日本のトップアスリートとして成長できるきっかけになると思うので、年齢関係なく競輪選手を目指してもらいたいと思います」

太田「ガールズケイリンを代表して、女子スポーツ選手として、自立して格好良く活躍していける場がガールズケイリンにはあると思います。夢のある職業で、頑張り次第ではすごく稼げる職業でもあるので、自分次第、努力次第が大前提ではありますが、そこに向けて、チャレンジしてくれる人がひとりでも増えてくれたら、私がそのロールモデルとして頑張っていければ、そういう風に考えています」




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チャリレンジャー・北井佑季選手のコメント
「養成所がどう発展していくか、僕も楽しみです」

-トークセッションでもお話しされていましたが、あらためて養成所時代の思い出から。当時は、どのようなイメージを持っていましたか?
北井「僕が入った時、119期の段階では、すごく過ごしやすい、訓練しやすい、生活もしやすい環境にあったと思います。117期のときに、競輪学校から競輪選手養成所に名称も変わっていましたし、厳しさが時代の変化とともに変わってきているんだと思います。昔のような厳しさは、たぶん少しずつ薄れていったのだと思います。でも、そこから2026年に向けて、なおかつ発展していくとのことなので、どういう風に変わっていくのか、僕も楽しみです」

-厳しさが変わってきていたとのことですが、プロサッカー時代はどうだったのですか?
北井「時代とともに、だんだん理論的な部分が組み込まれていくときでした。でも、スポーツなので、メンタルや根性も、もちろん大事。僕自身はサッカー時代から、そこをすごく大事にしてきました」

-北井選手の走りからも、それは伝わってきますね! また、養成所時代は滝澤正光所長の影響が大きかったとのことですが、具体的にはどこが一番大きかったですか?
北井「グランドスラムを達成していますし、競輪界でトップだった方。まず、そういう方が何を考え、どういう風な思いで競輪に向き合ってきたのか。それを養成所に入ってから、学ぼうと思いました。特別なことを考えているし、そこまでを考えているからこそ、グランドスラムの域まで達したのだと、身に染みて感じました。一つひとつが勉強でしたね」

-養成所に入ってから、意識改革がかなりあったのですね。
北井「はい。正直、養成所に入る前は、競輪に関しては無知でしたので、滝澤所長がどういう方なのかも知らなかったのです。競輪の『け』の字も知らなかった僕に、競輪を教えてくれたのが、滝澤所長だったので。それに、先行日本一と言われている方。自分も競走訓練で先行して1着を取れたかというと、何回も走って、取れたのは1回だけ。それがどれだけ難しいことか。それにもかかわらず、滝澤所長は先行日本一と呼ばれていたので、なぜなんだろうと考えたときに、それだけのことをやってきた人だからだと思いました。素晴らしいと思ったし、僕も先行にこだわったきっかけでした」

-そこが、先行・北井佑季の第一歩なんですね。
北井「先行日本一は滝澤所長が呼ばれるようになって、村上義弘さんが言われるようになって。僕自身もそこに続けるようになりたいと思っています。滝澤所長には『人には人の先行の仕方があり、自分の先行を見つけていけ』と言われていました。本当にその通りだし、北井佑季の先行はこうだというのを、印象付けられればいいですね」

-今後も、新しい施設で、第2、第3の北井佑季が誕生するかもしれませんね。今度は挑戦を受ける立場にもなります。
北井「そうですね。僕のあと121期、123期からもS級に上がってきている選手がいますし、何が何でもと思って、同じレースで挑んでくる選手も何人か感じています。でも、自分もデビューして、S班の人やトップの人と走るときは、そういう気持ちで臨んでいましたし、力勝負で負けないように、僕も挑んでいきたいと思います。新しい施設もぜひ利用させていただきたいですね。間違いなく良い施設だと思うので」



(P-Navi編集部)

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