2022/01/07(金) 18:45 0 14
北日本の事件史に必ず登場すると言っても良い岡部芳幸。誰もが知るGI覇者の強豪だが、今年の1年間はA級が確定。あるS班の選手は、慣れないナイター競輪を走り「照明の感覚が違う」とぼやいた事もあるが、A級やチャレンジのおじさん達はモーニング、デイ開催、ナイター、ミッドナイトとフル稼働だ。
岡部芳幸は「ミッドは初めて。モーニング、ミッド、モーニング、ミッドの開催が続く事を選手は"モミモミ"と言うらしいよ。今の若い子に何を言っても通用しないし、今の時代に、こちらが合わせて行くしかない。記者さんが"老害記者"と言っているけど、オレも"老害選手"。グランプリシリーズで慎太郎と話をしたけど、S班の慎太郎でさえレースや環境に葛藤がある。スーパースターだった伏見俊昭なんて、もっと悩み深いんじゃないかな」。
20歳と23歳の子供がいて、今は選手を目指していると言う。
「新田祐大の強さに憧れ、弟子の小松崎大地の稼ぎに魅力を感じていて、親父の事なんて、どうにも思っていない。オレが強かったのも幼い時だし、普通の選手と思っているよ」。
とにかく北日本の事件史には必ず出てきた大物だ。同県同士で佐藤悦夫との競りもあったし、逸話は多い。
「ボロボロになるまで走り、チャレンジで通用しない自分も見てみたい。とにかくエピソードは多いから、本を出版するまで引退はしないよ(笑)。記者さんみたいに直接言ってくれたり、悪い事でも記事に書かれるのは気にしていない。あまり見ないけど、ネットの悪口はどうなんだろうね」。
当時の山崎芳仁と佐藤友和の関係性を聞くと、「88期の彼らは考えが競技よりだった。個の力で勝ちたいという気持ちもあったと思う。自分が調子良いから前とか、新車を試したいから前とか、そういう感じで並びを決めていた。世界の一成だけど、ああ見えて彼は、こっちよりの選手だったね(笑)」。
西武園は500バンク時代の新人リーグがデビュー戦。5着、1着、4着で優勝は児玉広志選手だったそうだ。ここから岡部芳幸のサクセスストーリーが始まるが、競輪界で一番の名物選手なのは間違いない。(町田洋一)