2021/03/20(土) 19:00 0 10
積み上げた白星数は565個。昨年10月には50歳となった。現在はA級3班だが、GI出場は12回、1992年の別府ふるさとダービーでは決勝進出も果たした古豪である。驚くべきなのが、いまだに自力勝負を貫き、3場所前の先月の松阪では優勝も飾った。
今節も2、2着で優出。準決勝は23歳の三浦大輝と残り2周前から壮絶に踏み合い、最終的には番手に入って粘り込んだ。
レース後は「よく頑張ったわ。でも、以前のように脚に余裕がないから、後ろの状況を確認する余裕がない。ヘタクソやの〜。沢田(勇治)に迷惑をかけた。『沢田、すまんかった。中途半端だったわ』」。番手を回った19歳も年下の選手を気遣うほど。とにかく人情味にあふれたレーサーである。
長らくS級で暴れたが、41歳の時に急性骨髄性白血病を発症。「5ケ月入院して、レースは1年間休んだ。4回の抗がん剤治療と、5年間は毎月病院に行って血液検査をしたね。今はもう大丈夫。病院にも行っていないよ」。不屈の闘志で復活し、50歳に突入しても若手を相手に自力で戦っている。
「生涯、自力! よほど、後輩が頑張ると言った際は考えるけど。基本的には自分でやるよ」。増成にとって、ずばり"自力の魅力"とは何かを聞くと「練習したことをそのままレースで出せるから楽しい。マーク屋だと、苦しい練習をやっても前次第になってしまう。それが納得できない。だから、(マーク屋に)なろうと思ったことはないね」と返ってきた。
最後は長年、自力を貫いてきた男だからこそ言えるセリフが。「若手の自力選手に言いたいのは『マーク屋の家族まで背負っているんだぞ!』と。ラインを組んで走る以上は、それを頭に入れてなきゃね」。それを体現してきたからこその深い提言。これからも自身のためだけでなく、ラインを組んだ選手の家族の想いも背負って走り続けるのだろう。(netkeirin特派員)