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【小倉競輪・ミッドナイト】不屈の闘志で走り続ける大前寛則

2022/03/01(火) 18:00 0 3

小倉競輪場で行われるミッドナイト競輪「ニッカン・コム杯(FII)」が2日に幕を開ける。1Rに出走する大前寛則は3年前の大ケガを乗り越えて再びバンクで戦っている。

落車で生死をさまよってカムバックを遂げた大前寛則

 2019年4月20日。広島競輪のS級戦で落車した大前寛則は頭蓋骨骨折と外傷性くも膜下出血の大ケガ。集中治療室で6日間を過ごし、約半年間も入院をした。

「落車した瞬間の記憶はなくて、気付いたら医務室で暴れていたみたい。でも呼吸困難みたいな状態になって気を失って…。救急車で運ばれているところや、病院の処置室で血を吐いた記憶はある。断片的には覚えていたみたい。本当に死にかけましたね。くも膜下出血も脳幹に近いところだったし、もう少しズレていたら…って感じで。かなり運が良かったみたい。嚥下(えんげ)障害にもなって、ノドがマヒして2カ月ほどは水もノドを通らなかった。最初は医者からは『普通の生活を送れるように頑張らないとね』って言われたんです」

 選手生命どころか、命の危険にさらされた。恐怖心もあっただろう。それでも大前はカムバックを決めて、懸命にリハビリを続けた。

「妻や周囲の人は『辞めるよね?』って感じでしたね。当然でしょう。病院の方々も含めて、誰も復帰するとは思っていなかったはず。最初はまっすぐ歩けなかったし、一般病棟に移って3週間くらいまでは毎日、血を吐いていた。吐き慣れちゃって苦痛に思わないくらいに。歯痛以外は全部を経験したかな。同じ体勢で寝続けるから腰も痛かったし、頭は24時間痛かった。常にアイスノンを2個、欠かさず使って冷やしていました」

 入院生活は壮絶そのもの。それでもバンクに戻る決意は揺るがなかった。そこまで大前をかき立てたものはなんだったのか。

「入院している時は選手という意識はなかった。ただ、“復帰”という目標があった方が、後遺症もなくなるかなぁって。リハビリ中にずっと自問自答していたんです。つらいなら辞めようと思ったけど、つらいよりも、目指すものがある方に幸福感を感じた。ずっと全力でやり切ってきて後悔とかもなかったけど、せっかく大ケガをしたんだし、ここからどう復帰していくのかを自分でも見てみたかったんです。以前の自分だったらくじけていたかもしれない。でもこういうのも一生に一度のチャンスだと思って」

 2年以上の時を経て、2021年5月18日に防府競輪場で復帰を果たした。A級2班に落ちていた。

「ぎりぎりのところで復帰できた。いきなりチャレンジ戦だったら厳しかったと思う。最初はケガする前とのギャップ、練習と本番のギャップに苦しんだね。雨が降ったり、気圧が変わるだけでも体が固まっちゃったし、危険を察知したら体が自然とブレーキをかけてしまっていた。でも休むわけにはいかない。走り続けて感覚だったり、体だったりを元に戻していかないといけなかった。最近はちょっとずつだけど感覚は戻ってきたかな。ケガ前に比べたら全然だけど。体が固まる症状はなくなった。あとはクビになる前に、どこまでの状態に戻せるか、ですね。ここまで勝てなかったり、思うようにレースができないのは初めてだけど、考えようによっては、メンタル的にはかなりいい経験が出来ていると思う。戻すまでの経験値を積み上げられていますから。充実した毎日を送れています」

 今年に入ってからも1月の久留米でまたもや落車。神様は試練を与え続ける。それでも大前の意欲は衰えないばかりか燃えたぎっている。

「落ちたって事は、はい上がるチャンスでもある。ここからA級2班に上がれたら、かなりカッコイイよね。可能性はゼロじゃないと思っている。今期のうちに戦える感覚があれば、来期はいい勝負が出来ると思う。焦ってもダメ。自分はいい選手だとは思っていない。S級に上がるのも時間がかかった。34歳で初めて上がったんです。当時、井上茂徳さんに『この歳でようS級に』って声をかけてもらったのを思い出しますね。走る限りは車券に絡みたい。でも、とにかく焦らず、まずは感覚を取り戻すことが先決。今日よりも明日、明日よりもあさって、という感じで。ちょっとずつ頑張っていければ」

 1月に55歳になった。大ケガを乗り越えた男の競輪人生はまだまだ続く。(netkeirin特派員)

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